おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

夏の終わり  (第951回)

 
 今回は後半こそ漫画の感想文ですが、その前に楽しくない現実の話題にも触れますので、そういうのはご勘弁という方は読み飛ばして下さい。本日すなわち8月20日は、ケンヂおじちゃんの誕生日である。56歳、おめでとうございます。作者がこの日を選んだ事情は知らない。

 今の東京は、だいたい6月から9月まで猛暑が続くと言っても過言ではない。1千万人都民と彼らが使うIT機器を冷やし続けるべく、昼夜を問わずエアコンがフル稼働しているので、夜の気温が下がらない。至るところアスファルトやコンクリートや金属で覆われているので、水蒸気が湧かず、上昇気流が立たず、夕立が降らない。書いているだけで暑い。


 われらの少年時代、8月下旬ともなれば、そろそろ秋の気配がしたものだ。賑やかなお盆も夏の甲子園も終わる。69年の夏でいえば、これにアポロの月面着陸とウッドストックの祭典が加わった。でも、そろそろ2学期かと思うと、夏も終わりだなと子供心にも一抹のさみしさが忍び込む。

 だが、今日の厳しい話題とは、一抹のさみしさどころではない。今年6月に内閣府が公表した最新の「自殺対策白書」には、過去42年間における青少年(定義は18歳以下)の自殺件数の統計資料が載っている。その中に、日付別という初めて見るデータがあった。この種の情報は、仕事の関係で容易に避けて通れないのである。


 それによると、日付別ではダントツで9月1日が最多数。2位と3位は春休み明け。4位と5位が、8月31日と9月2日である。素人にもこれだけ明確に、「統計的に有意」という概念が、肌で実感できる集計結果も他になかろう。少なからずの青少年にとって、学校に戻るということが、生命の危機に直面するほどの精神的な負担となっているのだ。

 自分はどうだったろう。少なくとも、命を絶ちたいとまで思いつめたことは無い。休みが終わって残念という気持ちは何となく覚えているが、私は(たぶん多くの人も)、少々の辛いことは繰り返すうちに忘れてしまう。そうでなければ、やっていけないし、そうできたから、やってこれた。


 むしろ、ようやく夏休みの膨大な宿題が片付いたという開放感とか、自宅が遠くて会えなかった級友や可愛いあの娘とまた会えるという期待とかが代りにあって、学校は学校だから仕方がないとぼやきつつ現場復帰していたように思う。

 それなのに、外形上は同じ境遇にありながら、元居た場所に戻るということが耐えきれない子がいるのだ。曜日別だと大人でも月曜日が一番多いというのは昔から知っていたが、長い休みの終わりは、それどころではないということだ。この種の図表は単なる折れ線グラフや棒グラフではない。取り返しがつかない。いつまでたっても積分なのだ。


 「20世紀少年」で9月1日というと、5年生ではサダキヨが転校し、フクベエが(さらに)ぐれた日。6年生では、ヴァーチャル・アトラクションの設定によると、ドンキーが学校に行く気を失くして、始業式を欠席した。前夜に理科室で「悪の帝王」を見たショックによる。

 特に5年生の夏は多事であった。主人公ケンヂは、万博には行けないし、秘密基地は双子に壊されるし、日記はサボっているしで、良いことがない。誕生日を祝った形跡もない。この夏が終わろうとしていた8月28日に「今日しかない」という理由で肝だめしが企画され、日付変更後の29日に本物のユーレイを見た。これで一応、元気になった。


 そう見えた。しかし、後に舞台裏では、事態が取り返しのつかない状況になっていたことが分かる。落ち着かない気分でいたらしいケンヂ少年は、ふと立ち寄った駄菓子屋で、駆け去る少年の後ろ姿と、店番のいない菓子棚をみた。

 この日は夏休み中、大阪万博に行っていたはずの山根が戻って来ており、サダキヨがこんど転校すると言っているから、8月も終わりに近い日に相違ない。季節により毎年のように心身に変調をきたす人は少なくないと思うが(私の場合は夏バテ)、フクベエの場合は8月末が鬼門で、情緒不安定かつ攻撃的になる。周囲のおとなしい子が犠牲者になった。


 話の大風呂敷を拡げれば、1970年の万博は高度成長時代という戦後日本の経済的な盛夏の象徴であった。そのあとは、あさま山荘、公害の悪化、オイルショックと、子供さえうんざりするような世相が来て秋を迎え、バブル経済という見せかけの小春日和のあとで氷河期がきた。先行きは不透明。四季は巡っても、歴史がそのまま繰り返すとは限るまい。

 今回の折れ線グラフは9月1日が上に突出していて、まるで東日本大震災のときの地震計の記録のように見えた。9月1日といえば、年を取るにつれて何時の間にか学校に引き戻される日というよりも、防災の日という印象のほうが強くなった。それがまた元に戻ったような気分である。


 何はともあれ、周囲に仮面をかぶったように表情が凍り付いている子がいたら、余裕がある人は、その子が屋上へ向かう階段のほうに進んでいかないか、注意を払っていただきたい。今の学校は必ずしも9月1日が始業式とは限らないらしいから、さらに注意が必要だ。

 前にも書いたが、私の場合は大学を卒業するまで、自分と同じ時期、同じ学校に在籍した人が自ら命を絶った例は一件もない。単なる運の問題だろうが、事件・事故での不慮の死さえ、知っている範囲では起きなかった。

 青少年が世を去るなんて、フィクションの中の出来事だと信じて疑わなかったのだが、今では政府も報道も放っておかず、容赦なく全国区で情報を広める。こちらは、手の届く範囲で全力を尽くすのみだ。そして子供たちも、命が危ないと思ったら...





(この稿おわり)





仲間は自分たちでつくるもの。そうだったよな、ドンキー、サダキヨ。
(2015年7月18日撮影)












 Help me if you can, I'm feeling down.



































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