おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

迎え火  (第950回)

 今日も漫画とは殆ど関係ございません。最近は妙に昔のこと、特に子供時代のことを思い出すようになった。無事お迎えの時が近づいているのかもしれない。昨日、実家のことを書いていたときに連想したことを書き残そう。

 小学生のころ、1960年代の田舎、うちのそばに自動車学校があった。「教習所」と呼ばれていた。前に書いたような覚えがあるなあ。これがまた見事に無防備な敷地で、柵とか囲いとかいうような仕切りが全くないため、入りたい放題であった。もちろん営業日の昼間は、下手な連中が車の運転練習をしているので近寄れないが、休日と夜は絶好の遊び場になった。


 実家やご近所は、夏の夜になると雨の日はテレビの怪談でも観るか、そうでなければ、この教習所まで歩いて行って、周囲に遮るものが全くない広い敷地内で夜風に吹かれ、天の川の下、夕涼みをしたものだ。蛍を追うのも散歩にも飽き、線香花火が燃え尽きるころ、自宅に戻ってスイカをいただくのである。

 そうそう、ここには夜だというのに黄色い花が咲いていたのを、ずっと前に話題にしたのだった。大人は月見草と呼んでいたが、黄色かった記憶は間違いないので、そのご親族であるマツヨイグサだったのだろう。


 私が黄色い花を好むのは、この思い出と関わりがあるのかもしれない。しかし、黄色いからといって、全てお好みかというとそうでもない。私が子供のころ急速にはびこり出したセイタカアワダチソウは暑苦しくて嫌いであった。大学時代に、よく野球の練習に使っていた小さなグラウンドに、たくさん生えていたのを覚えている。

 しかし、最近はあまり見ない。もっとも、ここ東京は花壇や園芸や街路樹ばかりなので、そもそも雑草が少ないのだが、セイタカアワダチソウの強力な繁殖力が、自家中毒を起こすほどの毒素を出して多種を駆逐するらしいのも減って来た一因である由。レミング的に自滅するのだろうか。

 このセイタカアワダチソウを映画で久しぶりに観たのが、「20世紀少年」の第三部である。さすが時代考証をきちんとしたらしく、ともだち歴3年とはいえ、昭和時代を復元したという原っぱにたくさん生えていた。リモコンを持っている”ともだち”役の佐々木さんの背景に、ムクムクと立ち並んで黄色い花を咲かせている。


 お盆のころ、この教習所巡りの前後に歩く、実家が面していた細い未舗装の車道では、家々の前に小さなかがり火のようなものが燃えていたのを、今でも鮮明に覚えている。街灯なんて洒落たものなどない時代で、実家も玄関の上に小さな裸電球が点いていただけだから夜は暗い。その道に小さな焚火が道しるべのように並んでいる。幻想的な光景だった。

 これの派手なやつが、大学生になって下宿した京都で、この8月16日の夜に行われる五山の送り火である。この話題も確か雀荘で星稜と簑島の激闘をみていたときの話に出したような記憶がある。余所者は大文字焼きと呼ぶが、バイト先のおばさんは「どら焼きやあるまいし、あほらし」と批判的であった。


 送り火とは亡くなったかたの魂をあの世にお送りする灯火であるらしい。しかし、実家の大人たちは、迎え火だと言っていた。どちらでも、好きなほうを選べるらしい。なんでも、あの夜に去った人たちが、何を好き好んでか夏の一番暑い頃合いを選び、お盆に里帰りするのだという。

 それをお迎えするのが送り火なんだそうだが、どの家も同じような焚火をして、何の目印になるのだろうか。それも小さい。そもそも死んだって自宅ぐらい覚えているだろうに。などと子供のころの私はおバカなことを言いつつ、そもそもラララ科学の子であったから、そんな迷信は頭から信じていなかった。


 この送り火は、細くて小さなマキを道の上に直接、組み立てただけの簡易建築である。どの家も同じ木材だったから、当時どこかで、この時期だけ売っていたのだろう。松の木だと聞いていた。そんな高級品が手に入るかどうか疑問だが、まあ年に一度のお祀りだし、丸太を買ってくるわけでもない。小太鼓のバチより短いくらいのサイズだった。

 帰省してきたはずのご先祖とは、ついにお目にかかることもなく、この習慣もいつの間にか廃れてしまった。私たち前後の世代は、マイホームと核家族の総仕上げに夢中で、古来伝統の儀式には目もくれなかった。茄の牛と胡瓜の馬に、折った割り箸の四肢を刺して完成するのが私の役割だったが、もう四十年以上もやっていない。見たこともないか...。


 カンナは胸を押さえながら言った。「人は死んでも記憶に残る」。ドンキーは晩夏の夕暮れ時も鼻水タオルのマフラーを首に巻いて、「うん、それは科学的だね」と賛意を示した。二人は約束を守り、少年は長じて理科の先生となり、娘は正義の味方となる。

 今にして思えば、あの小さな迎え火は、死者の魂を招くというよりも、あの火を見ながら、私たちが胸中で天に昇った家族や飼い犬を忍ぶために焚くものであるに違いない。もう、その習わしを捨ててしまった今、不謹慎だがお墓参りだけでは何だか風情に欠けるような気がして、この前の日に戦争を終わらせた理由は何だったのだろうと考えてみる。






(この稿おわり)








2015年7月18日 沖縄にて撮影 
オオバナアリアケカズラ 
花言葉は楽しい思い出



 














 赤々と迎え火は天空に這い上がる
 眠りについた兵隊たちも
 風に飛び交う妖精たちも
 降りておいでよ...

       「夏の宴」  元ちとせ




































.