おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Dreams  (第944回)

 前回のイチャモン大会において、「slumbers」は複数であるべしと述べたが、そこまで徹底されていないものの「dream」も複数形で用いられることが多い。夢には二義性があると以前書いたが、儚い夢のほうが複数形であるのは不思議ではないとしても、寝ている間にみる夢も複数の実例は多い。

 前回の続きでビートルズの歌に用例を求めると、「Golden Slumbers」から続くメロディーの最後の曲、「The End」の歌詞にもあるし、歌っている本人が眠っているとしか思えないリンゴ・スターの「Good Night」にも複数形で出てくる。夢想のほうの複数は「All My Loving」にお出ましになっており、日本のバンド名の元になった(と思う)。


 今日また改めて夢を話題にしたのは、前言を撤回して「夢は叶う」とドリカム的なことを言うためではなく、前回、肝心なことを書き忘れたことを暫く後になって気付いたからだ。”ともだち”の夢である。これを話題にしなければ、漫画の感想文として画竜点睛を欠くというものだ。

 この忌まわしいシーンは第2集に出てくる。それに触れるまえに前座話。ユキジの嫌いな少女漫画は、空想・夢想・夢物語の集大成で、例えば白馬に乗った王子様が義理堅く助けに来てくれるのであった。

 漫画「20世紀少年」にも描かれているが、少女漫画の登場人物たちの目は、顔の面積と比べて異常に大きく広く、現実にこのような顔面が存在したら不気味そのものである。その点、「るきさん」は良かった。少女漫画じゃないか。


 さて、問題の場面は第2集の94ページに出てくる。その冒頭で興味深い発言があり、すなわち聴衆の一人が「宗教の統一」が実現すれば、「僕らは、本当に一つの”ともだち”になれるわけだね」と感無量の面持で喜んでいる。

 つまり当初、”ともだち”とは「教祖」的な人物のことだけではなく、誰もが成り得るものであったらしい。この点は仏教と似ており、仏様になったのは初代のブッダだけではなく、輪廻から解脱すれば如来すなわち仏になれるのであり、実際、阿弥陀、大日、薬師と品数豊富である。教祖はそのうちのお一人、釈迦如来

 興味深いのは日本でもアジアでも広く信仰されている観音様が、まだ修行中の菩薩であることだ。人を救うのに忙しいせいか。浅い川で溺れかけたり、バイクで転んだり、人類は迷惑をかけっぱなし。なお、「一つの''ともだち''」というのは意味不明。


 さて、信者だかサークル・メンバーだかの一人に、”ともだち”の夢は何かと問われた男は、禅問答よろしく直接には応えず、抽象論から始めている。すなわち曰く、「夢というのは、最初の衝動を持続させたものだけが、実現させられるものなんだ」そうだ。
 
 その最初の衝動とは何かと更に問われた”ともだち”は、ショッカーじゃあるまいし「世界征服だよ。」と意外とつまらない返事をした。やっぱし誰も笑ってくれないので、自分で歯をむいて笑顔を作っている。描かれていないが、たぶん目は笑っていないだろう。


 世界征服と人類滅亡計画を実現させると万丈目に言い放ったのは、1973年、児童Aになってしまったフクベエであった。この場面が描かれている第18集は2004年当時の連載を収録したものだから、漫画の冒頭と同じ年の1997年に起きた少年Aの事件では、とうに犯人は捕まり(私は出張中の飛行機の中で知った)、少年院に入っている。

 この残虐な事件は発生当時、すでにプロファイリングが輸入されており、そのプロでもない芸能人や小説家まで参加する犯人当てゴッコが流行った。捕まる前の出歩いている犯人像を勝手に描くなど無責任なものだな。結局、ほぼ全員、ジジババのアイスのごとくハズレであった。それも仕方あるまい。聖斗は生徒だったのだ。


 最初のうち、フクベエは人類滅亡まで計画していなかったはずである。だから、反陽子ばくだんの予言をカツマタ君が書き込んだとき、あいつは分かっていないと断罪し、スケッチ・ブックを放り投げたのだ。でも、児童Aとなっては顔がないばかりか名もなくなった。アイデンティティの喪失のみならず、本人によればイジメまで加わった。

 かくして世界で一番偉くなるという白昼夢は(大統領が一番偉いとは思えませんね、特に近年は)、中途半端ということで更新され、人類を死滅させるつもりになったのだ。しかし、第2集において世界征服でとどめておいたのは、とりあえず目の前の連中まで滅亡すると予言したら騒ぎが大きくなるので避け、もう少し安全な距離を措いた武道館の舞台で「私と一緒にあるものは」という条件付きでご披露するに至る。


 そういう意味で、カツマタ君は最初から重症であり、しかも、私の読み方に間違いがなければジジババのバッヂ事件よりも前から、世界を終わりにするつもりでいたらしい。だから、極論すればケンヂの責任ではない。少なくとも彼一人の責めに帰すべきものではない。

 何か、あったのだ。特にイジメもハラスメントも、長期化すると悲惨な結末を招く恐れが大きいことは周知のことである。彼がずっとお面をかぶっていじめられ続けていたと仮定すると、5年生の一学期だけはサダキヨが、その被害の半分を引き受けてくれたことになる。道理で仲がよかったはずだな。


 また最後は脱線して終わろう。スーザン・ボイルはイギリスのテレビ番組で素人オーディション大会に出場した。47歳で横綱の土俵入りのような貫禄の持ち主であった。会場の失笑をかった後で、番組のお決まりなのだろう、司会者が「で、夢は?」”What's the dream?”と尋ねている。彼女は「I'm trying to be a professional singer”と即答し、今度は失笑というより嘲笑を浴びた。

 英単語の「try」が、「がんばってみたいと思います」なんていうレベルだけではなく、例えば「Angie」や「Losing My Religion」の歌詞でも分かるように、並大抵の苦労ではないことも示すほどの重い意味もある。やはり夢は簡単に叶うものではないのだ。今なおトライアル期間中なのは、チャンスが無かっただけだとスーザンは主張している。

 そのあとで彼女が歌ったのは、私がこれまで読んだ小説の中で、もっともミゼラブルな女が、ミュージカル化されたときに歌った”I dreamed a dream”という歌曲である。その夢は、CSN&Yの唄のように、親の教えを守り、その夢を引きついだ娘がかなえた。ひばり。春告鳥コゼットは海の向こうでも愛されていたらしい。





(この稿おわり)




宮古島にて。どうも鳥さんの名前は苦手でございまして。
(2015年7月19日撮影)






 少女漫画の恋人同士ね
 二人の目に星が光る


   「乙女座宮」  山口百恵













































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