おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Golden Slumbers  (第943回)

 今回は小説の感想文のごときもの。雑文です。筋は追わないが、やはり要所には触れるので、まだ小説を読んでいない人や映画を観ていない人は読むのを避けてくださったほうが良いと思います。2007年に出版された伊坂幸太郎著「ゴールデンスランバー」である。先日、那覇の空港で旅行中に読むのに手頃な頁数だと思って、文庫本を買って読んだ。

 私にとって2007年は転職の年であり、自分の生活が大騒ぎだったため、おそらくこの作品名を知ったのは、2010年に映画化されたときのことだと思う。タイトルだけ見ての最初の印象は、違和感。どうやらビートルズの楽曲名から採ったようだが、今回小欄のタイトルのように本来は複数形なのだ。なんせ40年以上もアビーロードを聴いているのだから、妙に思うのは仕方が無い。


 どうも日本人は欧州言語の複数形や冠詞が苦手なようで、省略しても平気な人が多いらしい。ところで、仕事の関係で数年前に、若い女性と「指輪物語」の話題で盛り上がったことがある。あの「Lord」(主、あるじ)とは誰か・何かと思うかと訊かれ、私論を述べたところ意見が合った。

 彼女は映画「ロード・オブ・ザ・リング」を観て感動のあまり、中学生時代に小説の原文を全て英語のまま読了したというから凄い。しかし、私たちの結論は、映画の邦題の最後を「リング」と単数形にしてしまい、おまけに最初の定冠詞まで省いてしまうと大事な意味を失ってしまう。


 「Golden Slumbers」についても、オクスフォードの英英辞典によれば、「noun (often slumbers)  A sleep」(名詞、しばしば複数形。意味は「眠り」)とあり、安易に単数にすべきではない。ビートルズの曲名も、その元歌であるマザーグースの唄も複数形である。眠りが複数とは感覚がつかみづらいが、もしかすると、最後の「s」が複数以外の意味も持っていた時代の古い語法などがあって、それを引き継いだものかもしれない。

 また、曲にしろ小説にしろ「黄金のまどろみ」と訳している人が多いが賛成しない。かつて小欄で「ゴールデン洋画劇場」の話題を出したときに書いた通り(大脱走だな)、「golden」の一義的な意味は、黄金ではなく「黄金色の」(うるさいのを承知で書くが、こがねいろと読む)という形容詞であって、貴金属ではない。本作品の中国版では、ちゃんと「金色」になっている。


 スランバーズも上記のとおり眠りであって、「sleep」と同義であり、まどろみ(うとうとする、ちょっと眠る)というがごとき仮眠や、うたた寝を意味しない。「眠れる森の美女」でもスランバーズは、スリープと同じ意味合いで使われている。王子様が来るまで寝たきりなのだ。そもそも、先述のマザーグースの詩も、子守唄の歌詞であるから、ぐっすり眠ってもらうためものだ。黄金色の眠りとは、良い夢見ろよというような、6年生のケンヂ的意味であろうか。

 映画は数年前に、小説より先に観た。「篤姫」の征夷大将軍堺雅人に興味があったからである。2008年当時、知り合いの舞台女優に堺さんの評価を訊いたところ、「あのひとは別格」という、どシンプルな返事が来た。その後の活躍はご存じのとおり。この映画でスランバーと単数になった理由が分かるかなと思ったが空振りでした。


 この小説は、例によって牽強付会で探し求めると、漫画「20世紀少年」との共通点が少なからずある。第一に主人公の設定が、冤罪のテロリストである。逃亡、地下水道とマンホール、整形・同じ顔、ロックにビートルズ、森の声が聞こえるという(最後は自分で否定する)予言者。警察なんか大嫌い。そして遠い昔の思い出。

 思い出とは「20世紀少年」では、主に小学校時代の秘密基地と学校であった。本作では大学時代のバイトや会話がそれに当たる。作家本人の追憶も交えているのかもしれない。と思うのは文庫本のカバーに、副題と思われるが「A MEMORY」と記されているからだ。でも、これはこの文章の最後に書くことを指しているのかもしれない。


 おそらく、一部の読者からは「20世紀少年」と同じような批判も受けているに違いない。結局、犯人はだれだ? 何だ、この終わり方は、期待を持たせておいて等々。でも、お金払って、怒ったら損でしょ。私は貧乏育ちだから貪欲であり、どんな映画でも小説でも漫画でも、どこかしら面白ければ満足である。本作も充分、楽しませてもらったから感謝する。第一、長編の隅から隅まで気に入るなどという僥倖はまず無い。

 作家が最後に触れているように、ケネディ大統領の暗殺事件が題材の一つになっている。私は、参考引用文献に挙げられている落合信彦著「二○三九年の真実」を若いころ夢中で読んだこともあって、最初のころに出てくる「教科書倉庫」でそれと分かった。ダラスで実物を見ています。

 この小説の犯人は、ケネディ暗殺犯の実態が明らかになったら、それと同じと思えばよい。まず間違いなく個人ではない。作者はそこで意図的に筆を止めているのだから、いまさら文句言っても仕方あるまい。


 それより、この本を読んでいて興味深かったのは、文中にラジコン飛行機による攻撃(今で言えば無人爆撃機やらドローンやら何やら)、監視社会(監視カメラにマイナンバー)、中韓との歴史認識および領土問題、公営カジノ、憲法第九条と集団的自衛権という話題まで出てくる。

 これは法学部卒という作家の政治社会に対する関心度の高さを示すものでもあるが、私が今更ながら考え込んでしまったのは、こんな何年も前からすでに世の中を実際ににぎわしている事柄の数々に、私たちは今ごろになって騒いでいるということだ。図らずも政治家と高級官僚の手回しの良さや粘り強さ、われら被支配者層の忘れっぽさや鈍さが浮き彫りになっている。


 スランバーが単数になってしまった事情は、作者が文庫本のあとがきで明らかにしている。ライナー・ノーツ(私が青少年だったころは、まだ誤記・誤訳だらけの歌詞カードだけだった)の誤植であるらしい。

 それにしても20回くらい原曲を聴けば複数だと分かるはずだ。作者は余り聴いていない。それより、このような単純ミスを防ぐのは編集者の責任だろう。出版元は時々仕事でその本社前を歩くので、石でも投げられると困るから悪口はこの辺で止めておくが。

 エンディングにご不満な方々は、主人公の「その後、これから」が描かれていないという点もあるかと思う。これについては、事件の20年後に、一介のノンフィクションライターが記した内容をもう一度、読んでもらいたい。彼は自分と関わったばかりに、同じ顔と同じ名で死んだらしい男の冥福を祈る。森の声は聞こえなかった。




(この稿おわり)







カクレクマノミが隠れるところ。名はキリコか。
(2015年7月19日撮影)







 Once there was a way to get back homeward.

   ”Golden Slumbers”   The Beatles


    急ぎたくても家路が無い。







































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