おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

 夏  (第941回)

 第何集か忘れたが、ケンジ少年が縁側でスイカを食い、口から庭先に行儀悪く吹き飛ばしている種に希望を託して、「これでスイカ食い放題です」と苦手の夏休みの日記に書き残したシーンが出てくる。だがスイカは育たなかった。

 私もガキんちょのころ、同じようにスイカを食ったものだ。同じく種は育たなかった。田舎の海岸沿いにある広大なスイカ畑には、無数のスイカが無造作に転がっていたものだが、良い子が待つ民家の裏庭がダメとはむごい。


 当時の子にとってスイカは、黙っていても親がタダで買ってきてくれる貴重なお菓子(デザートではない)であった。塩が甘みを増すことを教えてくれたのもスイカだった。今の関東ではアクセントの異なる交通系の磁気カードに描いてある程度で、とんとスイカを見なくなった。

 そもそも、あんな風に何かにかぶりついて食うというのを、もう何十年もやっていないな。それに木の板を張り渡した縁側が消えた。エンガワも今では寿司ネタとして名を残すのみ。しかも、かつてはヒラメだったが、寿司が回転するようになってから、こっそりカレイになったらしい。

 縁側の下はボウクウゴウのように暗く深く、小さな子供にとっては、薄気味悪い暗闇であった。探検した覚えがない。上の乳歯が抜けると、縁側の奥に投げ込んだものだ。あの風習は全国区だったのだろうか。誰かに何かに、抜けた歯を投げ返されたら怖いね。

 拙宅も実家も、もう縁側そのものが無いから試せないが、地方にはあの種の真の文化財が残っているだろうか。そうとしても、スイカの種も無くなった。種無しスイカという名乗りで一世を風靡したものだが。

 
 いきなり話題が変わりますが、沖縄の夏の海で泳いでいた時、真下の岩陰から海ヘビが姿を現した。この爬虫類を見るのは三度めで、今回は70センチくらいの青年か。白と黒の横縞が交互に並ぶエラブウミヘビである。

 前回見たとき島のご老人に伺ったところでは、いきなり咬みつくような粗暴な生き物ではないが、その毒性はあのハブの数十倍だから、触ったり脅かしたりするなと忠告された。しかし今回は、先方が真上の水面に浮かぶ私に向かって一直線に突進してくる。


 悪気はないが私は彼または彼女の通行の邪魔になりつつある。怒らせたくない。ほんの一瞬で人はいろいろ考えるものだな。私が身につけているのは、海パンとウルトラセブン型のゴーグル、あとは両足のサンダルのみ。アポロ13号と同じ窮状に追い込まれた。

 
 これと同じ軽装で、去年は正面から泳いできたホワイト・チップ・シャークと、上下2メートルくらいの距離ですれ違った。目が合ったのを覚えている。それ以降、サメが襲ってきたら、その鼻ズラを利き足の右のサンダルで蹴飛ばすと決めていた。

 最強の脚力の第一撃に失敗したら、あとは薩摩示現流と同じ運命をたどるだろう。対ウミヘビ作戦は手抜かりで立てていなかったが、時間も無い。同じ方法しかない。やむなくボートレース的に、両の掌をオール替わりに漕いで、海老のように後ろに水中を跳んだ。この間二三秒か。


 蹴りに備えて平泳ぎ風に引き寄せた脚先三寸あたりを、良い速度で蛇は真上に抜けた。ここで私の酸素が切れ、仕方なく一旦相手から目を話して頭を水上に上げた時、ちょうど海ヘビもその鎌首を目の前で海面から突き出したところだった。

 その姿は映画「エイリアン」の幼生が、副船長の中から出てきたときの禍々しい有り様とそっくりであった。幸い相手はエイリアンでもなく、魚類の海ヘビでもなかった。第一目的は、呼吸であった。あとは怒っていらっしゃるかどうか...。


 いつものごとく悪い予感が当たっていたら、たぶん今この記事を書いてはおるまい。息継ぎを終えた海ヘビは体をくねらせながら、岩の下に潜っていった。つまり、これだけの覚悟と行動を自らに強いたにもかかわらず、私は無視されたのであった。

 せめて何か教訓は残せないものかと考えてみたが、今のところ対サメ作戦の準用以上の名案は思い浮かばない。蛇はエデンの園であれほど神様を怒らせておきながら、なぜノアの洪水を生き延びたのだ? ともあれ、今年の夏も子供のころと同じように、日焼けと擦り傷くらいで過ぎていきそうな気配です。





(この稿おわり)




東京、5時半頃の夕焼け
(2015年6月27日撮影)





 そうだ
 君に見せたいものがあるんだ
 大きな5時半の夕焼け
 子供のころと同じように
 海も空も雲も僕らでさえも
 染めていくから

          「夏色」  ゆず












おまけ。これが私に衝突しそうになったウミヘビの下半身(後ろ半分?)でございます。




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