おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

珊瑚礁の大砲  (938回)

 今回は漫画と全く関係ない。ネットにも報道にも戦争という言葉があふれているので昔話を思い出し、書き留めておきたくなった。三十代から四十代にかけて海外に駐在、出張、旅行する機会が多く、その殆どがアジアとオセアニアであった。先々で遠い昔のことと思っていた戦争の遺跡や逸話に巡り合うことになる。

 駐在したカンボジアでは、90年代当時のご老人たちが「こんにちは」「ありがとう」ときれいな発音で語る。恥ずかしながら日本が占領した時代があったことを知らなかった。まして日本語教育までしていたとは。

 サイパンのバンザイ・クリフ、ロタ島の砲台。マニラのタクシー・ドライバーによると、山下大将が金塊を隠したという伝説(?)の丘、ミクロネシア近海の浅瀬に沈んでいた日本の軍用船。以下はそんな出来事の一つである。


 ただし、これから書くことが全て過去、本当にあったことがどうかは確かめようがない。語り手の女性も聴き手の私も戦後生まれで、彼女は両親か土地の年配者に聞いた話を、お互い母国語ではない英語で私に語ってくれたものだし、こちらも記録に残すことなく二十年ほど経った今、記憶をもとに書こうというのだから細部は正確ではないかもしれない。だが印象は鮮烈である。

 1990年代の前半、勤め先で事業担当をしていた国の一つに、赤道近辺の太平洋に広がるキリバスという島嶼国があった。前回出て来たギルバート・オサリバンと同じ名のギルバートというイギリス人が遅ればせながらこの島にたどり着き、それだけの理由でこの島国を支配したイギリスが勝手に彼の名前を付けた。それが現地語でなまってキリバスになった由。


 最大の珊瑚礁はタラワという名の環礁で、そこに集まって暮らしている人たちの町が、そのまま止む無く同じ名前で「首都」とされている。太平洋戦争は末期において、空襲や大量破壊兵器アメリカが十万人単位の日本人の非戦闘員を殺し続けたが、そうなる前の肉弾戦の時代において、タラワの名は激戦地の一つとして両国の戦史に記されている。

 私は数名の同朋と彼の地に業務出張で出かけた。幸い、滞在中に一日の休日があったこと、また、調査団に現地の女性と結婚している方がいらしたご縁もあって、両国代表は休みの日、ランチ・ボックス持参でピクニックに出かけたのであった。


 ちょうど、風もなく穏やかにたゆたう群青色の外洋から、薄緑色のラグーンに海水が流れ込む時間帯だった。この間だけできる浅い水路は水底が白っぽい珊瑚礁独特の砂地で、南国の太陽を反射して透明な潮の流れが輝いている。その中で熱帯魚とのんびり泳いだ。今に至るも、あれほど美しい水中の光景を見たことがない。

 遠く並んだ椰子の木の葉を白く叩きながら、スコールがこちらに向かって近づいてくるのが見える。昼食後に小屋の中で幼子を寝かしつけたその若い地元の奥様に、先日、歩いていたら岸辺で大砲を見たという話を雑談風に持ち掛けたところ、彼女が周囲を意識しつつも淡々と語り始めたのが次の話だ。遠い昔、大勢の日本軍がやって来て、突然この島を占領しようとした。


 これに対し、島の若者が二十名ほど反抗したが、全て殺された。武器も殺意もない島民の抵抗はこれで終わった。幸い日本軍の乱暴もその後なかった。しばらくは一緒に農業や漁業をしていたらしい。そして海の向こうからアメリカ軍がやって来た。

 日本軍はそれを知ると、島の人々全員を大きなタラワ環礁の反対側に避難させ、戦闘が終わるまで戻らないようにと言い遺して去った。だから島の人たちは戦争を見ていない。だが砲声は聞こえただろうし、それが止んだのも分かったはずだ。日本軍は一人残らず消えていた。話は以上である。


 彼女がこれを私に聞かせた理由を聞かなかったし、今も判然としない。少なくともこの日、昼食を振る舞ってくれた現地のみなさんが今なお日本を憎んでいるのなら、彼女と日本人の結婚は有り得なかっただろうし、それほど大きくない大砲の一台ぐらい、とっくに撤去されていただろうと思う。だいたい、ピクニックに付き合ってくれるはずがなかろう。

 観方を変えて、忌まわしいはずの占領の記憶が残るのを避けるためにも、大砲の存在は邪魔であるはずだ。戦後半世紀たっても、まだ兵器が残っているのはなぜか。この話を知らない日本人が来たとき、知らないまま帰るのを許さないためか。考えすぎか。でも若い人たちが亡くなったのだ。キリバスの男たちは関係ない戦争に巻き込まれ、日米の軍人は知らない土地に連れてこられて死んだ。


 帰国前日の夕方、もう一度、その大砲を見に行った。説明板のようなものも何もない。砂浜に下半分が埋まっているだけで、その砲は彼らが日常、小舟で釣りに出かける大きな海に向かって沈黙しているばかりである。一般に珊瑚の島は沈下と波の浸食で、砂浜が失われやすいと聞く。あの大砲は今もなお立っているだろうか。

 小学生ぐらいの少年が二人、浜辺の白砂を踏みながら肩を組んで歩いてきた。まだデジカメもない時代で大きな一眼レフを向けたら、二人は破顔一笑し、かといって立ち止まってもくれず、撮りたきゃ勝手に撮れという感じで目の前を歩いていく。勝手に撮った赤銅色の笑顔二つ、今ごろは赤道直下の大海原で弾丸のような鰹を釣っているに違いない。






(この稿おわり)








名前を忘れましたが熱帯魚
(2015年6月13日、スカイツリー水族館にて撮影)











 でも誰より 誰よりも知っている
 砂にまみれて 波にゆられて
 少しずつ変わってゆくこの海を

          「島人ぬ宝」  BEGIN













































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