おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

フォークの時代 (936回)

 先日、新橋のガード下を歩いていたら、道沿いの居酒屋の入り口から、井上陽水の「傘がない」が大音響で流れてきた。いきなり冒頭のあの歌詞とは恐れ入るが、私や少し上の世代を呼び込もうという戦術であろう。曲を忘れたが、隣の店も負けじと同時代のフォーク・ソングを流している。

 なぜか東京は若いころ渋谷で遊ばねばならず、サラリーマンになると新橋で呑まねばならず、引退すると巣鴨でお参りをしなければならない。映画「20世紀少年」には無闇に巣鴨の商店街の入り口が出て来たが、あれはなぜだろうか。おそらく他の場所で無造作に撮影すると肖像権がどうの、誘拐が怖いだのとクレームが出そうだが、巣鴨族はその点、寛大なのだろう。

 
 流行り歌の歌詞がずいぶん昔と変わったと何度も話題に出したが、今日はその極め付け。当方が青少年だったころのフォークや演歌には「死」や「自殺」という言葉が当たり前のように出て来た。今はまず聞かないように思う。今のテレビで「観ない奴は死刑なのだ」とやらかしたら、抗議殺到なんだろうな、きっと。

 漫画「20世紀少年」にも映画のほうにも、「殺す」とか「死ね」とか何度も出て来た。実際、私らお子様たちは、そういう気合の入った言葉を漫画のみならず、ヤクザ映画や時代劇でも存分に聞かされ、まっすぐに影響を受け日常用語として使っていたのだが。歌詞やセリフも真似た。おらは死んじまっただとか、死んでもらいますとか。現代では、そもそも人の死と滅多に巡り合わない。幼いころ葬式があるたびにしょっちゅう祖父母に連れまわされ、お寺の畳に正座で苦労していた日々とは大違い。


 現代日本はこういうネガティブな言葉(とも思っていないのだが)を使ってはいけない。それから、若くないといけない。あるいは若々しくないといけない。あれはなぜだ? 年相応であることに逆らうという目的で、皆さん、どれだけ金と時間を浪費しているのだろう。

 そういうこだわりのある人たちだけで満足してくれるならまだしも、他人にも押し付けてくるので困ります。自分を例に挙げるのが一番無難だろうな。36歳のとき自分自身のことを「中年」と呼んだら、二十代後半の女性に「冗談じゃない」とかなり本気で否定されてしまった。36歳、妻子持ちが中年でなくて、いつどこで中年になれるのだ。中年という言葉さえ消えたか。


 バンバンは就職が決まったとき、もう若くないと歌っていたのに。今の私はもうすぐ55歳で、間もなく親父の代なら定年退職だから、自らを「初老」と呼び、しばしば老化現象の話題を出すのだが、上からも下からも嫌われ否まれ立つ瀬がない。

 きっと上の人は自分がもっと歳だと言われているようで嫌なのだろう。下の人は遠からず追いつく日に備えて、今からこいつを黙らせておこうという魂胆に相違ない。人生が二度あれば良かったのにね。


 私たちが若いころ、「お前は若い」と言われるのは褒め言葉ではなかった。社会人として未熟であるという侮辱か、気のおけない仲なら軽いからかいの言葉として使われていたものである(ただし男子専用)。

 時は流れ、化粧も整形も技術革新が進み、特にここ東京では年代不詳の人が増えた。共通の話題を探るのに一苦労である。あんまり皆して若返ると、年金の受給年齢がどんどん上がりますから留意しましょう。


 いつごろから、こんな完全滅菌型の時代になったのだろう。学生時代だったか、吉田拓郎の「自殺の詩」を番組の冒頭に黙って流したラジオ局に、本当に死んだのかと問い合わせや抗議が殺到して大騒ぎになったと聞き呆れたものだが、それさえ今は昔の物語。

 中島みゆきに至っては「生きていてもいいですか」であった。返事に困るだろうが。同様の質問は都はるみの「北の宿」でもあり、良かれ悪しかれ人々は死を見つめながら暮らしていたのだが、今ではできるだけ目をそむけている。

 手塚漫画も黒澤映画も宮沢賢治の作品も、死に満ちている。「火の鳥」には死ぬことさえできず苦しむ男たちが登場する。幸い私たちには、その手の悩みが無い。いつか来る終わりのことを考えなければ、「永訣の朝」も「生きる」も輝きを失うだろう。その日が来るまで、わたくしもまっすぐにすすんでいくから。





(この稿おわり)




みんなみんな 生きているんだ ともだちなんだ
(2015年5月24日撮影)









 どんな運命が
 愛を遠ざけたの
 輝きは戻らない
 私がいま死んでも


    「翳りゆく部屋」 荒井由実











































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