おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ロックの時代  (第935回)

 60年代はロックの時代であったとケンヂおじちゃんは姪のカンナに言い残した。その根拠はあまり詳しく説明されていないが、この時代の象徴的な出来事としてウッドストック・フェスティバルが語り継がれ、再現されることになる。他方で私にとって60年代の世界は、ここであれこれ書いてきたように戦争の時代だった。

 ロックの隆盛と戦争が、特に1960年代の後半において不可分の動きであったことは、今さら再確認するまでもあるまい。愛と平和を叫ぶロッカーに若者は未来を託した。託されたほうは大変な重荷を背負い、酒と薬におぼれ、第11集のケンヂの表現によれば、「すごいミュージシャンが何人もドラッグで死んだ」。生き残った運の良い者がジジイになってもロックをやっている。

 
 われら日本人の平和ボケも来るところまで来たようで、平和にすら倦み、挙げくの果てに内閣・与党が、憲法学者に国会で叱られるとは前代未聞。しかし、みなさん総理大臣の個人攻撃に偏り過ぎていないか。彼が早口で棒読みしている文章は本当に彼が書きたくて話したくて、自ら書いたものだろうか。

 人を外見で判断してもよいならば(往々にして当たっているものである)、どうみたって首相がチンギス・ハンやナポレオンのように、軍事で他国を圧倒したくてたまらず座っている場合じゃないというほどの気迫も行動力も才覚も存分にあるようには思えない。右傾化した我が国の単なる人気取り政策か。口先程度のポピュリズムだけで済むのなら、戦争よりはまだましなのだが。


 多くの人が指摘しているように、首相がお好きな後方支援というのは、戦争が始まったら(あるいはすでに戦争中なら)、立派な参戦である。せっかく敷設した機雷を除去されたら、相手はどう考えるか。そもそもアメリカを敵国と見なしている国は、集団的自衛権の行使を自衛隊に認めた途端、自衛隊を敵軍とみなすはずだろう。私が米国の敵ならそう考えて行動を起こす。

 昭和期の帝国陸海軍は兵站を軽視し無視して、ガダルカナルを餓島に変えた(後方支援と呼ぶよりも、兵站という言葉のほうがまだましだ。戦争に前も後ろもない。敵はどこからでも攻めてくる)。歴史は不都合なところでばかり繰り返すらしい。


 ベトナム戦争で、一人の軍人を最前線に送り出すにあたり必要となったロジスティックス要員の頭数は、おおむね7人から11人だった。軍属と呼ぼうが仮に兵器を持たなかろうが、頭に血の登った相手からすれば、みな敵軍である。

 ネット・ユーザーも目出度い連中が多く、自衛隊員の手当を増やすべきだなどと真剣に議論している。前にも書いたが自衛隊だけが当事者であり、犠牲者の候補だと本当に安心しきっているのだろうか。武器を持たなくても無人機を飛ばせる時代である。私程度でも会計や在庫管理ならできる。そして、それらは戦場でも必要だ。


 砲撃と白兵戦の時代だった日露戦争の陸軍でさえ、後半では若い兵員が不足して補充したものの、連隊の平均年齢が45歳だったという例もあったと聞く。ネットは匿名で書き込んでいれば大丈夫だと本当に思っているのだろうか。物騒な予告を書き入れた者が威力業務妨害とやらで、あっさり御用となっているのだが知らないのか。国家権力を舐めてはいけない。素人相手なら、個人の特定くらい訳はない。

 いたずらに他国を侮蔑し、戦争反対を唱える人たちを罵詈雑言で蹴散らしたつもりでいるひとは覚悟しておいた方が良い。兵が不足したら真っ先に前線送りだ。すでに戦犯なのだから。足手まといになるだけかもしれないが、敵の弾薬を減らす標的にくらいはなれるだろうと考える人たちがきっといる。もう手遅れです。


 前の話題に戻って、こんなに急いで何処にいくのか。誰が急がせているのか。カツオのじいちゃんが「進駐軍」と呼んだ連中は、敗戦国日本の軍隊の解散と東京裁判という復讐だけをしに来たのではない。彼らは誰が戦争を支持していたか的確に把握していたようで、財閥や報道機関を解体し、公職追放の嵐を吹かせ、ご利用便利なコンビニ国に作り替えて、気が済むまで好き放題して帰って行った。

 東日本大震災まで、業界別でマスメディアの最大のスポンサーだったのは何処の誰だったか。政治献金がどこから来ているのか。大本営発表大本営が国民に直接伝えたのではない。

 日露開戦を主張しにきた帝大の教授を追い返して、大山巌は「今日はバカが七人来た」と語ったらしい。肩を持つつもりもないが、得をするのは総理個人ではない。古典的なミステリでは、その被害者が殺されて一番の利益を得るものが怪しいということになっている。


 一方で戦争は、ものすごくお金がかかる。日系移民が南米を中心にあれほど大勢いる理由のひとつは、私が大学で専攻した日本経済史の講義やゼミによれば、明治時代が第一波の移民時代で、あまりの重税に耐えかねて国を去らねばならなかったらしい。坂の上の白い雲を目指して登るためには、大変な燃料代が必要なのだ。

 その後の日本も今の日本も、国庫はすっからかん。何とかしようとした高橋是清井上準之助がどうなったか、今の高校や大学では教えないのだろうか。都合の悪い近代史を教えない政府とは何か。

 戦争はその準備段階において、まず自国民の収奪から始まる。そして、司馬遼太郎が語り続けたとおり、軍人とは、敵を殺す権利を持つ者ではなく(それは、むしろ義務なのだ)、部下を殺す権利を国家から与えられている者である。


 どこかで兵隊さんが倒れ、別の誰かが儲かる。アイゼンハワー軍産複合体と呼んだ。まことに具合の悪いことに、かつて金融機関に勤めていたころの私と同様、その中で働いているひとの多くは、自分が苦労しているだけの勤労者であるという認識しかなく、結局どこの誰に与しているのか知ろうともしない。

 湾岸戦争が終わったころ、私はロックから離れてしまった。きっかけの一つは今でもはっきり覚えていて、サンフランシスコのケーブルTVで観た当時大評判のロック・バンド「ニルヴァーナ」の良さが全く分からず、もうついていけないと思った。ケンヂがバンドを解散したのも多分、同じころで、勢いあまってカラオケまで自粛した。これでいいと言い聞かせて過ごしてきた。


 普通はそのまま歳を重ねていく。ところが前出の第11集は、血の大みそかの夜に一番街商店街で、ケンヂがカンナに「怖い」「弱い」と嘆きながら、へこたれている場面が続く。だがどうやらデジャ・ブなのか、「最近になってまた聴こえ出す」ようになった。

 ジャンピング・ジャック・フラッシュ、パープル・ヘイズ、ライク・ア・ローリング・ストーンとくれば時代を揺るがした名曲ばかりだ。とうとう彼も無敵となり、ラブ&ピースを一時停止することになった。

 歌を歌っているものを撃ってはいけないのなら、まだまだ死ぬわけにはいかなかったのだ。お次の選挙では、またよく考えようぜ、ご同輩。なお、憲法違反かどうかの判断は最高裁の専売特許なので念のため。憲法学者でも官房長官でもマスコミでもない。





(この稿おわり)







イカを食べてた夏休み (2015年5月21日)














 かくされた悪を注意深くこばむこと

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         谷川俊太郎 「生きる」より抜粋










































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