おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Constitution  (第929回)

 R.E.M.が前回の曲をマンドリン演奏で歌っていたころ、私はベイエリアやSF空港を見下ろすサンフランシスコ郊外の丘の上に住んでいた。ある日、大家さんから夕食のご招待があってお邪魔すると、幼稚園児の娘さんに紹介された。共通の話題がない。やむなく、話の糸口を求めて「今日はキンダーガーテンで何を習ったの?」と訊いてみた。返答は今日のタイトル。憲法であった。

 しばし絶句した後、糸口探しは放棄して「それはすごい」と口を濁して退散しました。アメリカの憲法なんて、日本のと違って修正条項があるというくらいの知識しかないのだ。一夜にして幼稚園児に抜かれた。それは止むを得ないとして、幼稚園で憲法を教えるとは、さすがアメリカ合衆国


 多くの人種と宗教が入り乱れ、歴史が浅く領土は広大であり、州の独立性が高くて州ごとに税率も刑法も異なる(合州国とも言える。英語ではそもそも、こちらです)。日本人は物心ついたときには、もう日本人になっているのだが、アメリカはアメリカ人を製造する必要があるらしい。ちなみに、このころ働いていた職場のビルから歩いていける距離に、戦争記念オペラ・ハウスという劇場があり、ここで1952年にサンフランシスコ平和条約が締結された。これを機にGHQが解散し、日本は占領下の時代を抜け出した。

 今の憲法アメリカに押し付けられたという意見は、なるほど出来た当初はGHQ時代だからそうだったろうが、その後、半世紀以上、一字一句たりとも追加変更しなかったのは、どう考えてもその間の有権者の総意である。護憲という不思議な言葉まである。法律の親玉だから「守る」なら分かるが、「護る」とはずいぶんとフラジャイルなものらしい。


 憲法を話題にしようと思ったのは、先日(4月28日)のネット記事で、連立与党の小さいほうが記者会見で集団的自衛権に触れ、自衛隊の危険の拡大に関連して、「覚悟しないといけない」と語ったと読んだときだ。誰が覚悟しないといけないのかは書いてなかった。翌日の我が家の新聞で詳細を確認しようとしたが、5ページ目に小さく日米合意に野党反発という記事があるだけで、この発言自体が触れられていない。

 ネットの書き込みなどを読んでいると、批判者の中には、政府が勝手に集団的自衛権を作り上げようとしていると誤解されている方がいらっしゃるが、これは間違いで日米安保条約の前文に、日米両国がお互いの個別的または集団的自衛の権利を有することを確認し合っていると明記されている(和文の安保条約は外務省のサイトで読めます)。そういえば私が小学生のころ、勉強もせんと安保反対を叫んで機動隊に火炎ビンを投げていた連中がいたが、今回は大人しくないか。肩が衰えたかな。


 本来の問題点は集団的自衛権そのものではなく、上記の記者会見にあるように自衛隊の関わり方だ。これが難しい。まず、集団的自衛権という概念の良し悪しが私にはよくわからない。いや、良し悪し以前の問題で、そもそもどんなものなのかも分からぬ。乱暴な言い方になってしまうが、私の頭では、何か事が起きてからでないと理解できそうにない。したがって、ここで問題にするのは手続きである。

 ここでいう手続きというのは単なる事務作業のことではなく、意思決定およびその実行のプロセスである。法律家はこの手続きを重視するらしい。法律で何もかも規定するのは無理であるから、個々のケースにおいては「どのように決めたか、進めたか」を疎かにできない。下手すると裁判に負ける。典型例が解雇だろう。


 今回、連立与党はまずアメリカとの間で、防衛指針を改定し、しかる後に個別の法律を準備するらしい。多くの反対論者は、憲法に関わる事柄だけに、このやり方がいけないと主張している。一部の政治家や高級官僚や学者だけで、憲法の解釈を変えるのは駄目ということだ。私も今の時点で、同じように考えている。事が起きたらと先ほど書いたが、例えばアメリカから戦争を手伝えと言われて日本政府は断れるだろうか。

 近年のアメリカが戦争やらテロリズムやらで戦っている相手は、西欧諸国が自分たちの都合の良いように作り上げて来た国際法を重視しているような感じではない。まして日本の憲法や安保協定に何が書いてあるかなど知ったことではないだろう。抑止力を期待するのも限度がある。そんなところに戦場に自衛隊が現れたら、あの軍備だから(軍備ですよね、どうみても?)、敵は日本が参戦したと考えると思う。ISのテロがあったばかりではないか。


 ネット上で近隣国との領土問題を題材に、戦争も辞さずと勇ましいことを書いている方々には、第7艦隊と安保があるから無敵だと主張しているのが散見されるが、確かに第7艦隊は強かろうし、自衛隊の武力と規律も世界屈指だろうと思うけれども、それらが「ある」だけで必ず勝てると本当に思っているのだろうか。

 安保の条文は、どう読んでも日本が戦争に巻き込まれたとき、アメリカが必ず助けに来てくれるという白馬に乗った王子様のような約束事はない。「要請により協議する」と書いてあるから、相談には乗ってもらえそうだが。集団的自衛権も文字どおり権利だからして、お互い行使するかどうかは判断次第であって義務ではない。この海岸線が無闇に長い島国を、自衛隊だけで常に完全に防衛できるのだろうか。覚悟しないといけないのは、どうやら私たちのことらしいな。


 憲法以外の法律は、その名のとおり立法府たる国会が作ったり直したりする権限と責任がある。だが、憲法は違う。憲法にそう書いてあるのだから間違いない。改正は国会が発議し、「国民に提案してその承認を経なければならない」のである。ようやく先年、憲法改正のための国民投票の法律を何のためか知らないが慌てて作ったのに、早速、反故にするらしい。

 この改正規定は単に憲法が最重要・最高位の法律であるからだけではなく、他の法律と異なり、国民が作ったからだ。「とにかく読みづらい」と酷評され続けている日本国憲法の前文にそう書いてある。読みづらいのは、まず間違いなく占領下に英語から直訳したせいだろうが、わずかに長所もある。英語の文法は日本語のそれより遥かに厳格であり、大原則として主語と述語がある。語順も決まっていて、飾りじゃないのよ涙はというような表現は文学ならともかく、日常会話では稀である。

 
 特に、主権在民を謳った肝心かなめの最初の一文が格別に読み辛い。読むなというメッセージであろうか。しかし、幸いなことに元英語だけあって、主語と述語がはっきりしている。主語は冒頭の「日本国民」である。

 述語は日本語版だと分かり辛いが、英語版では明確である。根幹となる二つの動詞が「do」で強調されているので間違いない。二つの述語とは、主権在民を宣言することと、この「憲法を確定する」ことである。憲法を守るのは誰かというと、主権在民を宣告された国家権力である(そうは書いてないが、そうとしか読めない)。

 アメリカの幼稚園児と異なり、私は青少年時代の教育制度の下で、憲法の内容について習った覚えがない。中学の公民の教科書に、前文が載っていたのを覚えているが、授業では取り上げなかった。西暦2000年以降の現代史が2ページしかない教科書の話が出てくる漫画を知っているが、今はどうか知らないけれど、当時の日本もたいして変わらなかったのだ。


 十数年前、当時の文部省の若手のお役人さんが少し悔しそうな感じで、日本の小中学校ではイデオロギーに関わりそうな教育はできないのですと言ってみえたのを覚えている。日本の憲法は成立の経緯抜きでは教えても薄っぺらな情報しか伝わらないだろうし、経緯を語るにはそれまでの歴史やイデオロギーに触れない訳にはいかない。

 これは憲法の構成をみても分かる。第一章が「天皇」で、第二章が「戦争の放棄」なのだ。しょっぱなから、こういう章立てになっている憲法が他に世界のどこかにあるだろうか。ちなみに、第二章は唯一つの条項しかなく、それが第9条である。戦争は国民が放棄したのだ。それを、わざわざ拾いに行くお積りか。


 先ほど話題にした「翌日の新聞」(4月29日の朝刊)の第1ページは、TPP進展のニュースで、うちの総理大臣と、世界大統領的な大統領が握手をしていなさる写真も載っている。

 TPPと集団的自衛権の交渉が日米間で同時並行で進んでいるのは、まさか偶然ではあるまい。普通に考えて、これほど大事なことは通常、単独でじっくりやるものだろう。さぞかし私の知らないところで、派手なバーター取引が行われているだろうと想像する。
 

 五十代になったころから、この人生が終わりを迎える前に、日本の憲法について議論したいと考えるようになった。議論の結果、変わらなくても構わない。これだけ国内外の社会経済が変化し、世代も入れ替わり、私も皆さんもいろんな経験をしてきた。語りたいと思いませんか。もうすぐ憲法記念日です。祝ってばかりの場合でしょうか。

 例えば、少なくとも災害救助の分野では、なくてはならない存在であることがしっかりと認知された自衛隊のことを考えたとき、第9条の表現はこのままでよいのだろうか等々。それとも戦争と引き換えに主権を放棄しますか。能動的にそうしなくても、このままだとなし崩しにそうなる。


 先ほどの個人的バーター疑惑について、報道や財界が両事案に対し妙に無口なのは、それ相応の理由があるのだろう。この国では民主主義政治よりも自由主義経済が優先するらしい。最大与党名の語順が示すとおりである。

 さらに、ただでさえ安保と実績の積み重ねとで、一部の国土につき実質的なアメリカの治外法権を認めており(米軍基地のことです)、今度はTPPで関税自主権まで取り上げられようとしている。井伊大老の昔に逆戻りだ。こんなのは俺達が夢見た未来ではない。何とか若い人たちに問題意識を持ってほしい。




(この稿おわり)






上:近所のツツジ。下:近所のハナミズキ。少しでも気分転換を。
(2015年4月28日撮影)









 You say you'll change the constitution.
 Well you know.
 We all wanna change your head.

     The Beatles  ”Revolution”




































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