おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

不必要  (第927回)

 本日も雑談です。最近あまり「不必要」という言葉を聴かなくなったような気がする。単なる気のせいだろうか。むかしは不要や不用という言葉よりも、不必要のほうが一般的だったような覚えがある。日本語はどんどん短くなっていく。話し言葉・書き言葉から、タイプ言葉に変わりつつあるからだろう。

 お喋りや文書のやりとりが、通信に取って代わられつつある。他の言語はどうなのだろう...? ともあれ、映画で中学校時代の”ともだち”が、「必要?」「不必要?」と悩んでいるのを聞いて、ふと若い世代には不自然に聞こえるのかなあと思った。漫画では不必要の替わりに「必要じゃない」となっている。


 第21集および「21世紀少年」の下巻に、中学校でのよく似た場面が出てくる。屋上らしき明るい方向を目指して、お面をかぶりながら階段を登っていく少年の姿である。僕は必要なのか必要じゃないのか、今の世の中は必要なのか必要じゃないのかと、本人は辛いのだろう。実際、花占いのような風情はなく、緊急事態になっている。

 常に必要不可欠な人間も、逆に常に不必要な人間もいないのだが、一旦こういう狭隘で二者択一的な思考回路に陥ってしまうと、堂々巡りのまま段々と悪い方に思い込みが偏ってしまう。こうなったら(自分で気づけば良いが、周囲にそういうことを言う人がいる場合も)、即座に精神・神経科の専門医に相談することをお勧めする。この漫画のような行動に走りかねないのだ。

 
 この二つの場面はそっくりなので、たぶん実際にあったことだと考えよう。下巻はヴァーチャル・アトラクションの中のようだし、第21集もそのすぐあとに目覚めたばかりらしいパジャマ姿の”ともだち”が「今日がその日だ。」を意を決したように述べていて、直前まで見ていた夢の中の出来事のようにも思える。

 この漫画はこういうパターンが好きで、それとは別に予知夢も多いものだから、実際あったことを夢見たのか、虚構の夢なのか判別し難いものがある。例えば蝶野刑事の村人がグータララを唄う夢とか、コイズミのエロイム・エッサイムズと十字路の悪魔についての夢がそれである。本当にあった出来事がそのまま夢に出てくることはまず無いそうだが、ここではあったことにしないと話がつまらなくなってしまう。


 このハムレットのような自問に対し、第21集の結論はその後の当人の言動からして明確である。下巻では、はっきり示されていないが、ヴァーチャル・アトラクションが過去の現実どおりという前提に立っている限り、こちらも悲観的な答えを出してしまったに違いない。ただし、決断どおりの結果には至らなかったが。

 中学生がこの悲惨な結論を出さざるを得なくなった事の発端は、この時かぶったお面にまつわる小学生時代の事件ということになるのだろうか。わざわざ階段でお面を付けたのは、ここで計画中のような行動を見せしめ的に取ってしまう場合の遺書のようなものか。しかし、お面をはぎ取られたのは5年生で1970年、この第21集は第1集のプロローグと同じ日時だから、1973年の昼休みである。


 いずれも夏服だから、ちょうど3年間。彼はその間、何をしていたのだ? 映画や多くの読者諸兄が解釈したように、不登校になって夜の理科室しか来ないから、幽霊の評判が立ったのか。いちおう筋が通る感じではあるが、でも、この日は学校の廊下を歩いているし、別に幽霊扱いも驚かれもしていない。

 案外、授業には来ていたのではないか。でも「おまえは今日死にました。」と宣告されて以降は死んだ人間となってしまい、昼夜構わず幽霊になったのではなかろうか。というのは私や彼の年代では、不登校が各クラスに一人ぐらいいても不思議ではないような時代ではなかったと思うのだ。


 当時と言っても自分自身の経験で語るしかないが、私の同級にしろ同学年の別クラスにしろ、近所の子供たちの学級にしろ、長期的な不登校というのは、小学校から高校まで見たことも聞いたこともない。少なくとも覚えがない(ただ下級生が一人、病気で亡くなった)。中学のクラスメートが一人だけ、半月ほど来たり来なかったりという状態になってしまったことがあったが、担任と同級生と部活仲間が寄ってたかって元に戻した。

 私も偶然、席が近かったので休み時間に五目並べなどして遊ぶようになった。先生や当人に頼まれた訳ではなく、ましてボランティア意識に目覚めたのでは更になく、何となくそうした。奴はなかなか五目並べが強いのであった。当時は不登校という「状態」を表す言葉よりも、登校拒否という反体制的な「行動」を表す言葉を使った。それくらい珍らしくて、放置できない感じだったな。


 第21集によると、”ともだち”はこの日、友民党政府ビルの「放送室」に陣取り、なぜか「20世紀少年」のレコードをBGMに流しつつ、「やあ、みんな」で始まる品のないスピーチを行っている。彼がまず伝えたかったのは、世界がずっと僕の才能を認めなかったという点であった。

 確かに世界中が感服するような才能があるとは思えないが、それにしても一応は世界大統領になったし、火星移住計画も発表したことだし、「しんよげんの書」の実現はまずまず順調だったように思うのだが。ただし、世界大統領が世界征服者を意味するならば、国連もヴァチカンも元気なので、世界征服には程遠い看板倒れの現状が厳しかったか。どうやら本当に傷つき怒っている様子である。


 それに続いて「僕は必要だけど、この世の中は必要じゃない」という、前項とは何の脈略もない価値判断に飛躍してしまう。どうも結論ありきの言い振りであり、彼の希死念慮は他責他罰の極地に反転したらしい。一時期わが国で、妙に続発した「誰でもよかった」という凶悪犯罪と同じような心境か。更に、でもまだ遊びたいという往生際の悪さを見せて権威は地に墜ちた。

 ところでこの「必要」というキーワードは、例えば第13集で春さんが、今の世の中に警鐘を鳴らす彼の音楽が必要なのだと言っていたものだ。まだグータラ節を聴く前のはずであり、知っていたら、もう少し慎重な言葉遣いになっていたかもしれない。逆に、この曲の真意を見抜いたうえでのことだとしたら、さすがは元同僚である。


 ところで、この中学生時代の”ともだち”に「必要」という言葉を与えてしまったのは、まず間違いなくケンヂ本人である。第21集を見ると、「第11話 仮面の告白」において、印象の薄い後頭部が「また、同じような毎日だ」と心の中で呟きながら廊下を渡りゆく。カレンダーが真っ白なのだが、この様子では孤独というより退屈で厭世的になっているようにもみえる。

 俺はやると飛び出してきたケンヂと、引き止めようとするヨシツネの揉み合いは、「ほっときなさいよ、バカなんだから」というユキジのごもっともな裁定で終わっているのだが、巡り巡って放っといた結果は散々なものとなった。でも仮に、ケンヂが放送室ジャックを止めていたら、彼はもっと悲惨な心境に陥っていたかもしれない。


 どうやら歩みを止めてヨシツネとケンヂの騒ぎを聞いていたらしい少年だが、シングル・レコードをひっつかんだケンヂは「これが必要なんだよ。今の世の中、これが」という根拠不明の選手宣誓をしたまま去ってしまう。このあと少年の「僕は必要?」「今の世の中は必要?」が始まり、階段を登り始める。きっかけは「20世紀少年」だったのだ。

 ケンヂいわくロック・ナンバー「20世紀少年」は今の世の中に必要らしく、実際に屋上で聴いてみたら悪くないので帰り道に声をかけたのだとしたら、道理で(ひねくれてはいるが)、「僕こそが」と威張る訳である。ケンヂの意に反して世の中もユキジも変わらなかったが、屋上で「僕」は必要であるという結論に切り替わったらしい。

 T.Rexの歌詞には、脚韻好きのマーク・ボランが作ったため「20世紀のオモチャ」も頻出する。ジジババの店で売っていたハズレ付きの菓子は、運命の日、二人の子に景品のオモチャが当たってしまった。それにしても、彼だってケンヂの万引きを黙っていたのだし、読者の知る限り、その後に彼をイジメたのはケンヂではない。何かまだ忘れているような気がします。



(この稿おわり)





最寄りの駅前。春になれば柳が新芽を吹く。これも楽しみの一つ。
(2015年4月11日撮影)




 
 同じ時代に 同じ季節を
 過ごしてはきたけど夢が違った  

   同じ時代に − 柳ジョージ&レイニーウッド




 
It's the same old thing as yesterday.

      ”King of Pain”  by The Police


































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