おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ホームレスの大みそか (20世紀少年 第915回)

 愛読者諸賢におかれましては、せっかくの年の瀬に何だこのタイトルはなどと心の狭いことは仰るまいと思って選びました。漫画では今日から明日にかけて、秘密基地の仲間は忙しい。

 しかし、20世紀の終わりに彼らを救い、ケンヂにいろんなことを教えてくれたというホームレスの皆さまは、神様が持ち込んだ大画面のテレビで紅白歌合戦など観ている。大トリは春波夫「ハロハロ音頭」で紅白には珍しく、みんなで歌って踊れる曲なのであった。


 以下はすでに書いたように思う。ホームレスとは文字どおり、定住用の家屋(ハウス)のみならず、家族や家庭(ホーム)を持たざる人々である。30年余り前に東京で働き始めたころ、帰宅や買い物の際に、ときどき古かった頃の上野駅で乗り降りしていた。

 そのころホームレスという英単語が一般化していたかどうか記憶にないが、上野公園にブルーシートの仮設小屋が林立していたのを覚えている。1990年代に新宿に転勤したころには、新宿駅西口の通路が通勤帰宅の途上にあった。


 ここにもホームレスのダンボール部屋がたくさんあったのだが、ある日とつぜん消滅した。一説によれば、東京都庁さんが引っ越してみえたからの由。今では拙宅から遠からずの位置にある隅田川のコンクリ打ちっぱなしの堤防に住んでいなさる。行く先々、どうも私は何かの縁があるらしい...。

 今日こんな話題を選んだのは、朝のニュースで渋谷のホームレスを本日「撤去」するという記事を読んだのがきっかけになっている。確かに渋谷にはホームレスが増えたように思う。そう感じたのは、半年ほど前から月一回くらい、所用で朝の道玄坂をエッチラオッチラと登るようになってからだ。


 その記事によると、この掃討作戦は数年後の東京オリンピックに向けたお化粧の一端ではないかという。確かに街がきれいになること自体には、私も異論などない。だが、この時点で彼らを実力行使で特定の場所から締め出したとて対症療法にすらならない。

 何年か前の「年越し派遣村」を思い出す。この寒空に出て行けという組織決定を平気で下す者は、アリとキリギリスの意地悪アリさん達と似た者同士だ。それに上役の命令でホームレスの追い出しに従事しなければならない治安当局の皆さんは、散々な気分で年末年始を迎えることになるのではないか。

 正義の味方を志したはずが、警察なんか大嫌いなどという言葉を背中に浴びせかけられたまま、年の瀬を迎えなければならないとしたら何とも気の毒である。せめて暴力沙汰や火事などが起きないようにと願うほかはない。


 写真はこの年の暮れに、早起きして撮った夜明けの東京である。ちょうど去年の今ごろ大瀧詠一の訃報を聞いた。早いものであれから一年経つ。

 何かいいことがあったろうかと考えてみても、思い出すのは病気や苦労ばかりだが、どうやら図々しくも逞しくも生き延びたぜ。


 まずは、それを以って良しとしよう。学生時代に買った革ジャンも、両袖のボタンの糸がヨレヨレになり、全体に持ち主同様クタクタになっているが立派に現役である。ケンヂの野球帽みたいに。

 来年は新たに始まる仕事が二つある。世の中はまだまだ私を働かすつもりのようだから、受けて立たねば働きたくても働き口の無い人たちに顔向けができない。そのうちなんとかなるだろう。これでいいのだ。20世紀少年は根拠もないのに楽天的なところがある。




(この稿おわり)






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    「冬のリヴィエラ」   森進一
         作詞 松本隆
         作曲 大瀧詠一