おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ケンヂおじちゃんの誕生日  (20世紀少年 第902回)

 今日も雑談。8月20日はケンヂおじちゃんの誕生日。漫画の中の2014年8月20日の東京は異常な寒波に襲われて、当日おじちゃんが消え去った新宿に七龍のラーメンをお供えにでかけたカンナは冬服であった。

 服装については、ともだち歴3年の同じ日に武装蜂起改めコンサートがあったのだが、人々の服装はバラバラで季節感に欠け、どうやら戦闘行為や”ともだち”との関わりがない人ほど薄着のようである。


 あの戦争が終わった日は暑くてセミの鳴き声が激しかったと、私の両親やそれ以上の世代の記憶に強く残ったらしい。玉音放送は盛夏の正午だった。太平洋戦争は3年8か月続き、その間に夏は4回来ているのだけれど、みんな最後の夏だけを語る。戦争中は暑い寒いどころではないのかもしれない。

 今年の東京の夏は格別に暑い。気温だけでなく、雨も降らないし(今年の西日本は豪雨で大変だ)、風も吹かない。当家は通常だと夏の午前中は窓を開けておくと執務机に風が吹き抜けるため、昼までは外に水を打っておけば冷房不要であった。今年は風がないので、しかも午後に風向きが替わるのは例年通りとあって、一日中クーラーを入れている。電気代もバカにならないし体調も今一つだ。


 漫画「20世紀少年」も少年時代は季節感が豊かで、遊びまわっているのは常に夏休みであり、秘密基地が壊されときは冬だ。セミの鳴き声も途中でミンミンゼミからツクツクボーシに交代するなど芸も細かい。

 後半は人心が荒み、それでもサナエやカツオは薄着なのに、ケンヂたちはコートを羽織っている。”ともだち”に至っては年中、同じスーツ姿であり、お面も含めてファッションの興味もセンスもない。


 誕生日の誓いというのを前にここで書いた覚えがある。いにしえより、一年の計は元旦にありと申すものの、だいたいみんな元旦は本人も周囲もだれていて、酔っぱらったりゴロ寝してたりで気合が入っていない。初詣も現世利益のお願いばかりでは「計」とは言えまい。

 この点、誕生日であれば誓いを果たさないと翌年、嫌な気分で自分一人だけで誕生日を迎えることになるから、約束の日として有効であると先輩から聞いた。なかなか理にかなった発想ではないか。

 だが私は試したけれどダメであった。改めないといけないことがたくさんあり過ぎて、そのうちどれを誕生日に誓ったのか一年後に覚えていない。これは誇張ではなくて、本当にそうなのだ。情けないけれど現実である。


 3月10日の東京大空襲は、この日が陸軍記念日だったからという説がある。私はアメリカ人がそういう発想をするほど歴史感覚が鋭いとは思えないので支持しない。

 それに1905年3月10日は日露戦争で「奉天会戦に勝利した日」だそうだが、この日の夜にロシア陸軍が後方に撤退しただけで戦争は終わっておらず、だから海軍もポーツマスでもあれだけ焦り苦労したのだ。何事も日付に頼ったところで意味はない。カンナの武装蜂起も計画倒れに終わった。だがウッドストックの再現なら、彼の誕生日のプレゼントとしては悪くない。

 かつて万事あっさりしている先輩が、一緒に計画してきたプロジェクトの記念式典の日を選ぶにあたり、手帳を見ながら「この日にしようか、大安吉日だし」と言い、喜んで賛成したのはもう遠い昔のことである。1959年8月20日は大安であった。



(この稿おわり)




上野不忍池  (2014年8月10日撮影)







 この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日    俵万智
























































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