おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

エボラ出血熱のことなど  (20世紀少年 第899回)

 3年くらい前にこのブログでエボラ出血熱のことについて書いた覚えがある。ウィルス性の伝染病で、文字どおり出血して死に至る病である。これが”ともだち”の全身から血が出る何とやらのモデルになったのではないかと書いた。1995年ごろ本や映画にもなった。

 少し前にも触れたが、またこの伝染病が猛威を振るっている。暑いところを好む病気のようで、被害を受けているのは気の毒にも再び西アフリカの国々だ。致死率は5割を超え、最大で9割くらいになるという。しかも、患者は増え続けているらしいのだ。現時点ではワクチンがない。キリコもいない。


 専門家は正直にも、手の打ちようがないと公表している。近寄るなとしか言えないのだ。特に米国のピース・コープスが全面撤退というのは、かつて同じ国で同じような仕事をしていたこともあり、大変な事態であることを示していることが身にしみてわかる。そう簡単に持ち場を離れるような連中ではない。現場の深刻さを物語っている。

 数日前の報道で、この凶悪な病気と闘い続けて来たシエラレオネの医師がこの病気で亡くなったというニュースをみた。まだ39歳の若さであったという。アメリカ人の医師も犠牲になった。心から冥福をお祈りする。野口英世のようだ。彼のころ人類はウィルスを知らなかった。彼らが一歩一歩、前人未到の荒野を切り開いていったのだ。今回、一刻も早く打つ手が見つかるよう祈る。


 さて、少し気を取り直す。キリコは新型のワクチンを、遺伝子レベルまで徹底的に研究したわと言っていたので、かつて遺伝子レベルとは何ぞやと悩んで調べたことがあったのだが、よく分からなかった。丁寧に調べて分からない時は、ひとのせいにして良い。説明している方が分かっていないから伝わらないのだと私は決めている。

 DNAは人体(または、あらゆる生命体)の設計図だという言い回しも、分かったようで分からない。設計図どおりに構造物が出来上がってこそ設計図であるはずだが、私の理解ではDNAに乗っている情報が全て発現しているわけではないのだから、せめて設計図の倉庫とか選択肢とか、正確に慎ましく語ってほしいものである。どう組み立てるかは持ち主の腕次第なのだ。


 いい歳こいたおじさんが、我が社のDNAなどとうっとり語っているのを聞くにつけ、社長がこうなったらそろそろ従業員や大株主の皆さんは身の振り方を考えたほうがよいと人知れず心配申し上げているのは私だけだろうか。そういえば、”ともだち”のDNAを孕んだ高須は、その後どうなったのだろう。

 DNAとくれば双子だ。私はずっと少年時代の悪役を、なぜ作者は双子にしたのだろうと考え続けて来たのだが、ついにギブアップした。もしや先に「十六の字固め」のアイデアが出てしまい、やむをえず双子のタッグにしたものか。ともあれ、ヤン坊マー坊が双子で、巨大ロボットは二体、”ともだち”もそっくりさんがお二人とあって、「20世紀少年」の悪は二重構造になっている。


 映画でヨシツネは香川照之が演じたが、ちょっと勿体なかったな。あの変幻自在の怪演をみせることができるほど、映画のヨシツネのキャラクターは上手く出来上がっていなかった。香川はオドオドする役もうまくて、その点はヤン坊マー坊を訪問する2000年のご招待のときに発揮されている。

 相手の双子は佐野史郎で(あれは一人二役なのか、一人一役でいいのか? ギャラは?)、私にとって何時まで経っても彼は冬彦さん。後半の太っているときのほうが、やはり彼ららしく、「誰でも撃てる」と自慢した高性能ロケット・ランチャーを、オッチョに向かって「お前しか撃てない」とそそのかしているところなど如何にも奴らだ。


 あのときはオッチョも何だか始めから撃ちたそうだったし、彼には逆らわない方が良い。なんせ「邪魔だから」という理由だけで、あらゆる相手に暴力を振るうことが許されている「良い者」なのだ。映画はケンヂとカンナにスポット・ライトを浴びせたので、オッチョの持つ粗暴さや悲しみを伝えきれなかったのが残念だが、これは尺の関係でしょうがない。

 至る所でだまされ裏切られ置いていかれ、これでは一昔前の劇に出てくる悲劇の女のようだが、ともかくオッチョも苦労が多かったな。でも、これからもバンコクでそうして生きていくのです。自分で選んだ道を私は自己責任などとはと呼ばない。これは運命なのだ。

 さて最後に、佐野史郎香川照之は、NHKスペシャル・ドラマ「坂の上の雲」で、陸羯南正岡子規を演じていた。ふたりとも適役だったです。拙宅のそばの狭い横町を彼らが歩いていたとは、不思議な夢のような感覚である。



(この稿おわり)





隅田川の花火  (2014年7月26日撮影)






うちの梅干し  (2014年8月2日撮影)








 わたしは今日まで生きてみました 
 ときには誰かに裏切られて
 ときには誰かと手を取り合って 
 わたしは今日まで生きてみました
 そしていま 私は思っています 
 明日からもこうして生きていくだろうと

           「今日までそして明日から」   吉田拓郎






































.