おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ロバ (20世紀少年 第891回)

 これまでも書きたい放題に書いてはきたが、これからは筋の展開に沿わなくても、好き放題に個別のテーマを選べる。何ともありがたい。記念すべき第一回は、ドンキーにちなんでロバの話題。

 漫画の中の世界では、本名の木戸三郎という名字を、銀座をザギンと呼ぶがごとく、ひっくり返してドンキーにしたのだろう。しかし、作者側ではたぶん先にドンキーというあだ名が決まって、そのあとで氏名が当てられたような感じがする。「donkey」とは英単語で動物のロバだ。


 オクスフォードの英英辞典によると、まず家畜としての説明があり、耳が長くて運搬用の役畜(Beast of Burden、ストーンズだな)として用いられるとある。王様の耳はロバの耳。サン・サーンスの室内楽「動物の謝肉祭」では、「耳の長い登場人物」と題されている。

 その次の語義がひどい。スラングとして、バカまたは不適切な人物の意とある。古来人類は家畜に散々お世話になっておきながら、どこの馬の骨とか、負け犬とか、猫に小判とか碌でもない比喩に使っているが、これは特にひどい。


 ロバは力が強いから運搬用になるのであり、また「性質が温和で粗食に耐え」(当家の辞書より)、長生きするという有りがたいクリーン・エネルギーである。人も運んだ。

 新約聖書「マタイによる福音書」の第21章によれば、イエスはご近所で弟子に調達させたロバに乗ってエルサレムに入っている。ここでつい乱暴狼藉を働いたのが運の尽きであった。


 日本語版ウィキペディアによると(これを書いている現在)、「極暑地から冷地の環境にまで適応し、粗食にも耐える便利な家畜であるロバは、日本でも古くから存在が知られていた。しかし、馬や牛と異なり、日本では家畜としては全く普及せず、何故普及しなかったのかは原因がわかっていない。日本畜産史の謎とまでいわれることがある。」と書いてある。

 謎か? 世界に比べれば日本の極寒地や冷地は、まだしも穏やかな部類に入るはずだ。古代も今の相撲界にも「放駒」という素敵な響きの言葉があるが(魁傑亡くなる。合掌)、その辺に放しておけば馬が好きなだけ食事ができるほど日本は水と緑に恵まれている。粗食に耐える必要はない。それに日本の主要な運送手段は、幕末維新に至るまで海上交通である。うちは島国である。海や川を船で渡っていたのだ。


 ともあれ、どうも西洋では鈍間(のろま)のイメージを持たれてしまっているらしい。英語で「donkey's years」(ロバの歳月)とは、「a very long time」(とても長ーい時間)という意味だそうだ。私がロバという動物を初めて知ったのは多分「ピノキオ」だが、これは懲罰の一種として出てくる。

 どうにもこうにも裸足の快速が売りの我がドンキーとは、はなはだしく印象が異なる。ごく一般的な意味で、秘密基地の仲間のうち、まともな性格の持ち主で頭も良く、好きな公職に就いたという点で、最も英語の俗語ドンキーから遠い立派なお人なのに。それに箱根の山と谷を単身で乗り越えようとした小学生だぞ。


 ドンキーは望遠鏡で月を観ていたな。映画では”ともだち”の部屋にも望遠鏡があったが、何を覗いていたことやら。私が天文少年だったころと比べて、宇宙の観測機器や撮影技術は長足の進歩を遂げた。ドンキーに見せてあげたい。

 何せアメリカ人などが月に勝手に立っただけで、あんなに喜んだ子だ。今年の火星の大接近も、数年前の小惑星探索船はやぶさ号の快挙も、彼が見たらどんなに感激するか。彼は死んでも人は他者の心に残るというカンナの主張を科学的だと認めた。私にとっての彼は、そんな風に心に残る登場人物である。



(この稿おわり)






 


ずっと前に切り抜いておいて、誰の絵だったか忘れた。マネ?








 山と谷を 越えて行こう
 走れよドンキー もうすぐさ
 お前と俺の この旅に
 終りはないさ どこまでも

     「走れドンキー」   加山雄三





田舎の花壇にて(2014年6月23日撮影)




















































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