おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カツマタ君 (20世紀少年 第886回)

 下巻も残りあと数ページというのに、未だ片付いていない宿題がある。いずれも大事な問題であるのに、答えが出ないまま終幕まで来てしまった。未解決の大きな疑問は三つ。基本的にページ順で書いてきた感想文は、次の点で歯切れ悪く終わりそうだ。

 疑問とはつまり、(A)ケンヂはどの段階で、世界大統領になった”ともだち”がカツマタ君だと確信したのか。(B)その”ともだち”は、何時どのようにして、ケンヂがウルティモマンのバッヂを万引きしたこと(しかも、自分の冤罪を晴らしてくれなかったこと)を知ったのか。(C)屋上のナショナルキッドは、本当にカツマタ君なのか。


 下巻の189ページ、寝転がってイヤフォンを付け、溜息をつくケンヂに人影が忍び寄るのを大人のケンヂが見ている。近づいてきたのはナショナルキッドのお面で、ケンヂに「ねえねえ」と声をかけた。ケンヂの反応は「んー」と愛想がない。これは仕方がないのだ。彼は音楽を聴いているのであり、誰だって好きな曲を聴いているときに、待っていたわけでもない相手から声を掛けられて嬉しくは思うまい。

 おそらく中学生のケンヂは、この相手が誰だか知っている。名前はともかく、ナショナルキッドのお面の少年であることは知っていたはずだ。そうでなければ、いきなり声を掛けて来たのだから目を開けて見るはずだが、彼は目を閉じたままだ。それにセルロイドのお面付きとなると、声はくぐもって聞こえるはずである。これを聞くのは慣れている。


 前にも二三回、書いたけれども、このブログを書き始めてから、漫画「20世紀少年」に関する他の人のネットの書き込みや関連書籍などを一切、読まないようにしてきた。他人様の考え方に左右されるのも不本意だし、逆にムキになって反論しそうで、それはそれで見っとも無い。

 だが、漫画を読み終えてからブログを始めるまでの数週間は、けっこうそういうネット情報を読んでいたし、いくつか印象にも残っている。そのうちの一つがこの屋上場面に関わるもので、その趣旨は、ナショナルキッドが後年、ケンヂに対して「お前こそ悪の大王じゃないか」と吠えるほどの辛い記憶を持っていながら、「ねえねえ」とか友達になってくれとか言うものかという批判であった。


 至極ごもっともな指摘である。後出しジャンケンそのものですが、私も本当にそう感じたのだ。これに対する回答まで準備しました。すなわち、下巻のバーチャル・アトラクションにおいては、ケンヂが他のステージに行こうとも、現実との間を行き来しようとも、ケンヂ少年はケンヂおじさんのことを覚えているという設定になっている。

 つまり、ゲームはリセットされていない。となれば、中学生のナショナルキッドも、3年前の夏にケンヂから「本当にごめん」という謝罪を受けたナショナルキッドである。したがって、少しは怒りも治まっているので、おしゃべりする気になった。

 ところがこの安直な発想を採択すると致命的な齟齬が生ずる。現実の屋上で何が起きたか全く分からなくなる上に、現実ではやっぱり半世紀後も怒っているのだ。


 上記の疑問(B)に戻ろう。このとき、中二のナショナルキッドは、まだ万引きしたのがケンヂだとは知らずにいたと仮定する。これなら前段の矛盾からコソコソ逃げ出せる。実際、私が読んだ限りでは、いつ知ったのか全く描かれていないのだから、想像するしかないし、私にとって都合の良い選択肢に丸をしたい気分になる。

 この後で知ったとしたら何時か? どうして分かったのか? ケンヂが白状したのでないことは確かなので、誰か第三者が教えたという主張をすることになる。すでに書いたが、万引きの場面で確実に近くにいたのはマルオ一人だが、どう見ても彼はケンヂの犯罪行為を疑っていない。そして可能性としてはサダキヨがこっそり見ていたかもしれないと書いたが、後から告げ口するようなタイプとは思わない。


 行き詰ったので思いっきり飛躍して、このナショナルキッドが予知能力を持っていることを思い出してみる。山根によるフクベエ暗殺事件を予知しているし、自分が死にゆくとき「お前がこんなふうに...」とケンヂに言われるであろうこともイメージしていた。

 カンナ顔負けのエスパーで、だから誰が盗人だったか察知した。過去のことも未来のことも何でも分かる能力の持ち主。もはや妄想と呼ぶにふさわしい...。そもそもヴァーチャル・アトラクションの仕組みが分からないのだ。

 サダキヨの言い分は、子供の頃の写真に基づいてCGを作ったものという説明であったが、彼の理解不足は明らかであり、先ほど子供の顔で引っ越したばかりである。例えば、この直前にケンヂとユキジが階段で言い合いをしているシーンなど、誰かの記憶か記録に残っていなければ再現しようもない。でも、仮想現実として、ここにあるのだ。


 これを乗り越えるには、結局タイムマシンとかパラレル・ワールドとかいった古典的なSFの概念を持ち出して、フィクションならではの何でもありで誤魔化し、自分にも他者にも黙ってもらうほかないということになってしまう。お手上げである。

 あーだこーだ言っていても解決しないので、取りあえず先に進む。ナショナルキッドは「ねえねえ」に対して、反応が鈍いし態度も良くないケンヂに見切りをつけることもなく、「今の曲、聴いた!?」と尋ねている。語調からして、親し気である。何か喜ばしいものを分かち合いたいような感じがする。


 私も長いこと生きて来たので、たまには心身ともに疲れ果て、「このまま辛い思いを続けるくらいなら、死んだろうが楽だろうな」と思ったことはある。だが、その程度で終わる苦悩と、実際に自ら命を絶つのとでは、天と地の差がある。量的な差ではなくて、質的な違いである。次元が違うのだ。

 そういう心境に陥った中学生の心の動きを、漫画の情報だけで理解したように分析してみせるのは傲慢のそしりを免れまい。一読者として自然に考え得る範囲内で考えるしかない。どうやら彼は先ほど聴いた曲の影響で飛び降りを中止または延期する気になったようで、ついてはその感情が新鮮なうちに、再決断したことを目の前の少年に伝えたかったのではないか。


 もしも、この時すでにケンヂが冤罪事件の真犯人であることを知っていたとしたら、果たして、こんな行動を取るのかという堂々巡りがまたしても始まってしまうが、ここは目を閉じてしまおう。知らん。そもそも、屋上場面が現実どおりの再現なのかという問題すら登場しそうだが、その点だけは間違いないなかろうと考えよう。

 ここでは大人のケンヂが見ているのだ。見せたいから連れて来たのだ。そしておそらく、私も含めて大半の読者が念頭にすら置いていなかったカツマタ君の名前をケンヂが思い出すかどうか、また、飛び降りの姿勢を見てどういう反応の示すかなどについて確かめたかったのだ。そのためには、ありのままの過去でなければ自分が納得いくまい。


 屋上に上がって来たときは、まだ大人のケンヂはカツマタ君の名を思い出していなかったのではないかと思う。この直前にケンヂ少年が謝罪したとき近くに潜んでいたのだから、どうせ本人に声を掛けるならば、そのときにカツマタ君だろと言えばよい。仮に気が付いていたとしても、なぜか言えなかったのだ。だから屋上に招待されてしまったのだろう。

 中学生ケンヂの返答は不作法で、「んー、ああ」と時間がかかり、ようやく「俺がかけたんだもんよ。」という表現で「然り」と答えている。ナショナルキッドはしばし黙り込み、同じく何も喋らないケンヂを見下ろしていた。その心中、図りがたいものがあるが、ケンヂの返答ぶりはさほど気に障らなかったようで、きっと彼にしてはかなり思い切った提案をする気になった。


 まずは状況説明で、「僕、明日以降の予定が、ずっとずっと白紙だったんだ」と窮状を訴えている。私は部活か病院か高校入試の勉強と決まっていたので、いずれも予約不要だったから予定表など持ったことなどないが、彼が言いたいのはそういうことではないだろう。要するに何もしたいことがないし、約束を守るべき相手もいないということなのだと思う。

 無口なケンヂに「ねえ」ともう一回言った。ケンヂも「んー」ともう一回言った。そしてナショナルキッドは「僕と”ともだち”になってくれる?」とサダキヨ的な申し出をした。そのときのサダキヨの相手は「なってやってもいいが」などと傲岸不遜な態度であったが、ケンヂ少年はようやくここで薄眼を開いた。

 
 これには流石のケンヂくんも、依頼の内容にちょっと驚いたのだろう。彼のようにフクベエだろうとサダキヨだろうと、気ままに声をかけあって話し相手ぐらいには誰でもいつでもなれるような者からは、こういう発想や発言は出て来ないだろう。

 それに失恋したての傷ついた心の青少年だ。「別にいいけどさ...」と軽く受け止めた後で、青空を見上げながら「友達なんて、なろうっていって、なるもんじゃないぜ。」と諭している。


 留意すべきは活字情報だけのことながら、ケンヂの発言では「友達」と一般的な漢字表記だが、ナショナルキッドのセリフは”ともだち”になっていることだ。今なお小学校時代に罹患した「フクベエ病」の症状が出ている。

 サダキヨにとってフクベエですら必要であったように、彼にとってはケンヂですら必要だったのだろう。哀しいほどに切実である。本物は死んだのに、ニセモノは未来で苦しんでいる。


 ケンヂの言っている「なろうっていって」云々は極めて常識的な言い分である。初登場のときのドンキーも、ナショナルキッドたちと同じようなお願いをしたかったのかもしれないが、「ねえねえ」と言っているうちに鼻水タオルのせいで逃げられてしまった。しかし、ドンキーは行動で好意を示し、ケンヂたちはそれを受け入れている。これが友達だ。

 常識は常識でも、ケンヂは知らずや、先ほどまでナショナルキッドは死地を彷徨っていると言っても過言ではない心理状態だった。ケンヂは彼なりのやり方で「聴くか? ラジオでいい曲、かかってるぜ。」と友達付き合いの第一歩をさっそく踏み出している。


 だが、相手はコンチとは違う受け止め方を示した。それ以上聞く前に立ち去ってしまったのだ。おそらく、おざなりにあしらわれたと感じたのだろう。

 話し相手が消えたのを知ってケンヂはようやく頭を上げ、「?」と両目を見開いたが、すでに相手の少年は背中を見せてドアに向かっている。ケンヂは興味を失ったようで、ラジオの音楽に戻った。一緒に口ずさんでいるようだから、本当に好きな曲が流れていたのだろう。


 そのころ大人のケンヂは自分の存在を無視するかのように無言で立ち去ろうとするナショナルキッドのお面に、「よお、おまえさ...」と少し乱暴に声をかけている。やや気分を害しているようにも見える。相手はドアの入り口付近で立ち止まったが、ケンヂの方を見ようともしない。

 続いてケンヂは「カツマタ君だろ」と言った。ようやく相手はお面の顔を上げてケンヂの顔を見たようだったが、何も言わず階下へと進む。さて、最初の疑問の(C)だ。彼は本当にカツマタ君なのだろうか。(A)も残っている。いつどうやって、そう思ったのか。答えは出ないが次回、考えるだけ考える。



(この稿おわり)





豊作をお祈りします (2014年5月11日、岩手県にて撮影)












 You've got me blowing, blowing my mind.
 Is it tomorrow or just the end of time?
 help me, help me.

          ”Purple Haze”   Jimi Hendrix


 お前のせいで俺の心はボロボロだ
 今は明日か それとも時の終わりか
 助けてくれ 助けてくれ































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