おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

地雷を踏んだらサヨウナラ (20世紀少年 第865回)

 生まれる前の放送なので見たことはないが、ナショナルキッドの親戚のようなヒーローが活躍する「スーパージャイアンツ」という実写のテレビ番組があったらしい。主演は宇津井健さんである。合掌。

 私も持っているがロック・バンド「ブラインド・フェイス」の唯一のアルバムも、何故かこれと同じ邦題を付けられて発売されている。おそらく今の世の中では、こういうジャケットは「自粛」されてしまうであろう。暮らしにくくなった。


 下巻の96ページ目、カンナは秘密基地に敷き詰められたシートを開けてびっくり、金属製の円盤のようなものが置いてあった。盤の下にはアームのようなものが何本かあって円盤を支えている。カンナは「スイッチ?」と予想を立ててから無造作に素手で触れた。

 幸い爆発もせず毒も塗っていなかったみたい。彼女の見立てでは人が乗ったくらいではビクともしないものであり、よほど大きなものが乗らないと作動しないそうだ。


 1996年から2000年まで海外赴任したカンボジア王国では、当時は勿論おそらく今も地雷が大問題。この国は1960年代までタイのバンコクから海外駐在者がパスポートの更新に来ていたというほどインドシナ半島の先進国であった。

 ところが先ずベトナム戦争中のアメリカが余計な手出しをして傀儡政権を作り国王は海外に放逐された。それを倒したのが日本ではポル・ポト派と呼ばれ、現地では赤いクメール(カンボジアの民族や言語はクメールと呼ばれる。日本で言えば大和)を意味する「クメール・ルージュ」による共産党政権であった。


 この時代の残酷さについては、ここには書かない。筆が穢れる。簡単に言えばミニ文化大革命であった。現地で知り合った老人の口癖によると、この地獄は「3年8か月2週間」続いた。この年月は太平洋戦争とほぼ同じ長さである。同戦争で日本国民は概ね20人に一人が亡くなったと聞いたことがある。クメール・ルージュは5人に一人くらい殺したらしい。

 この恐怖政治は1975年、アメリカを追い出して意気軒昂たるベトナムの助力を得て内紛により崩壊し、紆余曲折を経て現政権に至る。地雷はこの長い政治的・軍事的な混乱の時期に国中に埋められた。


 イラン・イラク戦争のような戦い慣れた連中の戦闘行為において、地雷を敷設する際はどこに埋めたか記録に残すため詳細な地図を作る。埋めるときは幾何学的な位置関係を保ちながら整然と埋める。そうしないと非効率であるばかりでなく、自軍が占領したり戦争が終わった後で除去するときに大変だからだ。

 ところがカンボジアの内戦では、イギリスその他の国からもらい受けた地雷を無造作に地図も作らず埋め続けた。誰も何処にあるか知らない。しかもカンボジアは典型的なモンスーン気候で、雨季の集中的な降雨が洪水となり平野部の大半が水浸しになる。材料にプラスチックなどを用いた軽めの地雷は、水に流されて別の場所に移動する。


 かくして平和になり始めて人の移動が頻繁になった途端に、あちこちで地雷を踏む事故が頻発し始めた。対人地雷は火薬の量を少なめにしてある。踏んだ人間を殺さないようにするためだ。そうすれば敵は重傷者の救命や医療に手間暇がかかるし、周囲の兵士には恐怖心が植えつけられるという寸法である。ある意味では殺人兵器より卑劣である。

 被害に遭うのは農民や漁民である。3年8か月の駐在であったが、私ははっきり道であると分かる場所以外とうとう全く歩かなかった。ところで地雷には対人のほかに対戦車地雷(アンチ・タンク・マイン)という物騒な大物もある。文字どおり戦車のごとく、よほど大きなものが載らない限り爆発しない。


 しかし駐在中に英語の新聞で、掘り出された対戦車地雷に面白がって車から飛び降りた男がいて、経年劣化で装置が弱っていたのだろうか、大爆発を起こしてあの世行きとなったというニュースを読んだ。バカは死んだら治りようがない。

 今回のタイトル「地雷を踏んだらサヨウナラ」は、アンコール遺跡あたりで行方不明になったままの若き戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏の手記である。私がいた頃でさえポル・ポトが存命中ともあって地方は危険だった。

 先の老人の奥方は都会出身で方言を話すことができず、それだけでインテリと見なされて殺された時代だったから、3年8か月2週間、一言も口をきかずに生き延びた。科学者だった老人はメガネを捨てて生き延びた。


 辛い話が長くなりました。テーマパークの秘密基地に戻ります。カンナが起爆装置に見とれている脇で、ユキジは折りたたまれた紙を見つけて拾い上げている。開けて見て彼女は顔色を変えた。

 ちょうどこれと同じころ、神様やケンヂたちがヴァーチャル・アトラクションでカンカラから見つけ出した紙の二枚目と同じだ。「きょだいロボットがひみつきちをふみつぶしたとき、スイッチがおされちきゅうは大ばくはつするだろう」。

 興味深いのは巨大ロボットと踏みつぶされた基地らしきもののほかに、太陽の塔が描かれていることだ。真ん中の顔は太郎さんが作った本物と同じ絵である。この絵を描いた者の本音は、ばんぱくばんざいではなかったらしい。また、よほど円盤状のものが好きらしい。


 大きな物音がズーンと響いて、ユキジは「何?」と言いながら基地の出入り口から顔を出した。カンナも続いて外に出た。二人の目の前に、これなら十分大きなものと言えそうな厄介者が立っている。いや、こちらに向かって歩いているらしい。またアレであった。

 この日は長い。下巻冒頭のマルオやヨシツネがサダキヨの病院にお見舞いに来た日が、そのままずっと続いているのだ。そろそろ夕方も近づいてきたか、巨大ロボットはモヤがかかったように姿が霞んでいる。


 同じころマルオや蝶野元隊長が足止めを食らっている道路の上空は、「危機管理体制ランク∞」が発令されて国連軍が全軍出動となってヘリコプターが飛び交い、装甲車も出動して大騒ぎになっている。

 病院内で待機中の参謀らしき軍人は「何、動き出したって」とヘッドフォンに届いた連絡に驚き、隣ではヨシツネが落ち着かない様子で「落ち着け、マルオ」と携帯電話で叫んでいる。病院の中でケータイを使ってはいけない。


 「何がどうした」というケロヨンの質問が如何にも彼らしく、ヨシツネの返事は「マルオから連絡だ」と主語も述語もケロヨンの期待に応えていない。とにかく大変なことになったと言って、ヨシツネは振り向いて「オッチョ」と声をかけている。

 すでにオッチョは国連軍の「動き出した」という情報だけで事態を把握したらしい。ヨシツネの詳細報告も聞かぬ間に、マシンガンを手渡しながら「サダキヨを頼む」と戦闘状態に入れり。

 ヨシツネは「場所は昭和の町テーマパーク」と行先のみ伝え、ついでにユキジとカンナもそこに向かっているそうだというマルオの情報も伝達した。向かっているというより、お出迎えしているのだが、ともあれ俺達の最後の希望は、事ここに至ってもオッチョおじさんを休ませてくれない。



(この稿おわり)






対戦車地雷






お口直しにテレカ風







 クメール民族は岩のごとく不滅である − カンボジア国歌より
 さざれ石の巌となりて 苔のむすまで − 君が代より
 岩になる 転がる石にならないように − 「天国への階段」 レッド・ツェッペリン
 こんなものは俺はロックとは呼ばない − 遠藤健児

































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