おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

トキワ荘 (20世紀少年 第864回)

 下巻の85ページには、久しぶりに常盤荘が出てくる。モデルとなったトキワ荘は、私が子供のころにはもう有名になっていた。「20世紀少年」に出てくる数々のマンガやアニメも、ここから世に出たものが少なくない。登場人物のモデルも大勢ここで暮らしてマンガを描いていた。

 その一人で今は亡き赤塚不二夫の対談集「バカは死んでもバカなのだ」は、破壊的な面白さとでもいうのか、いつもは本を読みながら大声で笑うなど滅多にない私が大笑いを繰り返さずに読めない程のバカさ加減である。読んでいただくしかない。


 対談最後のお相手はトキワ荘仲間の藤子不二雄Ⓐ氏で、すなわち「忍者ハットリ君」の生みの親である。二人の会話によると、当時どこかのマンガ家が原稿を落として穴が空きそうになると、人手の多いトキワ荘に雑誌社から急ぎの執筆注文が来ることが多かったそうだ。それまで少女漫画を描いていた赤塚さんが「おそ松くん」を描き始めたときも、そんなきっかけがあったのだという。

 もう一つだけ引用をお許し願おうか。この本には手塚治虫の話題も頻出する。次のやり取りは御子息の眞氏との対談に出てくる。手塚眞がニャロメの絵をかいて、赤塚不二夫が褒めたあとの会話。
赤塚: オレ、アトムかけないよ。あれはきれいな顔している。
手塚: きれいですね。誰にもかけないですよね。


 カンナの念力で危ういところを助かった常盤荘では、ウジコウジオの両氏と角田氏が漫画を描いている。好きな漫画を描ける時代が来たのだ。ユキジを黙らせるチャンスも目前だぜ。しかし氏木氏は窓の外が気になっている。国連軍はいつになったら、あれを撤去するんだと彼が眺める先に巨大ロボットが立ちすくんでいる。

 ロボットはこちらを向いていて止まったままだから不気味だ。金子氏や角田氏は、都民の面倒で大変なんだろうとか、ゴミの後始末は後からだとか諦めムードになっているのだが、そのとき氏木氏が立ち上がった。「アレ」が動いたような気がしたのだ。角田氏に睡眠不足で疲れているんだと軽く笑われ、仮眠しようかなと同意した氏木氏であった。

 睡眠不足と疲労は本当だったろうが、錯覚ではなかったらしい。そのときロボットは長い眠りから目を覚ました。ギイという機械音に続いてガシャンと両目にライトが灯った。ロボット内部はオッチョが下車して以降、無人のはずである。何者かがリモコンを操作し始めたのだ。


 場面が切り替わり、このロボットを停車させたカンナと、ミイラ取りがミイラになったかのごときユキジが、テーマパーク内を走っている。かつてカンナは昭和を再現した街を駆け回って、フェスティバルの客寄せをした経験があるから勝手知ったる風景である。

 しかしユキジは革命やら高須のお見舞いやらで忙しく、どうやらニセモノには初めて来たようで「なんてことを」と嫌悪感を示している。「あたし達が子供の頃のまま」なのだ。オッチョは懐かしくも何ともないと言った。ケンヂは少なくとも見た感じでは無関心であった。懐古どころではなかったか。


 そのときマルオは菓子屋の前で無邪気に喜んでいたが、同じ場所にユキジも立った。ジジババの店が再現されている。例えば吉野ヶ里遺跡を復元するのは構わない。だが自分の育ったころの街並みをそのまま再現されて見世物にされたら、もう自分は過去の遺物扱いみたいなものとなり、私も不機嫌になるだろうね。

 ユキジは真面目な人なので、ババの店先を眺めながら”ともだち”の真意を量りかねて悩んでいる。自分の思い出のため? それとも私たちに何かを思い出させるため? ユキジの思い出にはないだろうが、確かにこの店は誰かに何かを思い出させるつもりであったろう。もっとも端から敵は覚えていた。


 カンナに急かされてユキジは道順を口にしながら、この先が畳屋さんでその向こうがヨっちゃん家と最初のうちは張り切って走った。だが途中で吐き気を催したか口をおさえて、匂いまで昔のままだと冷や汗をかきながら電信柱につかまって休んでいる。臭覚の記憶は強い。なぜか人間の記憶は視覚や聴覚のような物理反応よりも、味覚や嗅覚のような化学反応を長く残す。そして昔の未舗装の道は臭かった。

 体調を気づかうカンナに平気だと答えたユキジは「その先よ」と目的地を示した。木立に草っぱら。カンナの世代の東京では、そもそもこういう物にすらお目にかかれない。ましてや秘密基地となるとユキジに訊くしかない。ユキジが指さす方向に歩いていったた二人は、それを見つけた。

 
 このころカンナ以外はユキジも漫画家たちも敷島娘も厚着をしているから、秘密基地の外壁である草もずっと昔の解散式典でコンチが「まだあるよ」と言ったような感じで枯れているだろう。だが原型はとどめている様子である。

 リモコンを求めて基地に侵入したカンナであったが、見たところ定例のマンガ雑誌マガジンとサンデー、それにオッチョのラジオしかない。マガジンの表紙は、ケンヂとケンヂが中を探ったときと同じものだから時代設定は1969年だ。だが、勘の鋭いカンナは地面の様子がおかしいことに気がついている。

 基地内の敷地は土ではなくて、シートがかかっているだけだったのだ。白土三平の作品では、こういうものの下に忍者が隠れている。しかし、シートを取り払ったカンナが見たものは、もっと無粋な代物であった。



(この稿おわり)






あたし達が子供の頃のまま  (2014年2月27日、新宿にて撮影)








 意地悪する子がいたって、最後は仲良くなれたよ
 あの子はどうしているだろう 今でも大事な友達
 みんなで力を合わせて 素敵な未来にしようよ
 どんなに大人になっても 僕らはアトムの子さ

               「アトムの子」  山下達郎


































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