おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

自由に空も飛べるはず (20世紀少年 第841回)

 ペルシャ戦役の際、アケメネス朝ペルシャの陸軍を迎え撃つべく、テルモピュライに布陣したスパルタ王レオニダスに伝令が凶報をもたらした。「ペルシャ王クセルクセスの大軍が放つ矢は、天を覆い陽も翳るほどでございます」。レオニダスは命が危なかったら一目散に逃げてくれとは言わず、「されば我々は木陰で涼しく戦えるというものだ」と応じたという。

 この最前線で戦死したスパルタ王のマネをしますか。「ジャンパーが銀メダルなのに悔しいから辞めないと申しております」。「されば我々はまだまだ空飛ぶ葛西を拝めるというものだ」。

 
 羽生の演技は昨日ゆっくり起きてから録画で観た。ネットの速報で読んだとおりで最初の4回転で転倒している。これで優勝したということは、次のパトリック・チャンの出来がよほど悪かったのだろうと思った。チャンは2回、手を着いている。でも派手に転んではいない。結果を知っているのに、これは際どい勝負になると焦った私であった。しかし点数は逆に開いた。

 ジャンプの着地で失敗すると1点減点というのは、さすがの私も知っておりました。だが、これまで勝手な思い込みで、そもそも着氷に失敗したら更に技術の採点で零点近くまで大減点になると信じていたのだ。素人目にはジャンプの成否は着地ぐらいしか分からない。浅はかにも最後にしくじれば全部ダメだと思っていたのです。


 でも考えてみれば、それはおかしい。4回転を跳ぶためには相応の回転速度と高度が必要であり、それを実現するだけの体力と技術がなければ挑戦すらできないもんね。空中では腕をたたんで回転のスピードを上げないといけないし、目が回らないように回転方向を見据え続けなければならない。

 どれ一つとってみても私には無理。着地だけ失敗した人がそんなに低い評価を受けたら不公平なのであった。今更ながらではあるが、これに気付いたのはチャンの演技が終えてから採点結果が出るまでの間に、解説の本田武史が「細かいミスが多かったですから、点数が伸びないのでは...」という趣旨のことを語ったときだ。

 やはり技術論は経験者の教えを乞うに限る。改めて見ればジャンプを2回失敗した後の羽生は、切れ味抜群のトリプル・アクセルと爪先で氷を叩いて空を飛んだトウ・ループの連続技を鮮やかに決めている。これが王者だ。

 
 もう20年以上も前になるが、北アメリカ大陸横断旅行の最終日、ほんの気まぐれでソルトレーク・シティに一泊した。飛行機の窓から見ればその名のとおり、塩できらめく白い湖が拡がっている。この町を散歩中に公営のプールがあったので、衝動的に水着を買って泳いだ。若かったね。

 まさか後にオリンピックが開催されるなどと思ってもみなかったので、ろくに市内観光もしなかった。ソルトレーク大会は前回の長野と比べられて、金メダルが無かった等の理由により不振の大会などと書かれている。

 2002年の冬、フィギュアスケートで上位に入った選手たちの顔と名前は私にもお馴染みのものばかり。彼らのうち何人かはベテランの域に達したころ、荒川や高橋と競った。なお、本田は4回転をきめて私が好きな(?)4位に入り、女子の5位に村主の名がみえる。


 フィギュアスケートもここ数年の活躍振りで、テレビなどは「国際戦に勝つより日本代表になるほうが難しい」などとはしゃいでいるが、この間、ロシアやアメリカやカナダが着実に若い世代を育ててきたことは団体戦の時点ではっきり見えてきたように思う。

 たぶんプルシェンコの引退は健康問題だけではなかろう。高橋も然り。立派な後進が育つまで葛西はきっと空を飛ぶだろう。ちなみに、引用したコメントを述べたときの本田は、少し悔しそうな様子だと感じた。たぶん彼は第一人者のチャンが大舞台で本領を発揮しきれなかったのが悔しかったのではないか。

 スポーツの一流は国境を持たない。我々が勝手に国際試合のときだけ、彼らに国旗を背負わせているに過ぎない。なんせ私は祖父から、アベベやチャスラフスカを応援することの意義を教わり、その跡を継いでいるのだから今さら後には引けないのである。


 漫画の感想文でした。上巻の187ページ。患者の生命を危ぶむ医師に対して、責任者らしき男が、今は患者一人の命よりも地球全体の生命がかかっているんだと怒鳴っている。ニセ太陽の塔内で見つかった風船状のものを、しんよげんの書にあった反陽子ばくだんと断定した模様である。

 横を歩く参謀らしき別の男がICUを指さし、「佐田清志は”ともだち”に最も近いパートナー、いや、影武者と言われています。」と言う。誰がそう言うのだろうか。サダキヨは”ともだち”のパートナーでも影武者でも、最も近い人物でもないと思うのだが。少なくとも近年は。


 影武者とはカンナが”ともだち”相手に使った言葉でもある。お面をかぶれば確かに誰なのか分からないし、命を狙われるようなことをしている権力者が影武者を使うのも珍しくないだろうし、サダキヨは体格も”ともだち”とあまり変わらないようだし同い年ではあるが、やや買いかぶり(?)ではなかろうか。

 ともあれ何か知ってそうだという点では、良く調べたものだし見当も悪くない。実際「あたり」であった。しかし、リーダー格の男は参謀の進言に応ずることなく、目の前にあるICUの出入り口前にいる日本人男性に目を向けている。


 蝶野隊長は敢然と立ち上がったのであった。そして「なんだ、あんた達」と怖い顔で誰何している。幸い今回の相手は日本語が通じ、「おまえこそなんだ」と切り返してきた。一般的には先に名乗るのが礼儀ではあろうが、蝶野隊長は相手の氏名が知りたいのではなくて、サダキヨに何事が起きようとしているのか察して警戒しているのである。

 とはいえ彼は自慢の肩書とフルネームを名乗り、警察手帳のようなものの写真も見せた。これで相手は大人しくなるかと思いきや、いわば上役だったようで逆効果。先方は国連総司令部のメイヤー中佐だと返し、「通せ」と簡潔に命じた。


 蝶野隊長は病院が日本の管轄下にあると国際法か国連との取り決めか何かを持ち出して抗弁したが、先方は非常事態につき許可が下りているのだと動じない。それは太陽の塔の中で起きていることかと、先ほど追い返された体験を思い出して蝶野隊長は食い下がる。

 そして「答えなければ、ここを通しません。」と言った。通りゃんせだな。御用のないもの通しゃせぬだ。私は蝶野氏の揚げ足を取るのが大好きです。もしも相手が答えたら通すのでしょうか? ともあれ中佐はこれに構わず逮捕しろと部下に命じた。ほとんど治外法権。日本は第二次大戦以来、久しぶりに世界中を敵に回しているみたいだ。


 ところで「中佐」は、米英の陸軍や米国の空軍で「Lieutenant Colonel」という。大佐を意味する「カーネル」はフライドチキンのサンダースやリビアカダフィで有名であり、前にも書いたように「ルーテナント」は副官や代理などの意味があるので、次席の中佐はそういう表記になっているのだ。

 ネットで「Lieutenant Colonel John Charles Meyer」などと検索すると関連記事が出てくる。ジョン・C・メイヤー氏はアメリカ空軍の戦闘機パイロットで、第二次世界大戦の末期、中佐時代にドイツ空軍が存亡をかけて連合軍に仕掛けたバルジ大作戦の最終戦、ボーデンプラッテの空中戦に出撃している。


 うちの田舎の静岡はお茶とミカンとちびまる子ちゃんだけが名物なのではなく、以前も触れた覚えがあるがプラモデルの名産地でもある。中でもタミヤは老舗の大手。この会社のサイトに、アメリカ陸軍航空隊の戦闘機、P-51マスタングのシリーズが製品紹介されている。その一つが「撃墜王J.C.メイヤー中佐搭乗機」である。

 撃墜王か。オッチョの大先輩だったのだ。浦沢さんもプラモがお好きだったのだろう。ケンヂはお年玉でタイガー戦車を買うつもりであった。ともだち博物館にはサンダーバード2号が誇らしげに飾られていたものだ。


 百田尚樹「永遠の0」に登場する特攻要員はこう語っている。「P-51は第二次世界大戦の最強戦闘機と言われている飛行機だ」。バルジの作戦は失敗し、1945年にドイツは西部戦線から撤退。直後にソ連も恒例の裏切りを見せて参戦し、ドイツは同年5月に降伏した。

 この時点で我が帝国陸海軍は全世界に味方無しという状況に陥った。それでも降参しなかったとは、戦争指導者たちは集団的な精神錯乱状態だったのだろうか。マスタングに護衛されたB-29マリアナ諸島から空を飛び、日本の上空を襲い始める。


 さてと、蝶野隊長は勇敢であったが、いかんせん武芸に弱く、あっさり現行犯逮捕されている。だがメイヤー中佐には、まだ強敵が残っていたのだ。前座が終わり(失礼)、真打カンナが両腕を広げて通せんぼの気概を示し、「絶対通さない」と語気鋭く宣言している。かつて彼女をこのように守った男は、「カンナは俺達の最後の希望だ」と言ったものだった。

 デジャヴュのようだ。2014年、歌舞伎町の七龍ラーメン横丁で、当時高校生だった彼女は先ず中国マフィアの前に立ちはだかり、「いいかげんにしなさい」と吠え、射撃の指導までしていたものだ。なんせ大リーグボール3号と同じで、弾が当たらないのである。

 さらにカンナは「佐田先生に、絶対に手出しさせない」と厳命している。メイヤー中佐は「こいつも逮捕」と命令したが、カンナは「”反陽子ばくだん”のことでしょ!?」と機先を制した。蝶野隊長よりも情報量が多い。サダキヨのうわ言に「あいつが仕掛けた」ものとして出てきたのだ。


 中佐は黙っている。認めたようなものだな。そうでしょ、あたし、知ってんだからとカンナは久々に元気が出てきた。それに彼女が出した交換条件も蝶野隊長のそれより優れている。「あたしが聞いてくる」とカンナは言った。さらに、一歩でも入ろうとしたら「ただじゃおかないから」という罰則規定も立派。

 ちなみに「ただじゃおかないから」は初出ではなく、血の大みそかに育ての母ユキジがケンヂ、オッチョ、マルオの三人に対して、トランシーバー越しに脅迫した文言を受け継いでいる。三銃士もこれには恐れ入り、死ぬわけにはいかないなという結論を出さざるを得ず、そしてそれを守った。




(この稿おわり)






P-51D Mustang
(国立アメリカ空軍博物館の公式サイトより拝借)









 ママはここの女王様
 生き写しのようなあたし
 誰しもが手を伸べて
 子供ながらに魅せられた歓楽街

            「歌舞伎町の女王」   椎名林檎









 君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
 きっと今は自由に 空も飛べるはず

            「空も飛べるはず」   スピッツ



























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