おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

本当の娘じゃないし (20世紀少年 第840回)

 ソチでは若い選手が頑張っていますね。実は正直言って今ひとつ冬季オリンピックが苦手なのだが、その理由はフィギュアスケートなどわずかの例外を除き、寒いから仕方がないけれど選手がみんな南極越冬隊のような格好をしているため、お顔が見えなくて区別がつかない。

 それに私は運動選手の鍛え抜かれた筋肉や、しなやかな腕の振りなんかを観るのが好きなのだが、それも見えない。さらにウィンタースポーツの経験がないので、情けないことにジャンプなどの凄さが実感できない...。


 ところでメダルを逃した選手などに対し、あるいは敗退後の発言が気に入らないなどというくだらない理由で、税金泥棒呼ばわりする連中がいるらしい。ユキジの「バカじゃないの」という声が聞こえてくるようだ。

 いったい私が納めた微々たる税金のうち、どれだけがオリンピックに使われているか知らないが、始まる前の楽しみ、観る楽しみもひっくるめて比較すれば、間違いなく元は取っている。この十数年、どれだけ上村に楽しませてもらった?


 前にも書いたが、そもそもメダルの色や個数がどうした。先日、NHKの実況のアナウンサーが元オリンピック選手の解説者を紹介する際に「○○大会で4位に終わった」と形容し、さすがの元選手も嫌な顔をしているのを見た。

 拙宅に受信料を足しげく取り上げに来るヒマがあったら、アナウンサーの躾けをすべきである。過去のオリンピックのメダル合計数を記憶している人がどれだけいるか。それだけで予算や成否が決まるのか。日本人は何時から一億総大蔵役人になった。


 文句を言いたければ、オリンピックに出てからにしてはどうだ。クーベルタン参加することに意義があると言ったのは、参加者だけ偉いという意味ではなくて、参加するだけのために大変な思いをするからだ。

 この日のための4年間を、部外者は何も知らない。先日フライングで失格したドイツのスケート娘が肩を震わせて泣いていた光景は、この大会で私にとって一番の思い出になるかもしれない。


 そのドイツで1936年に開催されたオリンピックに参加するため、前畑秀子は風呂敷に親戚知人から頂いたお守りを全部詰めてシベリア鉄道に乗った。大陸を横断してベルリンに着いた彼女を待っていたのは「死んでも勝て」「負けたら帰って来るな」という祖国からきた電報の山だったらしい。

 軍国主義とは国を愛する心をこういうふうに取り違え、何事にもナショナリズムを持ち込んで他人を働かせて、思い通りにならないと罵詈雑言を浴びせる世の中だ。


 沢木耕太郎の「オリンピア ナチスの森で」によると、当時日本のラジオは深夜12時で報道が終わる規則だったらしい。その日、河西アナウンサーは中継のマイクで先ず海の向こうの同僚に、どうか放送を切らないでくださいと何度も懇願してから実況中継を始めた。

 決勝戦は彼が「危ない」「がんばれ」と応援団のような報道をするレース展開になる。主催者のヒトラー総統は予選でオリンピック記録を出した自国の女子平泳ぎの選手を観るため水泳会場に来たのだが、その目の前で前畑は優勝した。


 もう少しヒトラーがスポーツ好きだったら、悔しがって三国同盟は無かったかもしれないぞ。しかし次の1940年に予定されていた東京オリンピックは戦争で中止になった。歴史は繰り返すと人はいう。

 ともあれようやく前畑さんは「自分をほめてやりたい」とひそやかに日記に書いた。勝者となった夜、彼女の夕食のテーブルは、ドイツの少女たちの手により美しい花々で飾られていたと前畑は書き残している。


 さて気を取り直して上巻184ページ目。カンナからケンヂの動向を知らないと聞いた蝶野刑事(今は隊長か)は、「あんなに会いたがっていたのに」と話し始めた。いつの間にやら彼とカンナはそんな話ができるくらいの仲になっている。おじさんと一緒に暮らしていると思っていたと隊長はいう。

 カンナによると自分は会いたかったものの、「ケンヂおじちゃんはそうでもなかったみたい」という悲観的な観測であった。蝶野隊長は色をなし「何、言ってるんだ」と反論している。彼によれば二人で旅をしている間、ケンヂはよくカンナのことが気がかりだと言っていたそうだ。

 
 しかしながらカンナがそう思う理由は、旅が終わった後の出来事によるものだった。彼女は「ケンヂおじちゃん迎えるために」開いたフェスティバルの話を始める。そう語る横顔が、どことなく矢吹丈に似ている。ケンヂの出迎えという理由だとは口にせず、東京都民を守るためと言い続けてきた彼女であったが、「絶対に出演します」とも言っていたのは予言ではなくて切なる願いと賭けであった。

 カンナはフェスティバルでケンヂが「あの曲」をやらなかったのを不審に思い、その訳を本人に質したところ、ケンヂおじちゃんは「俺はお前が思うような人間じゃない」とステージで言いかけた言葉と似たような返事をしたそうだ。カンナにとっては説明不足だろうが、説明したくない事情が絡んでいる。決着をつけるべきことがあるし、カンナや聴衆が知ったとて取り返しがつくものでもない。


 あの曲「ボブ・レノン」は多くの人々を勇気づけたのだが、本来の創作動機は「地球の上に夜が来る」ことをリスナーへ密かに伝えんとした暗い予言の歌である。”ともだち”が滅び、残るは後片付けと決着で済むはずの段階に来たと彼は判断したのだから、もう歌わないと決めたのだ。それにケンヂ個人の歌であってバンドの曲ではない(と思う)。

 おそらくそういう経緯を知らないカンナは、「おじちゃんをヒーローに祭り上げたあたしのやり方、おじちゃん気に食わなかったんだと思う」と解釈している。これはどうかな。蝶野隊長も「それはどうかな、あの人、相当変わり者だぜ」と、この場ではやや無神経なことを言っているが、でもその通りではある。


 なんせ秘密基地の仲間の打ち上げパーティーにすら参加しないほどの孤独癖が染み付いてしまっている。それにホームレス同様のままなら殆どお金がかからないだろうが、カンナと一緒に暮らすとなれば、そうはいかない。カンナの負担になりかねない。ケンヂとオッチョと神様は、家なきおじさん達なのだ。

 ケンヂ少年が道に落ちていたお年玉袋を持ち逃げしたり、景品バッヂを万引きしたりしたので、私は彼に盗癖があったと書いた。でも同情の余地がある。遠藤家は父ちゃんのアズキ投機の大失敗により、危うく第二子が生まれなかったかもしれないほど生活が困窮した。


 ギターも姉ちゃんがデートという対価を払って入手してくれた。それまでホウキで代用していたのだ。万博も行けなかった。バッヂ事件の前に買い食い禁止令が母ちゃんから出ている。父ちゃんが亡くなっても自営業では遺族厚生年金が出ない。ケンヂは家族に頼ることなくバイト生活でバンド活動を続けた。コンビニに放火されて自宅も失い、ホームレスに助けられている。本当に貧乏だったのだ。

 私もたまには断言するが、貧乏と失業の辛さばかりは経験者でなければ絶対に分からない。ケンヂはそれに加えて、テロリストの汚名を着せられ、悪の大王と罵られ、しかもまだこれから、やらなくてはいけないことがたくさんある。カンナとのんびり暮らしている訳にはいかないのだ。


 でもカンナも傷ついている。「あたしは本当の父親みたいに思ってた」とうつむいたまま元気なく語る。おんぶしてもらって、手をつないでもらって育った。そう思って当然だろう。生みの親より育ての親とも申します。でもケンヂはユキジやチャイポンと違って、カンナを娘と呼んだことはない。

 ケンヂにとってカンナは、命の恩人であり且つ第三の親とも言うべき姉から預かった子である。この子をお願いしますとだけ言い残して消息を絶った姉の心情をケンヂはひたすら気にかけてきた。きっとケロヨンやマルオからキリコの無事を聞いて、さぞかし安堵しただろう。カンナは立派に育った。姉の元に返さなければならない。


 だがカンナは弱気になっている。蝶野隊長は話題の選び方をしくじった。ケンヂおじちゃんにとっては「あたしは本当の娘じゃないし...」と事実といえば事実だが、まさかそこまで思いつめるかというほどのことを言われて隊長は「そんなことないって」と慌てている。

 そして「ゆっくり話したほうがいいって」と平凡な日本人的解決策を提案しているのだが、まあ私が彼の立場でも似たようなことしか言えないだろうな。しかしこの方策は、肝心のケンヂが出張中でいないのだから今すぐできることではないです。


 物音を聞いて蝶野隊長が振り向いた。見れば親友隊のようなベレー帽やヘルメットをかぶった軍人らしき白人連中が、病院の廊下をこちらに向かって歩いてくる。お医者さんらしき白衣の男が、「困ります、そんなこと無理です」と押し止めようとしているが無理でした。緊急事態らしい。

 ドクターは患者がいま危篤状態であり、自白剤投与などしたら死んでしまいますと訴えている。切羽詰まった国際連合はサダキヨに自白剤を飲ませて、強引に情報を引きずり出そうとしているらしい。しかし有益な情報が得られるという確証などない。理由の如何に拘わらず危篤の病人にそんな手段を取るとは、拷問と呼ぶべきであろう。困惑していた若者二人も怒った。

 余談。英語の「hero」には主人公という意味もあるので、祭り上げなくでもケンヂおじちゃんはヒーローです。さらに余計なことをいうと、本来のヒーローの意味は際立った実績や人徳があって尊敬される人のことであり、プロ野球の試合で毎回発生するようなものではない。



(この稿おわり)






小さくて見づらいですがセキレイ。すぐ逃げるのでなかなか近づけない。

(2014年1月1日撮影)




 


 Till you're so fucking crazy you can't follow their rules.
 A working class hero is something to be.

 あいつらの言うことばかり聞いていると、最後には頭がおかしくなるぞ
 労働者階級のヒーローになるのは簡単なことじゃない

          ”Working Class Hero”  John Lennon & Plastic Ono Band










































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