おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

延長戦へ (20世紀少年 第809回)

 丸い卓袱台に行儀悪く突っ伏したままで、ヨシツネは「ケンヂ、ヴァーチャル・アトラクションに入るんだ」と言った。「え?」と叫ぶユキジの顔がとても怖い。一件落着したはずではなかったのか? 

 だがマルオの補足説明によると、連合軍はまだ”ともだち”が何か仕掛けていると思っているそうだ。そういう風にけしかけたのはケンヂなんだけど、みんな知らない。なんで止めないのとユキジは怒る。仲間は一通り努力はしたらしい。


 自称あそこが怖いところであることは俺が一番良く知っているヨシツネは、止めたが止まるような奴ではないという。オッチョはまだ入ったことがないので、同行を願い出たようだが、今度もまたケンヂは一人旅を選んだ。

 目的は「しんよげんの書」にある「反陽子ばくだん」というメッセージを解読するためだとマルオはいう。もう一つ、ケンヂには用件があるのだが、それは今、仲間の前で充分に説明できるほど彼自身も準備が出来上がっていない。


 さあ、ユキジは行動が早い。ケンヂは外でたき火にあたってギターを弾いている。その背中に「ケンヂ、何であたしに黙って...」とユキジは怒りをぶつけている。あたしの許可がなぜ必要なのかというような野暮なことは言いっこなし。

 ケンヂは呑気なもので、前にもこんなことがあったと福引映画事件の思い出話を始めた。あの時、彼はギターを弾きながら彼女を待っていた。そして今も多分、先を急ぐ身でありながら背中で彼女を待っていたのだろう。


 珍しくケンヂが覚えていることをユキジが思い出せぬまま、本当に行くつもり?と訊いた。そして答えを待つまでもなく、「バカじゃないの」と言った。そうそう。「バカバカいうなって」と長年の漫才コンビのようなケンヂのボケ。

 反陽子ばくだんなんてありゃしない、連合軍にでも任せておけ、もう全ては終わったのだとユキジは常識を説く。ところがケンヂは「ところが」と言った。「終わってないんだ。あいつに会わなくちゃ。」と続く。


 ケンヂは立ち上がった。「俺、悪の大魔王っていわれてさ。いろいろと決着つけなきゃならないことがある。」というのが彼の渡航目的だ。セリフだけみると殆ど果し合いの口上だが、ケンヂの表情は静かなままだ。ユキジも何か事情がありそうだと感じたのか黙っている。

 ケンヂはようやく彼女のほうへ振り向いて、ユキジおまえ、子供の頃の自分に何か言っときたいことあるか?と訊いた。いきなりそう尋ねられても誰だって「え?」だろうな。わたくしも自分なりに考えてみましたが、特に託けたいことはなく、どちらかというと万丈目と同様、誰かをぶん殴ってやりたい場面なら幾らでも思い出す。

 上手く言えないが子供の自分(特にニセモノ)に会いたいとは思わない。ケンヂもこんな急用さえなければ同じだと思う。過去は過去だから、そして自分だけの時間だからこそ貴重なのであり、そんなものを空間的に再現すること自体、極めて趣味が悪い。しかも嘘つき。

 
 俺は結構あるんだとケンヂは少し微笑んだ様子で言う。現実の世界では、ユキジが言う通り全ては終わってしまったかのようだ。だが、ケンヂには用件がある。あいつは誰なのか調べなくてはならん。自分に替わって子供の自分に、あいつに謝罪させなくてはならん。それからついでに、反陽子ばくだんとやらも、一応探さないといかん。

 プロファイラーには「関係ねえ」と言ったが、誰が悪いかという問題は抜きにして、「よげんの書」がなければ「新よげんの書」は生まれなかった。あんたらに分かるもんかと啖呵切っちまったもんね。ケンヂはユキジに背を向けた。背中マンガだ。今度のヴァーチャル・アトラクション旅行には連れがいない。いつもの案内嬢のコイズミはどこへ行ったのだろう? 見送るユキジの手に花束もない。行き先は1969年の仮想空間。

 
 1969年の8月。どうせ行くならケンヂもウッドストックのフェスティバルに行きたかったろうな。VAは海外ヴァージョンもあるんだろうか。ちょうどそのころ、小学生だったガキの自分は何をしていたのだろうか。

 ネットで年表を見ると、ウッドストックの最終日は雨のため日程が延び、日付が変わって午前様になった。その翌日、私は長時間にわたり白黒テレビの前に座っていた記憶がある。三沢と松山商の試合。


 当時は観られる限り観ていた高校野球、甲子園の決勝戦は延長18回まで戦ってなお決着がつかなかった。決着か...。野球の決勝は再試合で決着がつく。ケンヂは現世で決着がつかず、延長戦はヴァーチャル・アトラクションにもつれ込んだ。

 VAの中では、この世の何事も解決はしない。だが過去、危険を冒して入り込んだ者は、何らかの果実を得て戻っている。本格的冒険科学漫画の主人公が座して終幕を迎えるわけにはいかない。それに生きて戻れば本人の内面だけは変わる可能性がある。




(この稿おわり)






拙宅前 (2013年10月7日撮影)





 I got my first real six-string
 Bought it at the five-and-dime
 Played it till my fingers bled
 Was the summer of 69

 Oh, when I look back now
 The summer seemed to last forever
 And if I had the choice,
 Yeah, I'd always wanna be there
 Those were the best days of my life



   本物の6弦を手に入れた日 お代は5ドルと10セント
   指が血にまみれるまで弾いた 69年の夏

   振り返れば いつまでも続くかと思えたあの夏
   選べるなら戻れるなら あの日あの場所 
   この人生 最高の日々
   


      ”Summer of 69”    Bryan Adams





(追記) アップした後で気づきましたが、ケンヂの行先は1969年ではなくて、1970年の間違いでした。せっかくブライアン・アダムスにも歌ってもらったので、今回はこのままにしておきます。次回、改めてお詫びと訂正をいたします。

(もう一つ、追記) 「the five-and-dime」はアメリカ英語のスラングで、安物を売る店という意味があるそうです。
























.