おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

二つ目の円盤の終わり (20世紀少年 第779回)

 形の上では漫画「20世紀少年」の続編のようになっている「21世紀少年」上下2巻は、ほとんどがケンヂとカンナの活躍場面になっている。このため、秘密基地の仲間たちは御一行様のような行動が多くなるが、もう”ともだち”も滅んだことだし、あとは「決着」なのだからこれも仕方がないか。

 これと比べ意外と頑張っているのが蝶野刑事で、「21世紀少年」のタイトルの謂われは、存外カンナと彼なのかもしれない。エピローグもコイズミだし、新しい世代がこの世を引き継ぐのだ。他方で、僕こそが21世紀少年なんだよと主張した男が、影の主人公のような感じもする。

 
 不撓不屈の兵士オッチョも、すでに「俺達の最後の希望」たる二人を救ったことだし、そいつの敵を討ちに行くと宣言した「そいつ」が案外したたかに生き残っていたので一仕事終わった観なきにしもあらず。ごく一部を除き「21世紀少年」に彼の活劇のシーンを楽しむ機会はない。だが、最後の大活躍が第22集の最後から「21世紀少年」にかけて描かれている。

 第22週の234ページ目、ケンヂがサダキヨに「もう、やめよう」と休戦を申し出ていたころ、オッチョはそれどころではなかった。最初の円盤を見事、撃ち落としたところ、となりの円盤が卑怯にも逃げ去ったのである。「敵に背中を見せて」と書きたいところだが、円盤は丸いから困る。オッチョが別の砲台のレーダーでとらえたとき、そいつは遥か遠くに去っていくところだった。


 窮地に陥ったオッチョの脳裏に聞こえてきたのは、例の師の声、「アリンコよ」であった。心の師は、平常心を取り戻せと呼びかけている。若き日の落合長治は、「どうすればそんな心に...」と棒にすがったまま問うた。師、曰はく「思い出せ、愛するものを」。すでに亡き者も愛すのが人の心だ。

 オッチョは翔太君の姿を思い起こしている。少年は真剣な面持ちでまっすぐ前を向き、「お父さん」と重ねて呼びかけてくる。この子は両親の離婚に伴い日本に帰国し、ある日、別人を父と見間違えて道路に飛び出して車に轢かれ、幼いうちにこの世を去った。

 
 私も一人っ子の長男が小学生のときに離婚して一人暮らしを始めているので、離別したときの落合氏の心境が分からないでもない。だが今、うちの子が抜け抜けと大学生活をエンジョイしているのと比べ、同じくらいの歳のはずの翔太君の一生は短かった。

 悲報に耐えきれなかったオッチョは順調だった職業生活から脱落し、だが運命はあざなえる縄のごとし、幸い強き師と邂逅し鍛え抜かれてショーグンと化した。”ともだち”もこういう男を敵に回したのが運の尽きだ。皮肉なことに彼らが飛ばした円盤3枚は、海ほたる刑務所の3番と13番に始末されることになる。


 ちょっと脱線。私は長曾我部氏が好きで、土佐といえば板垣退助でも坂本龍馬でも岩崎弥太郎でもなく、長曾我部一族である。元親は土佐から興て四国を制覇したが、九州で島津と戦った際、初陣だった嫡男の信親が戦死した。一説によれば元親は、狂乱し自決しようとしたが周囲が必死に抑えたという。長曾我部氏は信親の弟、盛親が襲い、最後の最後まで徳川軍と戦って滅びた。壮絶である。

 脱線の終わり。「翔太、お父さんに上手に撃たせてくれ。」とオッチョは心の中の我が子に声をかけ、スロットルのスイッチを押した。師と子の援護射撃の結果や如何に。その続きは「21世紀少年」上巻の59ページに出てくる。


 そこでは、ヨシツネそっくりの横縞のシャツを着た翔太君が、老けた親父と相対している。少年は「すごいね、お父さん。円盤を二個もやっつけたよ。」と父を褒めた。上手に撃てた、お前のおかげだとオッチョは感謝の言葉を伝えて、翔太君と握手を交わす。

 そのあとで流れる涙もそのままにロボットの足に腰かけて一休みしていたオッチョは、仲間たちに声をかけられ、慌てて涙をぬぐった。男の子は泣いてはいけない、と我らの世代は厳しい教育を受けてきたのだ。知ってか知らずかケロヨンが「よっ、撃墜王。さすがオッチョ、やるねー。」と呑気に声を掛けている。



(この稿おわり)





隠岐の島にて、2013年7月9日撮影






円盤...







 ありのままに生きようとしたアリはアリのままだった...

                     「みかんの心ぼし」 あのねのね

















































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