おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

どの家からも聴こえる歌 (20世紀少年 第740回)

 第22集の第2話は「最後の歌」というタイトルが付いている。なぜ最後なのか。これを最後に音楽が終わるわけでもないだろうに。最後の手段みたいな意味かな。ラスト・ワルツなら知っています。ザ・バンドの解散コンサートの記録映画だ。写真を見るとボブ・ディランリンゴ・スターの顔も見える。

70年代半ばはクラシック・ロックの終焉の時代でもあった。パンクとブラック・ミュージックにヒット・チャートを占領されて、私はロックの最先端から脱落した。昨日、6月9日は「ロックの日」だったとか。いつの間にそんな日が決まったのだろうか。

 第2話の主な舞台は、久しぶりに登場するサナエとカツオの家だ。じいちゃんが暗闇の中で一人、ちゃぶ台に蝋燭をともして横溝正史的に座っているが、主訴は「腹へった」であった。この家は現代日本の多くの家庭と同様、女がたくましく男がだらしがない。じいちゃんは母ちゃんに、さっき食べたばかりでしょうと叱られている。しかも食糧があと何日分もないそうだ。

 
 そういう緊急事態なのに父ちゃんは、一升瓶を抱え座りこんで泣いている。「ちくしょう」と父ちゃんは居間で酔っぱらっており、そのうちウィルスが降ってきて死んじまうのかと嘆く。気持ちは分かるが、少し前に「そのうち何とかなるだろう」と歌っていらっしゃらなかったか? こちらも母ちゃんに酒かっくらってメソメソしてんなと怒鳴られている。

 じいちゃんはもう晩飯の時間だろうと主張しているのだが、まだ真昼間。かれらの家は昔の木造建築が台風接近の報を受けたときのように、あちこち目張りがしてあるのだ。うちの実家は怠け者ぞろいで、雨戸を閉めるだけだった。何とかなるというのが家訓か。さて、直系尊属がもめている間もサナエは働いている。ステレオのスピーカーを縁側に出そうとしているのだ。だが、手伝うカツオに言わせるとコードが短かすぎる。


 サナエがウィルスの恐怖にもめげず、この命がけの作業に取り組んでいるのにはわけがある。「この歌」と聴くと怖くなくなるので、ついては町中の人にも聴かせるというのだ。なんという町内孝行であろうか。しかし他人も怖くなくなるという根拠も何もないんだが、これは信念の問題である。「この曲」はつい先日まで、たまにラジオで聴くことができた。でもラジオ局は破壊されて、DJも逃げた今、放送されていないのである。

 サナエはじいちゃんに延長コードがないかと助けを求めたのだが、「延長戦はない」と話が通じない。伝説の男グレート・アントニオが来ない限りこの世は終わりだという。阿弥陀如来のようなプロレスラーだな。サナエはグレート・アントニオではない伝説の男の曲をかけるのだと一所懸命、説明するのだが、じいちゃんの「ボンバイエか?」という反応に対応できない。通訳にヤン坊マー坊でも呼んであげたい。


 じいちゃんは、あの男がリングに戻るならビフテキが食える世界がまたやってくるとの福音をもたらしてカツオを喜ばせている。長生きの秘訣はプロレスと食欲であったか。じいちゃんは押入れのガラクタ入れを引っ掻き回した挙句、「使え、延長コードだ」とおごそかに孫に命じている。かあちゃんは雨戸を開け始めた姉弟を叱っているが、子供たちは臨時DJの仕事をやめない。知らないかな、雨戸は蹴って開けるんだぜ。

 言い合いになった母と姉をカツオが「しっ」と制した。町中の家の中から、伝説の男の歌が聞こえてくる。それは以前、サナエがカセットにダビングしてご近所に配布したものだった。やはり効用はあったのである。さすが漱石。元テープはかつて別れ際にカンナがくれたものだった。「カンナさん?」と母ちゃん。じいちゃんの「ボンバイエ」の叫び声が町に鳴り響く。


 この歌は同じころ「万博会場へ避難せよ」のポスターを貼っていた若者たちの耳にも達している。どの家からも聴こえるらしい。カレーのにおい、肉屋のコロッケ、地球の上に夜が来るとくれば伝説の「この曲」だ。そして、放送局ではカンナとマサオが言い合いになっている。マサオの武装蜂起案にカンナが反対している。武装蜂起なら、ちょっと前まで自分でやろうとしていたのだが、状況が変わり、いま下手に集合すると大変なことになりかねない。

 マサオは当初からこの計画を立てていたようで、ヘリでこの放送局に降り立ったと説明している。「相棒」は急ごしらえのAMアンテナを立てたところで疲れてしまい、コンチはソファで「んご...」と寝ている。ラジオの放送ができるようになったのだ。では何を流すか。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもの。カンナとコンチとマサオの議論は瓢箪から駒が出ることになった。



(この稿おわり)





東京もようやく一雨降ってアジサイも準備に入った。
(2013年5月20日撮影)


















































.