おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

寒いともだち (20世紀少年 第739回)

 書き忘れた。うっかりしているうちにコンチとマサオが北海道から撤退してしまった。あとで出てくるが仲畑先生も引っ越してしまっている。コンチ最後の北海道の回想が始まる前に、私最後の北海道の回想を書こう。

 子供のころ、輝く日本レコード大賞は「歌手」に贈られるものだと誤解していたので、なぜか小学生のくせに好きだった森進一がなかなか受賞しないのが大みそかの不満であった。実際には「曲」に贈られる賞なので、中学生のとき受賞したのは森進一ではなく「襟裳岬」だが、どっちだっていいや。でも関係者は歌手だけではないから作詞者や作曲者も呼ばれる。


 森進一が歌っている間、舞台のそでに作曲者の吉田拓郎が映った。私と同年代以上の方なら覚えてみえる人も多いのではないか。あの当時のレコ大や紅白は権威主義の塊だったが、拓郎はブルージーン姿で突っ立っていてカッコよかった。隣にいたもう一人は、たぶん作詞者の岡本いさみだろう。森進一の熱唱も聴き応えがあるけれども、ディラン譲りのハモニカで始まる卓郎の淡々としたセルフ・カバーも捨てがたい。

 時は流れて1983年。これは何度か触れたが、私は卒業旅行に極寒の2月、真冬の北海道を選び、二週間にわたり一人で旅した。この旅行の主な目的地の一つが、もちろん襟裳岬であった。電車やバスを乗り継いで襟裳に着いたころは、もう夕暮れ時だったように思う。学生時代の旅行は野宿か、着いてから宿を決めるという渡り鳥方式であったが、ここで野宿したら翌朝は冷凍だ。


 観光案内所も見当たらず、やむなく駅前からの道を歩いていると、電柱の看板に民宿の名と連絡先があったので公衆電話で予約した。客は3人で相部屋。私以外の二人は確か明治大学の学生で、これまた大変気のいい男たちだった。このため未だに明大の印象が良い。しばし談笑したあとで、われわれは相部屋といっても宴会場のような大きな和室の対角線上にそれぞれ陣取って荷を下ろした。

 ふとみれば近くの壁に古びた新聞記事が画鋲でとめてある。読むとインタビューに応じているのは岡本いさみで、襟裳岬を作詞したときの回顧談であった。彼がこの地を訪れたときに泊まった宿のご主人は、片腕の手首から先がなかった。それを見たとき、後に3番の歌詞になった「日々の暮らしは嫌でもやってくるけど静かに笑ってしまおう」という言葉が湧いてきたというような内容だった。


 そんな風に作詞するんだと感心していたら、ご老人がお盆に薬缶と湯呑をもって来てくれた。彼の片腕は手首から先がなかった。私は記事をもう一度見上げたが、彼は何も言わなかった。冷えた体にぬるめのお茶は美味かった。

 翌朝、私はご老人と明治大学代表に別れを告げて、一人で岬に向かい、歩いていける限りの先端に立った。襟裳岬は鋭角に太平洋を切り裂くがごとく目の前に伸びている。風が強い日で、波しぶきが岬の岩で砕けては散っていた。コンチとケンヂが出会った季節ははっきりしないが、雪が積もっていないようだし、真冬の北海道で三日三晩も外にいたら生きて帰れまい。


 このときの旅行は岬めぐりでもあった。襟裳の次は納沙布。すぐ目の前に生まれて初めてみる北方領土が横たわっている。この風景を観て泣かない人はいないと昔、右翼の方が書いておられた。こんなこと書いて自宅前に街宣車が来ると困るが、私は泣かず、その代り眼下の海を整然と渡りゆくソ連の軍艦の列を見て驚嘆した。アメリカでもカンボジアでもそうだったが、巨大な兵器は実用に徹しているだけに安吾がいうとおり美しい。ただし、地雷の現物にだけは吐き気がしたが。

 宗谷岬にも行きました。私はこっそり線路の上を歩くのが好きで、かつては夜の都電荒川線の線路上をよく歩いたものです。めったに電車も通らないだろうと思い、宗谷から二駅前で降りて線路を歩いた。想像をはるかに超えた寒さで、あやうく線路で遭難するところであった。ようやく着いた宗谷岬は、わが人生最大の寒冷地。オホーツクの流氷を渡る強風が雪をまき散らす。「もう二度と来ない」と思った。


 レコード大賞に話を戻すと、20世紀少年がらみの受賞としては、「襟裳岬」の3年前が尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、そのまた3年前が黛ジュンの「天使の誘惑」である。私は1986年にアメリカ駐在になり、その後、日本の歌番組には興味を失ったので最後に見たレコード大賞は85年の中森明菜「ミ・アモーレ」か。ラテン音楽の好きな知り合いに言わせると、当時の日本でラテン・ミュージシャンの最高レベルが集まって演奏しているらしい。

 リオの街はカーニバル。2014年、この都市もある黒い瞳の踊り子たちの国でサッカーのワールド・カップが開始される。マラカナンのスタジオは木村政彦エリオ・グレイシーが戦ったところでもあるし、その前年、W杯初優勝目前の地元ブラジルがここでウルグアイに敗れる悲劇があった。ユニフォームをカナリア色に染め変えて、今度のブラジルは強いだろうな。



(この稿おわり)




並んだ水兵さん (不忍池にて、2013年6月2日撮影)



 寒い友達が訪ねてきたよ
 遠慮はいらないから
 暖まっていきなよ

    「襟裳岬」 
            歌:  森進一 
            作詞: 岡本いさみ
            作曲: 吉田拓郎