おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

鉄の女 (20世紀少年 第706回)

 1980年代に入ると私も大学生活の後半を迎えて成人にもなり、日本内外の政治経済社会を勉強しようと真面目に考えた。そこで朝日ジャーナル東洋経済、小説以外の本など読み始めたのであるが、そんなときにフォークランド紛争は起きた。当時イギリスを率いていたのはアイアン・レイディ、食品店の娘、マーガレット・サッチャー首相だった。劇薬政策は反作用も重く、毀誉褒貶かまびすしい政治家であった。

 二三年前、英国の国会議事堂かどこかに彼女の胴像が置かれることになり、除幕式にはすでに老いと衰えを見せ始めていた彼女も招待された。主催者が「残念ながら鉄ではなくてブロンズです」と語ると、マーガレットは「それで結構」と言って、こう付け加えた。「鉄は錆びますからね」。長期的に見れば、元気のなかったイギリスも立ち直ってきたとみて良かろう。ただし個々の政治家の評価はそう簡単には下せるものでもないけれど。合掌。


 ところ変わって日本の友民党にも鉄の女がいる。高須はすでに鋼鉄の意志と、ユキジさえ引き分けに終わるほどの武芸の腕を見せていたが、今度は見たくもない鋼鉄の体も見せている。後ろ姿の鍛えられた背筋など、どう見ても若い男の肉体だが、あえて前から見ると首から下はどうやら天然ならば女性である。しかも、検査結果は「まったくの健康体」と医師も大小判。

 そのあと続けて「順調です」と言っているのが普通の健康診断と違う。これは通常、医師が口にする言葉としては、手術の予後や妊婦に向かって使う表現であろう。嫌な予感がする。後回しにしよう。医者は「しかし、いつ見ても見事な肉体ですね」と一応専門家らしいことを言っているが、視線の先が怪しい。また、驚いたことに彼によると高須はかつて教師をしていたそうだ。


 しかも彼の推測は外れて、見た感じどおりの体育の先生ではなく、高須の自己申告によれば小学校の教師だったので教えていたのは全部だそうだ。こんなのに教わっていた児童が気の毒である。それとも今こそ見る影もないが、かつては彼女もヤマさんのように努力し、力不足に悩む一人の社会人だったのだろうか...。だが、彼女は続けて「全部理解できた子は一人もいなかったわ」と傲然と言い放っているから、やはり教育者失格。

 医師は別の話題に移っている。「このまま順調にいけば、その頃は火星か」と指折り数えているのだが、そのころ誰が火星にいるというのだろう。往々にして日本語は主語を省くので困るんだが、ここにいるのは医師と高須だけであり、他の誰かが話題になっているわけではないはず。医師は「本当に行けるんでしょうか、火星...」と質問しているが、自分の身を案じているようには見えない。すると?


 これに対し高須は「あなたも理解できない子? 理解するのよ。そして信じるの。”ともだち”を。」と妖女のごとく不気味きわまる薄ら笑いを浮かべて、医師に言い聞かせている。第6話「今そこにいる”ともだち”」のタイトルが、高須の絵に重なる。不思議な題名である。

 もう十数年前になるが、カンボジア王国に駐在していたころ、帰国した先任者たちが残して行った本を読むのが楽しみで、一時期、トム・クランシーの作品、特にジャック・ライアンのシリーズに夢中になった。「今そこにある危機」を読んでいたら、3歳になる息子が来て、「おとう、何、読んでんだ?」と訊いてきたので、本の題名を伝えたところ小僧は「今そこにいるおとう」と言い残して去った。


 ジャック・ライアンものは「恐怖の総和」あたりから話が大げさになりすぎて私は離れてしまったが、「今そこにある危機」はまさに手に汗握る傑作だし、この題名の邦訳も抜群の出来だ。今やすっかり「今そこにある」は日本語の修辞として定着した観がある。第6話のタイトルもそれに倣ったのだろうが、では今そこにいる”ともだち”とは何の謂いか。それはこれからの高須の弁を聞いて考えよう。

 次回から先に進む前に、少しばかり過去を振り返ってみる。2015年の万博会場で頼まれもしないのに”ともだち”が「復活」したとき、これもあなたが考えた筋書なのかと高須は万丈目を詰問しているのだが、そのときの彼女の顔に浮かんでいるのは驚喜ではなく嫌悪の表情である。当時はまだ今のような狂信者ではなかったのだ。


 また、その直後に開催された円卓会議にも高須は参加していないから、そのころ友民党内の彼女の序列も、まだまだ低かったのだ。それがいつの間にか偉そうにしている。実際、万丈目と親衛隊のクーデタを察知、阻止、もみ消しをする主流派に加わっている。ともだち歴になってから、どこかの段階で彼女自身にもその周囲でも、何らかの変化が起きたのだ。

 うちのお袋の口癖の一つは、「女は弱し。されど母は強し。」であった。私の世代は子供の頃すでに強かった母親に翻弄され、長じては急激に強くなった女にさらに翻弄されている。まあいい。ストーリーに戻ろう。サウロンの塔を真似たともだちタワーでは唯でさえ万丈目の急死で大騒ぎなのに、問題続出の有様となっている。



(この稿おわり)




マーガレット (2013年4月27日撮影)













































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