おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

多勢に無勢でも (20世紀少年 第699回)

 大型連休中に下書きを書き溜める予定だったのに、ことのほか仕事や勉強が忙しくなり在庫払底のピンチ。このままでは連載に穴を空けるかもしれません。連載といっても誰かと何かの約束も契約もしていないのに、何でこんなに頑張っているのかしらん。ほとんど意地だけか。それにしても昨日ウクレレの話題を出した途端に牧さんは亡くなってしまった。ご冥福をお祈りします。あああ驚いた。

 第21集の63ページ目、ケンヂと一緒に東北から関東に旅してきた人々は、それまでの暮らしがよほど辛かったのか、たき火を囲んで酒を飲み、歌えや踊れやで賑やかである。ひとり蝶々君は変な呼び名までつけられた上に、いつまでここに足止めを食らっているのかと焦っている。しかも、「今、何人ぐらいいるのだろう」と人員の心配までしているのであった。

 
 蝶々君は北の検問所をギター一本でケンヂが通り抜け、関東軍も一人で乗り込んで制圧したのを見ている。とはいえ、検問では星くんに撃たれたし、関東軍の城でも下手すれば長髪に撃たれたかもしれない。東京で”ともだち”と戦うためには、やはり人数が必要だと考えているのだろう。そして、手形で関所を抜けた際に200人いた仲間は、ここにきて減り始めたのかもしれない。

 先日、小田急のどこかの駅で本屋さんに入ったら、「時代小説」というコーナーがござった。昔は「歴史小説」だけだったように思うが、先日読んだ雑誌にも池波正太郎が時代小説で、司馬遼太郎歴史小説だと大真面目な論評が載ってござった。明確な境界線もなかろうに無理して分けなくてもよいと思うのだが。とにかく時代設定を過去に置くと、見てきたようなことを何でも書けるので自由であり、その奔放さが読み応えになっている。


 私も含め歴史好きという人の大半は、考古学や文献学を好んでいるわけではなく、単に歴史小説なり時代小説の娯楽性を好んでいるだけだろう。歴史上の人物としての坂本龍馬は実はどうでも良くて(言い過ぎかな)、司馬さんの描き上げた竜馬が気に入っているのです。なんせ実在はしたようだから、本物の昔の日本人の活躍ぶりが痛快であれば、それだけで宜しい。

 特に少人数で多勢の強敵を倒す軍記物は古今東西で大人気のようであり、これを率いた者こそ英雄である。外国人さんは省くとして、ここ日本でも義経鵯越とか楠公の籠城戦とか信長の桶狭間とか、幕末ならば桜田門外だの新撰組池田屋襲撃だのドラマは盛りだくさんだが、私が好きなのはなんてったって高杉晋作の挙兵というか暴発である。
 
 これに関してはいろんな作家やブロガーが好き放題に書いているので、残念だけれども改めてここに詳細を記すのはやめるが、引用ぐらいしてもよかろう。このサイトの管理人はかつての長州藩、現在の山口県は下関に今もある功山寺というお寺で、うちの実家と同じく曹洞宗である。宗教施設のサイトとは思えないドラマチックな書き振りだが、何せここでそのとき歴史が動いたのだ。筆も進むというものだろう。曰はく...。


 (以下引用、前略)功山寺が討幕の発火点となったのも歴史のめぐりあわせというものだった。吉田松陰の高弟・高杉晋作の名を歴史にとどめた主な仕事は、奇兵隊の結成、功山寺挙兵、第2次長州征伐の幕軍の撃退の3つを挙げることができる。そのなかでも功山寺挙兵は、これが失敗していたら明治維新は何年か遅れていただろうといわれるほど重要な場面である。

 蛤御門の変、4国連合艦隊の来襲によって藩難を迎えた長州藩では、旧守派(俗論党とよばれた)が血の粛清を敢行して、ひたすら幕府への従順をあらわした。幕府も勢いにのって、長州藩の解体を策すという事態を迎える。福岡に亡命していた晋作は、死を覚悟して帰国し藩論回復のため、遊撃隊士などわずか80人ばかりの同志をひきいて俗論党打倒をさけびクーデターの兵を挙げた。その決起の地が功山寺である。

 当時、京都から落ち延びてきた討幕派の公卿7人のうち三条実美はじめ5人が功山寺にひそんでいた(五卿の間として功山寺に保存されている。)晋作は私兵でない証とするため、五卿にあいさつしたのち挙兵したのだった。やがて奇兵隊のほか諸隊も立ち上がって戦列に加わり、農民・商人など藩内の民衆も決起軍を応援して武士団の俗論軍を圧倒、ついに討幕の藩論を確定させた。

 元治元年(1864)12月15日、高杉晋作が決起したその日は大雪で夜は晴れて月が出た。石段も山門も仏殿の屋根も、中天にかかる満月の光を浴びて白一色に輝くなかを、晋作は愛馬に鞭をあてて時代の夜明けにむかって駆け抜けていったのだ。
(引用おわり) 勇ましい。おそらく、このときの無理がたたって高杉は労咳に倒れる。大政奉還の半年前に死んだ。彼を措いて革命家というのはおるまい。


 さて。蝶々君が振り向く先に、例の東京を取り囲む壁が延びている。土地が部分的に盛り上がった場所は、ご丁寧に壁も同じように高い。「あの壁を越えたら東京だ」と蝶々君は一人つぶやくが、その壁こそが問題である。蝶々君が所在無げに壁に向かって道路を歩いていくと、その壁の手前でたき火にあたりながら背中を向けて座り込んでいるケンヂがいた。

 この壁、どうやって乗り越えるか考えていたんですねと蝶々君は好意的に解釈している。しかし、どうやらケンヂはギターを抱えて、創作活動に余念がないらしく、「だめだ。こりゃまたパクリだ。」と途中で止めた。すげえ新曲ができたと思ったんだが、「いい曲はみんな昔のひとが作っちゃってんだよな」とケンヂはいう。理論的にはオクターブの組み合わせも数学的な限界があるはずか。


 そんなことは蝶々君にとっては、今のところどうでもよい。「壁越えのこと考えてたんじゃないんですか?」と思わず声も荒くなった。ケンヂは壁を見上げ、至って率直に「こんなの越えるのは無理だろ」と評価した。「はあ?」といつものとおり驚かされてばかりの蝶々君であった。ケンヂは確かに東京に行くと言った。それは読者も知っている。

 しかし当の本人はてんでやる気がないばかりか、「東京に行ってどうするかだ...」と行動を始めたのに今さら目的を考えあぐねている様子である。さすがの蝶々君も怒った。ケンヂのここまでの足跡をたどれば、義経や晋作のように「衆寡敵せず」の金言など物ともせず、この寡兵をもって”ともだち”を倒してくれると期待していたのだろう。だがケンヂは軍人ではない。戦う前から逃げ方の指導をするような人だ。方策を練っているのである。たぶん。



(この稿おわり)






映画「ザ・ロード・オブ・ザ・リングズ」より、モルドールの「滅びの山」にある魔王サウロンの塔。一つ目であり、ともだちタワーに似ている。



































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