おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

頭の良い子 (20世紀少年 第670回)

 少し前の話題になるが、WBCはちょっと残念な結果に終わりました。とはいえ準決勝まで厳しい戦いを繰り広げたのだから、選手の労をねぎらうべし。プエルトリコも強かったが、ドミニカ共和国はその上を行った。もう何年も前にアメリカのMLBでは、登録選手のうちアメリカ国籍が半分を切っている。中南米やアジアのチームにアメリカが勝てないのは不思議でも何でもない。

 そういう意味では、野球は世界的なスポーツになった。プエルトリコドミニカ共和国は、メジャー・リーグの選手たちも出場していて立派である。今回、日本チームはそうではなかった。せっかく野球が多くの国に広まりつつあるのに、こんな調子ではいつまで経っても、WBCはサッカーのワールド・カップのような地位も人気もこの国では得られないだろうな。元野球少年としては悔しいです。


 第20週の第7話「偉大な力」は、フクベエでなければカンナを「平気で殺すわ」というキリコの断言に重ねて、少し右側に首をかしげた”ともだち”の立ち姿の絵から始まる。ここからのカンナと”ともだち”の対話は、多くの本当の父と娘の話のごとく噛み合わないまま、ひたすら不毛である上に相手を必要以上に怒らせて、お互いにとって厄介な展開になる。

 カンナは「誰なの?」と難詰している。一度だけの抱擁で相手がニセモノであるとの確信を抱いている。これに対して相手は「ホンモノだよ」と答えているのだが、ホンモノがこんな返事をするものだろうか。本人もまずいと気づいたか、すぐに「君のお父さんだよ」と付け足している。このあたりまで、彼はカンナを手なずけて大人しくさせようと企んでいたのかもしれない。飯一回で口説ければ安上がり。


 しかしカンナは、「とぼけないで」と強硬姿勢を崩さない。読者の知る限り、カンナが父フクベエと直接、触れあったのはただ一度、第12集に出てきたカンナの思い出話だけだ。この記憶だけで彼女は判断しているのだろうか。果たして”ともだち”も多分それと同じ場面であろうが、乳母車から「たかいたかい」をしたという話を持ち出してきた。でも「嘘」とカンナ。

 これでは話にならないと思ったか、それとも疲れたか腹が減ったか、”ともだち”はカンナを隣室にいざなって、せっかくの再会を祝って「食事をしよう」と言った。万丈目の手配によるものだろうか。その依頼者はさっぱり姿を現さないのだが、そのころ大変な目に遭っていてそれどころではなかったのだ。それはまた先のお話し。


 洋風の食事の準備が整っていて、ワイングラスにナプキンもある。自称父は何でも食べたいもの言ってごらんとか、二人で食事をするのは初めてだねなどと、それ相応にホスト役を務めているのだが、お客のマナーは良くなくて、あんたみたいな影武者が何人いるのとか、マスクしたまま食事するのとか難癖をつけている。映画「影武者」のとき仲代は、勝新なら信玄をこう演ずるだろうと思う信玄を演じたそうだ。すごいね、役者の根性というのは。

 ”ともだち”は、それもそうだねと言ってマスクを脱ぎかけた。せっかくのチャンスだったのだが、カンナが「整形でもしているの? さぞかしそっくりなんでしょうね。」と茶々を入れたため、”ともだち”はマスクを取るのをやめてしまい、私たちは男の顔を拝む好機を逸した。そして”ともだち”は、「カンナ、長い間寂しい思いをさせた」と、「僕はコリンズ」的な浪花節に出たのだが相手は若くて通用しない。

 
 ここでカンナの「本物の”ともだち”もお芝居してたわけだけどね。」という放り投げたような一言に対して「思った通りだ。頭の良い子に育った。」と言った時点で、”ともだち”はカンナの言い分を認めてしまったようなものである。ともあれ彼はそういう子に育つように妊娠中のキリコに「秘薬」とやらを投与したと語ってカンナを激怒させている。

 秘薬なんて信じようもない話だが、妊婦時代からキリコは人体実験にさらされていたという証言である。カンナは怒り心頭に発し、丸テーブルを叩いて立ち上がって、「まさかこれも」と言って久々にスプーンを曲げて見せた。そうか、それで食事はスプーン付きの洋食に設定してあったのだな。箸を曲げても様になりません。相手は素晴らしいと感嘆し、僕の「偉大な力」が遺伝子したんだとご満悦である。

 
 カンナの怒りは止まらない。”ともだち”がやったことは「全部、嘘よ」と叫びはじめ、ホンモノの父かどうかの論争から、”ともだち”批判に話が換わっている。スプーン曲げも予言も全部、嘘。そして、”ともだち”が欲しがったその程度の力よりも、「歌を作って、心の底から歌って、人に涙させることのほうが、よっぽどすごい力よ」と言い切ってしまった。

 カンナがそうと知らないのは仕方がないが、ケンヂをほめてはいけない相手に向かって、思いっきり褒めた。それより、これまでのところケンヂの歌を聴いて涙を流した人がいたかな? 蝶野刑事とカンナは泣いたが、それは歌の出来栄えとは直接関係のないことであるし、いまケンヂが北日本や東日本で何をしているのかも彼女は知らない。かなり主観的なというか思い込みそのものか。とはいえ、まさかケンヂから離れて一般論を語っているはずもあるまい。


 ただし、ある種の説得力は十分あった。これまで我慢に我慢を重ねて罵詈雑言を浴びていたであろうニセモノの父は、ホンモノの母キリコの予想どおりの形で堪忍袋の緒が切れた。立ち上がり、「ちょっと」と配下の者を呼び出して、「この娘、”絶交”」と言った。確かにフクベエ時代は、カンナが学校であばれようと、新宿の教会で騒ごうと、校長の首をサイコキネシスで締め上げようとお咎めなしであった。

 それがいきなり極刑である。キリコの予想もカンナの直観も正しかったと考えねばなるまい。とはいえ、ともだち歴に入ってからのカンナの行動も、すなわち「氷の女王」としての電波ジャック、武装蜂起の呼びかけ、タイと中国のマフィアとの連携と充分に以前より過激であったが、”ともだち”はスパイ中川くんを潜入させ監視する程度で泳がせていたのだ。

 それがここへきて、いきなりの断罪。暴走の果て崩壊しつつあるとオッチョは解説していたが、つまりもうカンナが前任者と聖母の娘だろうと、もうどうでも良くなってきたのか。オモチャ箱をひっくり返すときが迫っているのか。カンナは知らずや、すでにこのときクーデターの計画は漏れており、”ともだち”は手ひどい「裏切り」の存在を知っていたはずなのだ。因果応報の自暴自棄か。



(この稿おわり)





アケボノバシ。念のため、ホンモノです。
(2013年3月21日撮影)































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