おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

よっぽど楽 (20世紀少年 第643回)

 第19集の195ページ目でケンヂは、「ウィルスがばらまかれて世界中が死滅」というニュースを知り、「記憶が戻った。いや、逃げ切れなくなった。」と長髪に向けて語っている。こういうふうに、即座に「いや」などと言って別の表現に切り替えるときは往々にして、つい本音を言ってしまったあとで、しまったと感じて建前で言い直すということがある。

 他方で、もっと強調したくて言葉を換えて言い直す場合もある。ケンヂのケースは後者であろう。記憶が戻ったというのは単なる出来事である。しかし、「逃げ切れなくなった」というのには、彼の強い思いがこもっている。記憶を失ってさえ、命が危ないときは一目散に逃げてくれという信条どおりに行動していた逃亡者は、悪が再来したとの報に接して引き返す決意をしたのだ。


 しかし、最初は三日三晩にわたり転がり泣いて過ごさざるを得なかった。血のおおそか、彼は無数の死を見た。自分たちが書いた「よげんの書」が実現してしまったのだ。そしてフクベエの裏切り。封印したその記憶が戻ったばかりか、悪の組織は「よげんの書」を上回る暴挙を続けているのを知ってしまったのである。

 だが、よくぞこらえた。「で、四日目の朝、立ち上がった。」とケンヂの回顧は続く。そして、そのときこう決めたんだという。「俺は正義の味方になる」と。20世紀はそうじゃなかったのと訊きたくなるが、まあいいや。

 かつて特製ケンちゃんライスを作ったときは「平和のために、まずは、お前たちのメシを作る」という第一歩を踏んだのだが、このたびは先ず何をしたのか。それは後に出てくるので、そのときに触れるとして今回は寄り道は無し。

 
 ケンヂはこれから一番、大事なことを相手に伝えようとしているのだ。「俺には全てから逃げるなんて無理だった」と彼は語る。語る相手も同じだと言うための前置きである。やめろ近づくなというスペードの市の警告も聞かず、ケンヂは長髪に近づき「お前が悪だって?」と穏やかに語りかける。

 そして、「じゃあ何で俺の姉貴の彼氏、殺したのをそんなに背負いこんでんだ?」と言った。長髪の顔が歪む。ケンヂが「しょいこんでいる」と判断したのは、単に実行犯だったからというだけではなくて、彼はその話題しかリアリティーを感じ取れなかったからだ。実感と言い換えてもいい。


 ケンヂは、それより聞きたいことがあるんだと言いながら更に総統に近づいている。将平君や市に緊張が走る。訊きたいこととは相手の名前であった。「名前を名乗れよ。お前は悪なんかじゃねえ。」とケンヂは言った。”ともだち”は名乗らないもんね。悪を否定されて、長髪の自制心は限界に達する。ケンヂに向けていた銃口を、自分のこめかみに当てようとした。

 この長髪と13番田村マサオと敷島教授の娘には共通点がある。”ともだち”への盲信は間違いだと他者から否定されたしたとき、あるいは盲信から逃れたのちに、命を絶とうとしたのだ。無理もない。彼らは高校大学のころから早くも信者だったのだから全人格を否定されたような気分だっただろう。社会人経験のあるヤマさんや高須と比べて、そう簡単に呪縛から逃れることはできなかったのだ。


 ケンヂは素早く相手の暴挙を制した。そして「悪になるのは大変だ。正義の味方になる方がよっぽど楽だ」と言った。これは作業や立場の苦楽を比較しているのではなくて、気持ちが楽かどうかを語っている。彼は長きにわたり”ともだち”一派により「悪」に仕立てられれて辛酸を舐めてきた。今や堂々と正義の味方を名乗り、ケンヂの精神は解放されている。まだまだこれから大変な苦労をするんだけどな...。

 ケンヂが長髪を抑え込んだのを見て、市や将平君たちが殺到している。自称悪は制覇されたのだ。ケンヂはこのあと長髪をどう取り扱ったのか描かれていない。東京への旅に同行しなかったのは確かなので、回心して受け入れられるということはなかったのだ。実に良くないことを散々やってきた身の上である。この地で彼の命の保障はない。回想シーンを除き、彼の姿は物語から永久に消える。さようなら。



(この稿おわり)





旅先の大洗で刺身用の白魚を買ったお店 (2013年2月18日撮影)



こちらは苫小牧発、大洗行きフェリー 「さんふらわあ」 




























.