おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

悪とは (20世紀少年 第636回)

 今日は脱線の日。長髪の人殺し男が余りに「悪」にこだわるので、私も最近、まじめに悪について考えたり調べたりしたのだがよく分からぬ。いま私の手許に、闘う哲学者・中島義道著「悪について」という岩波新書がある。読んだが、読めなかった。主にカントの倫理学について書いてあるのだが、「根本悪」などと言われても訳が分かりません。

 ニーチェの「善悪の彼岸」も読んだ。ヨーロッパの哲学者は大半がクリスチャンだそうで、ニーチェセックス・ピストルズと同様、自称アンチ・クライストだが、彼の父上は牧師さんであり、骨の髄までキリスト教文明に浸かっていなければ、神は死んだなどと言えないし、周囲に言う必要もないだろう。キリスト教の悪は原罪という彼らにとっては深刻な問題と切っても切れない関係にあるはずで、私が体感できるようなものではないのだ。

 
 悪という言葉が「20世紀少年」に初めて出てくるのは、おそらくケロヨンの披露宴で話題になった「悪の帝国、蛙帝国」であろう。しかし以前も触れたように、ケロヨンやコンチが自ら悪を名乗った形跡はなく、単にキンちゃんやケンヂたちが「我ら正義の忍者部隊」と名乗り、戦う相手を悪に仕立て上げた感じがする。

 しかし悪の反対語は、正義の味方ではなくて善ではないだろうか。サダキヨ風・サナエ風に言うと、いい者と悪者である。でも、巨悪と戦うのが善人という設定では、娯楽作品として著しく緊迫感に欠ける。善人というのは悪いことをしない人というイメージが私にはあって、積極的に悪と戦うのはやはり正義の味方のほうが頼もしく面白い。


 例によって広辞苑にお出まし願おう。まず「善人」は「善良な人」とあり、説明責任を放棄している。それでは「善」はどうかと見れば、「正しいこと。道徳にかなったこと。よいこと。↔ 悪」となっている。似たり寄ったりだが、「道徳にかなったこと」の部分だけは中身が伴っている。基本的に道徳は禁止令が多いから、やはり、悪いことをしなければ善人だろうね。

 他方で「悪」を引くと意味が五種類もあって、さすがは悪、こちらのほうが多面的だ。例えば、「みにくいこと。不快なこと。」の用例として「悪趣味」を上げている。「おとること。」の用例は「悪筆」。「たけだけしく強いこと」という意味もある。悪源太義平です。「歌舞伎の敵役」という意味もあるらしい。最近亡くなった團十郎勘三郎大島渚はいずれも肺炎。


 そして、「悪」の第一義はなかなか詳しくて、「よくないこと。天災・病気などのような自然的悪、人倫に反する行為などのような道徳的悪の総称。正義・道徳・法律に反すること。仏教では五悪・十悪などを立てる。」と書いてある。善よりも、はるかに守備範囲が広い。そして、やはり正義に反するのも悪なのであった。「よくないこと」には「実に良くねえ」も含まれるか。

 小学館デジタル大辞泉によると、「十悪」とは「殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫・妄語・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見」であり、「五悪」とは「殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゅ)」だそうだ。酒もだめか。他方、バルタン星人はこのどれかに該当するのだろうか。それにあれは「人」なの?


 映画「ジョーズ」が大ヒットしたとき、スティーブン・スピルバーグ監督はこの映画を制作した動機を訊かれて、「巨大な悪を描きたかった」と答えていたのを覚えている。あのホオジロザメの場合、もちろん地元住民や海水浴客にとっては「自然的悪」だろう。仏教でも殺生は悪だ。

 でも、鮫にしてみれば単なる食事である。私の食卓に並ぶのもほとんどが動植物の亡骸で、だからこそ仏教は殺生を戒め続けるのだと偉いお坊さんがおっしゃっていて、なるほどなあと思った。スピルバーグが本当に描きたかった巨大な悪は、後年の彼の作品「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」に示されているように思う。


 辞書的な意味では、石川五右衛門もアルセーヌ・ルパンも、梁山泊の百八人もゴルゴ13アル・カポネも、パンを盗んだジャン・バルジャンもみんな悪人であるが、なぜ我々は彼らを憎まないのだろう。ネットでは凶悪犯を賞賛する書き込みも少なくない。直接、被害に遭わない限り、案外わたしたちは悪が好きなのではないのか。この辺のことを考えすぎると、ジャベール警部みたいに行き詰ってしまうかな。

 「レ・ミゼラブル」が映画化されて評判になっている。あのむやみに長い小説の登場人物の中で、一番好きなキャラクターはプチ・ガブローシュという少年です。ユゴーも愛着を持っていたらしく、自らガブローシュの絵を描き残している。ちょっと星野哲郎に似ているかな。スリーナインは善人ばっかりだ。悪党といえば何たってジョン・シルバーに限る。私は今も「宝島」の主人公は彼だと思っている。

 何はともあれ、男と生まれたからには、女に「いい人ね」と言われるよりは、「悪い人ね」と言われる方が断然いい。



(この稿おわり)




益子町の古い民家 (2013年2月17日撮影)
















































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