おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あたいは今もお母ちゃん (20世紀少年 第634回)

 第19集の153ページ。共に医療の道を歩もうと説得を試みる諸星さんに対するキリコの断り口上は、「店はどうするんです」であった。「父が死んで、母一人。店をほおっておけない」と彼女は力なく語る。母の心配だけではない。キリコは父の霊前でケンヂに向かって、店のことならまかせときなと江戸っ子らしい啖呵をきっているのだ。それを今さら止めるわけにゃあいかねえのだ。

 その経緯を知らないであろう諸星さんは、しかし家族構成は聞いていたようで「弟さんは?」と尋ねている。キリコがやっとで微笑んだ。私はキリコの表情でこれが一番好きだな。彼女は弟が生まれてくる前から、その母親代わりになる宣言をし、それを守ってきた。彼女は約束を違えない人なのである。これは子を思う母の笑顔であり、やんちゃなままの弟が好きな姉の顔でもある。


 話は終わった。そろそろ行かなくちゃとキリコは席を立つ。諸星さんは貴女を家に縛り付けたりはしないと必死の説得を続けようとするが空振りに終わった。キリコは母と交代の時間だからと言って立ち去ってしまう。おそらく次にこの二人が会ったのは、第2集の第9話の場面だろう。「後ろの男」というよく似たタイトルがついている。

 その直前に二人の亡父のお葬式が執りわれているシーンが描かれているのだが、そこでケンヂは店を継ぐ意思がないこと、また、俺がこんなことをやっているのも「姉ちゃんにも一応、原因があるワケで」と歯切れの悪いことをブツブツ言っている。ギターもらっといて、そういう言い草はないだろうと思うね。


 諸星さんが言うところのキリコの「志」が、ようやくまともな形で果たされたのを確認するためには、「21世紀少年」の終幕まで待たなければならない。この日からその日まで、キリコの人生は”ともだち”に騙され翻弄され続けることになる。ここで諸星さんの誘いを断り自分で自分の道を選んだのは、もちろんキリコの強い意志によるものだが、こういう方向に意志を固めざるを得なかったのは、ひとえにケンヂの夢をかなえてやるためだろう。

 家族というものは、本来えてしてこういうものではないかと思う。正確な言葉遣いは忘れたが、自分の人生が不調で不本意であっても、それは子か孫か曾孫か、とにかく子孫の誰かが一旗揚げるまでの役割なんだと阿佐田哲也が穏やかに語っていたのを覚えている。一人の天才を生み出すために、その家系は何代にもわたって、のたうちまわるものだと司馬遼太郎も書いていた。


 サテンに置き去りにされた諸星さんの背後で、西岡がウォークマンの録音を停めている。この連中の盗聴好きはすでに20世紀からのことなのだ。その卑劣にして陰険なこと、さながらウォーターゲートのごとし。未来の自称世界大統領の陰謀といったところか。となればモンちゃんに「しんよげんの書」の一部をコピーして郵送した者はディープ・スロートだな。まさか、あれが名乗り出るとは思わなかった。

 子供は人を見る。私自身が証人である。小学校高学年のとき日米の政治指導者が交代した。私はニクソン田中角栄の顔をテレビで見て、失礼ながら「人相が悪いな」と思ったのを鮮明に覚えている。案の定の結末であった。カール・バーンスタインボブ・ウッドワード立花隆かな。それまで金脈政治をマスコミは報道しなかった。あれ以来、私は我が国の新聞やテレビをあまり信用できなくなった。残念ながら今も半信半疑のままです。



(この稿おわり)




上: 益子駅前の風力発電タワー (2013年2月17日撮影)
下: 大洗海岸マリンタワー (2013年2月18日撮影)















































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