おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

関東軍 (20世紀少年 第610回)

 かつて、日本史の教科書に現代史がたったの2ページしかないとサナエがオッチョに文句を言っていた。コイズミは日本史の自由研究にヒトラーを選んだが先生に峻拒され、あわてて選び直したのが血の大みそかのテロリスト、「ケンヂ一派」であった。

 このとき彼女が見せている教科書は見開き2ページを血の大みそかに使っている様子だから、ともだち暦になって以降、さらにページ数は減ったのかもしれない。新しい”ともだち”は「よげんの書」に関心があまり無いのかもしれない。コイズミの再提案に先生は、近代史は試験に出ないし授業でもやらないと言って思いとどまらせようとした。


 この点は私の青少年時代と何ら変わりがない。小中高と現代史を習った記憶は皆無である。理由は知らない。日教組に訊いたら教えてくれるだろうか。そもそも私は歴史の教科書が、必ず時系列になっているのが気に入らない。どうして、直立猿人とかネアンデルタール人から始めないといけないのか。個人的には好きなテーマだし、ご先祖さまなのだろうが、今の我々の生活には直接、関係がない。

 歴史の授業は現代史から始め、続いてその現代と関わりのある近代を学びというふうに、時間に逆行していくべきであるという信念を抱いている。実際、歴史家や歴史小説家の中には、ある時代を取り上げて調べているうちに、その前の時代に関心が移っていくということは珍しくないらしい。

 
 そんな時代に育ったから、昭和の軍国主義時代の関東軍とは何か、どこで何をしたのかというようなことが未だによく理解できていない。日本は戦争の歴史を反省していないとか総括していないとか関係国から責められ続けているが、そもそも学校で教えていないのだから、戦争を知らない子供たちは戦争の体験がないだけでなく、今や戦争の知識がないレベルに下がっている。

 これまで散発的にあの戦争の本を何冊か読んではきたものの、その程度ではとても理解できない超巨大な出来事である。今は仕事とこのブログで手一杯だが、いつか祖父母や両親が生き抜き、叔父が戦死したあの戦争のことをきちんと勉強したい。叔父が死んだテニアン島にもいつの日か必ず行く。関東軍が駐留した中国に行ったことがない。万里の長城を観たいな。


 将平君にからんできた女は親切な人で、あそこに見えているのか「関東軍のお城」であり、ずーっとグレート・ウォールというものが張り巡らされていて交通を遮断しており、通行手形がないと関所を通過できないなどといった地元の事情を説明してくれたのであった。

 グレート・ウォールというのは万里の長城の英語名である。”ともだち”らがこんな施設名に、関東軍万里の長城などと名付けたのを知ったら、あの穏健で礼儀正しく忍耐強い中国人もさすがに怒るであろう。しかも、こちらの関東軍のお城は、これまた地球防衛軍と同様、美観を損ねる外観をしているし、長い壁も貧弱そうだ。


 関東軍は、日露戦争の薄氷を踏むような軍事と外交の勝利の結果、日本がロシアから取り上げて我がものとした関東州という地名から採られた名であるらしい。関東州は遼東半島の西側にあり、大山巌日本陸軍とクロパトキン(大山は黒鳩金と書いている)のロシア陸軍が激戦を交わす戦場となり、司馬遼太郎坂の上の雲」の巻末地図にも載っている。

 いつか読みたいと思いながら未だ読んでいない吉村昭ポーツマスの旗」は、日露戦争講和条約締結時に全権委任として奔走した小村寿太郎を主人公とする。小村は立派な仕事をした。だが、日本国民はもうこのころから過度に攻撃的で横暴になっている。小村の帰国は悲惨を極めた。


 さて、将平君は通行手形なんて持っていないと当惑している。警察内でさえ、この程度の情報共有もなされていないらしい。女は顎をしゃくって、「だから、これ」と言った。女の尖ったアゴの先を見れば、通行手形屋があふれんばかりに並んでいる。

 昔、浦沢さんの出身地・府中にある運転免許試験場に免許更新のため何回か行ったが、かつては申請書を代書する行政書士さんの店がこういうふうに並んでいたものだ。手招きの仕方までそっくりである。ここで書いてもらえばいいんだと将平君は安心しているが、女は「あの店はどうだろうねえ」と奇妙なことを言うのであった。



(この稿おわり)




肉屋のコロッケ (2013年1月9日撮影)










































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