おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

長い話の始まり (20世紀少年 第599回)

 
 ずっと前にも書いたような覚えがあるが、初めて好きになったスポーツは大相撲で、幼稚園児のころから祖父と一緒に毎日テレビ観戦するのが楽しみであった。記憶では当時の横綱大鵬柏戸佐田の山の3人。大関玉乃島北の富士琴桜など。

 大鵬は力士としては特別、大柄だったという印象はないし、体重で圧倒するような相撲ではなく、力でねじ伏せるような型でもなかった。幼かったこともあって、なぜ大鵬が勝つのかよく分からなかった。今でも分からない。でもとにかく強かった。ご冥福をお祈りします。あちらでは柏戸が待っている。


 さてと。第18集の161ページ目。ドアの両脇で親友隊二人がアソールト・ライフルを抱えて見張りに立つ警戒厳重の部屋の中、「”ともだち”を殺す?」というカンナの驚きの声を受けて、万丈目の長い話が始まる。「ああ、ぜひ君の力を借りたいんだ。カンナ...。」と万丈目は言った。オッチョはお呼びでないのか?

 それに怒ったわけでもなかろうが、オッチョはこれまで”ともだち”と一心同体だったお前が、どういうことだと問い詰めている。まあ、かけたまえと相手は偉そうだが、二人とも立ったままだ。この老人と向い合せで座りたくない気持ちはよく分かる。


 オッチョは汚いやり口だと万丈目を責め始めた。仲間を人質にしてカンナを操ろうとしている。いよいよ本性を現したなと言ったのだが、意外なことに万丈目は「本性?」と意外そうにしている。お前はまだ登り詰めた気がしない、本当の権力が欲しくなった、”ともだち”を殺して自分が世界大統領になろうという魂胆だろうとオッチョは追及する。

 こう言ってはなんだが、どうもこの第18集あたりのオッチョは常識的過ぎるような感じがする。カンナ相手に正論ばかり主張しているうちに、説教くさくなったかな。彼はそういうキャラクターではないと思うのだが、仕方ない、戦闘場面までは我慢しよう。


 万丈目は力なくクツクツと笑ったあとで、確かに登りつめようとしたが、登るってどこまで?と自問している。その答えは後にバーチャル・アトラクションの中で幽霊になった彼がケンヂにぼやく場面で出てくるのでそこで聴こう。「どこから話そうか。とても長すぎる話なんだと万丈目は勿体ぶっている。

 そしてようやく「あの時、事務所のドアをノックする音がしたんだ」と語り始めた。中年の万丈目が、事務所で机の上に靴ごと脚を載せている行儀の悪い絵から始まる。読んでいるのは競馬新聞で、灰皿に吸殻があふれかえっている。すさんだ感じ。

 
 万丈目はレースの予想に夢中なのか、今忙しいので後にしてくれと断ったのだが、来客は勝手に入室してきた。「久しぶりですね。ハットリです。」とフクベエは言った。時は1980年、彼が21歳になる年の珍しくも貴重なシーンである。万丈目は一瞬とまどったが、「あのガキか」と思い出した。

 第10話「聞いてはいけないもの」は、「万丈目エンタープライセズ」の事務所の中、この二人の会話から始まる。第9話の「見てはいけないもの」は、APが見てしまった万丈目の過去なのだろうが、第10話の聞いてはいけないものは、APがマルオに聞かされた口封じのことなのか、それとも万丈目が聞いてしまったハットリの「例の計画」のことなのか判然としない。


 ハットリは白っぽいジャケットに、タートルネックのセーターでさっぱりした服装をしており、顔つきもにこやかである。変な方向に吹っ切れたのか。チョーさんの捜査活動において、このころの彼はきちんと大学に通ってはいなかったような印象を関係者が語っていたが、はたして万丈目に相談に来た目的は、「サークル活動」の企画の持ち込みであった。

 ピエール先生のやり方じゃだめだと彼は言う。いわく、百人を感動させることはできても、一万人を感動させることはできないらしい。その一万人より、その百人が百倍感動するなら同じだと思うんだが、万丈目は興業主だから人数で説得しようとしたか。本当に宙に浮くなら、確かに指パッチンよりは感動的なのは認めるけれど。


 何が言いたいんだと問い返す万丈目に、ハットリは「奇跡はもっとエンターテインメントでなくちゃ」と答えた。これまで読者が見てきたフクベエ少年は、人を驚かして注目を集めたいという欲望の塊のような子であった。給食のスプーンは本当に本人が曲げたかどうか分からないが、本人だとしても誰も見てくれなかった。

 首吊り坂の幽霊作戦は、健康優良児たちに巨大テルテル坊主扱いされたのみで、明日はきっとよく晴れるぜと大笑いされて終わり。一年後の夜の理科室はドンキーに奇跡を信じてもらえず、しかもそのあとで仕掛けが故障したようだから、大恥をかいたに違いない。万博組を装ったニセ日記も読んでもらえなかった。

 
 ことごとく失敗に終わり、おそらく彼が出した結論は、こそこそと小細工で人を驚かそうとしても無理(無能か)であり、ピエール師のような正攻法も面白くなく、チャック万丈目の水商売的な発想と行動力を借りて、興業すなわちエンターテインメントに仕立て上げようということか。手品とカルトを組み合わせたサークル活動を企てて当たったのだな。

 かつて、この「ガキ」にひどい目に遭った万丈目は理屈だけでは動かない。「あの手はもう使えねえぞ。お前と組むとろくなことはねえ」と万丈目は、ふんぞり返ったまま乗ろうとしない。

 児童Aの事件は後ほどまた出てくるのでそのときに譲るとして、ハットリも手ぶらで来るほど迂闊ではなかった。万丈目がふと気が付くとお面などが並んでいる。「お前と組むとろくなことはねえ」というのは真実だったのだが、間の悪いことに彼には借金があった。



(この稿おわり)




うちの田舎の白鷺 (2013年1月1日撮影)






 Mama, take this badge off of me
 I can't use it anymore
 It's gettin' dark, too dark for me to see
 I feel like I'm knockin' on heaven's door

   母さん、僕のこのバッヂを外して
   もう使えない
   暗くなってきた 何も見えない
   天国のドアをノックしているような気分

           ”Knockin' on the Heaven's Door” by Bob Dylan















































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