おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

立つんだジョー (20世紀少年 第581回)

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。新年初回の登場人物は、やはりケンヂを措いて他になし。

 第18集の86ページ。田辺家に拡声器を向けて副官は、「宇宙人に告ぐ。おまえは完全に包囲されている。おとなしく武器を捨てて出てこい」というお決まりの文句を述べた。相手は日本語を話す宇宙人だから会話は楽だ。バルタン星人みたいに「フォ」しか言わない無口な宇宙人だとコミュニケーションが取れなくて困る。

 続けて副官は部下に対し、奴が出てきたらただちに撃てという凶暴な命令を下している。「明日に向かって撃て」のラストシーンを思い出します。そういえば、ロバート・レッドフォードが演じたサンダンス・キッドはケンヂと同じく泳げず、「I can't swim」と悔しそうに叫んでいる。ポール・ニューマンブッチ・キャシディは天を仰いで笑った。

 
 反応がない。副官がもう一度、宇宙人に告ぐを始めたところで、ようやく玄関の硝子戸が開いた。食事が終わったのだろう。突然の展開に一番怯えているのは当の副官だ。家の中から男が出て来た。副官の射撃命令を遮るように、宇宙人は「えー、お集まりの皆さん」と昔風の挨拶をしている。

 「ここで一曲」とケンヂは言った。「こ..ここで一曲って...」と蝶野巡査長は復唱した。「ボブ・レノン」の歌詞をまとめて読めるのは、第8集に出て来たオリジナル・ヴァージョンの録音シーン以来のことである。ここでの宇宙人ケンヂの服装は大みそかの一番街商店街のときとほとんど変わらない。イントロのギターのリズムの刻み方が少し違うようだ。


 この曲の歌詞に出てくる「来年のことをいうと鬼が笑う」や、「雨が降ろうと槍が降ろうと」といった表現は、かつて日常生活やテレビの中でごく普通に使われていたのに、今やすっかりすたれてしまった。「槍が降ろうとも」のところで、蝶野巡査長は私服刑事だった時代に聴いた歌のことを思い出している。

 副官は「誰にも止める権利なんかない」と言われて腹が立ったか、「撃て」と叫んだが誰も撃たない。あの日カンナのカセットで聴いた曲が今、目の前で演奏が終わったとき、「あのヘタクソな歌...」と言って蝶野巡査長は涙をこぼした。あの時も泣いていたな。だが、次は驚く番であった。歌に続きがあったのである。ぐうたら、すーだらと。


 ケンヂの歌唱と演奏は血の大みそかのときより、ずっと熱が入っているような感じがする。しかし熱心な聴衆ではない副官は、何度も何度も「撃て」を繰り返す。ようやくケンヂに向かって撃ったのは、最初に宇宙人と接近遭遇した星巡査であった。ケンヂは右脚大腿部に被弾し、サングラスが吹っ飛んで仰向けに倒れた。

 「なんてことを」と平和主義者の蝶野巡査長は言った。星巡査は松田優作ジーパン刑事を誤射してしまった犯人のように動転している。例の副官は「よくやったぞ、星巡査!!」と褒めているのだが、ケンヂにしてみれば星くんに撃たれて、まだしも良かったのだ。ほとんどの警官がライフルを持っているが、星巡査の武器はピストルだったのだから。しかも、怯えて撃ったせいか的が外れた。


 はたして慌てて駆けつけた蝶野巡査長が覗き込むと宇宙人は意識があり、「立て、立つんだジョーって言え」と妙なことを言った。蝶野巡査長は不勉強で漫画の古典に関する教養がまるでないため相手の意図が伝わっていない様子だが、早く言えと督促されたので、つい言われたとおり言ってしまった。ジョーは立って、「どいてな、段平おっちゃん」とまた訳の分からないことを言った。

 第6話のタイトルにもなっている「立て、立つんだ、ジョー!!」は、矢吹丈が所属する丹下拳闘クラブの個人事業主である丹下段平の決め台詞というか口癖というか、それ程までにジョーは力石に倒され、ウルフ金串に倒され、カーロス・リベラに倒され、そしてその都度立った。力石のトリプル・クロスのときもテン・カウントに間に合わなかっただけだ。


 おっちゃんの拳闘クラブは、漫画の中で「ドヤ」と呼ばれている日雇労働者等の暮す町、山谷にあった。マンガやアニメですっかりお馴染みになった段平の「なみだ橋を逆さに渡ろう」は、私の自宅から歩いていける距離にあった泪橋がモデルで、今は暗渠になって橋は無いが、近くの交差点にその名を留めている。
 
 失った片目に眼帯をして杖を持っている段平おっちゃんの絵は、第8集第1話でオッチョが読んでいる少年マガジンに出てくる。なお、ケンヂが矢吹丈の名を名乗った真意は不明であるが、この二人の主人公には共通点がある。彼らは常に不撓不屈の強者なのではない。悩むときは悩むし、怯えるときは怯える。そして、立つべき時には立ち上がった。



(この項おわり)



 
明日はどっちだ?














































































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