おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

長者 (20世紀少年 第563回)

 第17集の146ページ目、脱走者を撃ち殺した芹沢司令官は、西部劇の悪徳保安官みたいな恰好で、テンガロン・ハットのようなものをかぶっている。星巡査に遺体の片づけを命じ、続いて蝶野巡査長に「その腰につけてんのか飾りもんか? 持ってるもんは使わねえとな。」と言って蝶野巡査長の股間を握り絞めた。

 悶絶して倒れている蝶野さん。お気の毒である。かつて私は何人かの経産婦に、出産の痛さは男になんか分かるものかいといった威張り方(?)をされたが、男が急所を打ったときの痛さこそ女には分かるまい。野球をやっていてボールが直撃したことがある。しばらくは、このときの蝶野巡査長のように動けなかった。もう二度と経験したくない苦痛である。

 
 芹沢は(呼び捨てにします)、パワー・ハラスメント警官である。苦しんでいる蝶野巡査長に、三年前、暗殺犯を見つけておきながら法王を撃たせたとか、東京の警察庁長官の口利きが無かったら、今ごろお前なんか路頭に迷っているところだとか、言葉の暴力も激しい。言っている内容は正しいのだろうが。

 ヤマさん長官は、かつて将ちゃんに対し”絶交”命令まで出しているのに、大失策をおかした蝶野刑事を免職にはせず、最果ての検問所に飛ばしたらしい。下手に反政府運動などに加われるよりは、遠くで飼い殺しにしようという魂胆か。実際、蝶野巡査長は飼殺されている。

 
 司令官は巡査長について来いと命じた。用件は先程の脱走者が自宅に白米を隠し持っていたため、チョージャ様に報告に行くので、その白米を運べというものであった。芹沢は白米を隠していたという件を「脱税」と呼んでいる。ともだち暦3年、少なくともこの地方では税金を米で納めるという江戸時代の年貢制度に退化しているようなのだ。

 何人かが田畑で農作業をしている。米俵を運ぶ蝶野巡査長を見上げる彼らの表情は厳しく、目付きがルサンチマンに満ちている。ここでの警官は町を守るお巡りさんではなく、昔の地頭みたいなもので税を搾り取る支配者なのだろうか。さしずめチョージャ様は守護か。


 蝶野刑事は農作業の歌が変わったのに気付いている。彼はかつて、ケンヂの歌をへたくそと酷評したが、ただ一度だけ聴いたその曲を、数年経っても覚えていることが後に出てくる。案外、音楽の才能があるのかもしれない。

 かつて私は、親戚の先祖が、室町時代に近江で長者と呼ばれていたという伝説を聞いて、長者という言葉について調べたことがある。広辞苑などによると昔は「ちょうしゃ」と濁らずに発音し、年上、目上、有徳の人、穏やかな人という意味合いで使われていたらしい。尊敬が込められていますね。


 いつから「ちょうじゃ」になったかは分からないが、中央公論の「日本の歴史」によれば、室町時代後半に経済が飛躍的に発展したころ、長者に金持ちという意味が加わったらしい。金融業などを営んだらしい。柳田国男「日本の昔話」でおなじみの「藁しべ長者」も典型的な成金物語で、有徳とは直接関係がない(一応、観音様を拝んだご利益とされているが)。

 これから出てくるチョージャ様は、人を外見で判断してはいけないというけれど、外見で判断する限り、有徳の人には見えない。これがグレート・アントニオ・イノキの言う「ミニともだち」なのだろう。



(この稿おわり)


アークヒルズの階段 (2012年12月14日撮影)


























































.