これから物語は、しばらくの間、サナエやカツオたちが暮すニセモノの昔風の街を離れる。このタイミングで、これまで何度かここで書いてきたように、「昭和は良かった」という鈍感なことを平気でいう風潮に対して反論するための具体例を総ざらいしてみたくなった。
とはいえ、私は何度も1960年代の自分や周辺が貧乏だったと言い続けてきたのだけれど、あの程度のことは、私の祖父母の世代が戦中から敗戦直後に経験してきた悲惨な暮らしと比べたら、きっと天国みたいなものだろう。とはいえ私は私で、今の日本と比べれば当時、大変貧しかったのも間違いのないことなので、ここは自分の感覚に従います。
そもそも、これまでこのブログで書いてきた貧乏振り、例えば、風呂は薪でたいていて台所との仕切りもなかったとか、冷蔵庫は氷で冷やしていたとか、ポンコツの白黒テレビしかなかったとか、その程度のことは私にとっては苦労話ではなくて、懐かしい思い出と呼んでいい。ノスタルジーです。
仮に日本経済が衰退して、もう一度、そういう生活に戻っても一向に差しつかえがない。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、国内全世帯の平均所得は、最新データの2010年において538万円。1990年代の半ばをピークとして、ひたすら下がり続けており、530万円台というのは1987年の545万円よりも低い。二十数年前に戻ってしまったのだ。
もっとも、所得がバブル景気の前と同様のレベルに落ちたといっても、その間のストックがあるから暮らしそのものは豊かになっている。当時はケータイもネットもメールもなかったし、上下水道や交通網などのインフラトラクチャーもずいぶんと整備されてきた。だから、これらを維持管理する金があるまで、あるいは耐用年数が尽きるまでは当面、現状のままだろうと期待する。
その先、どんだけ没落しても先ほど挙げた程度の貧乏は、仮に国内で自分一人だけ大貧乏でみじめだというような心理的なダメージがなれければ、なんとでもなる。だが、これだけは二度とご免だという経験もあって、そこまではまだ書いていなかったのです。やっぱり娯楽作品は楽しみながら読みたいから。
しかし、すでに日本の低所得者層は生活困難に陥っているし、この先、富士山が爆発したらどうなるか、原発を止めたらどうなりそうなのか(これについては、後日また触れます)、想像以上に少子高齢化が進んだらどうなるか、分かったものではない。生きているうちに、ここまでは落ちたくないなという境界線が私には三つある。
それを次回から三回に分けて、書き残しておこうと思う。おそらく誰の何の役にも立たない情報だろうが、私自身は自分がわずか40年あまり前に経験したことであってリアリティーがあり、少なからずの子供たちも似たような状況だったのだし、それに経済の衰退は大戦争に負けなくても起きることは歴史に実例が山ほどあるに違いない。
どうやら最近の日本人は後ろ向きの話が大嫌いらしい。フィクションなら許せるようだが、テレビも新聞も、ツイッターもフェイスブックも、Jポップとやらの歌詞も、美辞麗句がずらりと並んでおり、暗くつぶやくとフォロワーの数がどんと減るのが面白くて時々、意識的にやっている。性格は良くない。
そんな時代だから、今回はいわば予告編として、実例は示さずに次回以降に譲り、大貧乏話を始めることだけ書きました。明日から三回は「最後の貧乏話」シリーズが続くので、タイトルで確認していただいて、そういう話題がお嫌いな方は、どうぞ読むのを避けてください。見知らぬ読み手だからといって、平気で嫌な気分にさせてよいという法はない。
(この終わり)
何回か前に「氷屋」は全滅しただろうと書いたのだが、世間を甘く見た。これはお江戸日本橋のど真ん中で撮影したもので、さすがに店内を撮影するのも気が引けたので、配達用の車の中を撮らせてもらった。ただし、さすが商品は氷だけではなくて、ドライアイスもお取扱いとのことである。 (2012年11月24日撮影)
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