おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ひえひえ (20世紀少年 第539回)

 一昨日、ぴんからトリオの宮史郎さんが亡くなられた。お悔やみを申し上げます。「女のみち」はテレビで一番たくさん聴いた曲かもしれない。この歌の作曲者でもあるトリオの一人、今は亡き並木ひろしさんと、むかし一度だけ三重県の桑名でお会いしたことがある。もう20年以上も前のことだ。

 当時のカラオケはまだ発展途上であり、今のようにコンピュータで膨大な数の曲目から選べるのではなく、その場に媒体がある歌しか唄えなかった。そのバーはユニークで、機械の画面では歌詞だけが流れ、並木さんがギターで演奏して下さるという趣向であった(これは、カラオケではないかな...)。


 曲のリストはそのまま並木さんのレパートリーだっただろう。しかし、私の歌いたかった曲はなく、若さの勢いと傲慢さで、並木さんにエルビス・プレスリーの「Can't Stop Falling in Love」を演ってもらえますかと尋ねたところ、ニコリと笑って「たぶん大丈夫」というお返事をいただいたのであった。

 たぶんどころか、オリジナルそっくりの美しいアルペジオで最後まで演奏してくださった。私はキーが低いので、歌唱の上手さはともかくとして、プレスリーのようなバリトンの歌がちょうど具合が良いのです。この曲がエルビス・ナンバーでは一番好きだな。

 
 終わってから並木交響楽団(今年は横森良造さんも亡くなられた。合掌)に深くお辞儀をし、さすがにずうずうしかったと恥じて、一曲だけであとは遠慮申し上げた。リストには日本語の歌しかなかったので、途中、店の女の子がオフのままの画面をのぞきに来て、「おう」と一笑して去っていったのを覚えている。

 ちなみに世界中のたいていの人に、ファースト・ネームだけで通用するのは、イエスプレスリーだけらしい。確かめようもないが。


 さて、第16集の53ページに戻ります。娘一人でソバ屋に入るのも勇気が要ることだろう。サナエは緊張の面持ちで喜楽庵に入り、間もなくオッチョに叩き壊されることになるガラス戸を閉めた。店内は背中を向けた男の客一人と、その向こうに読書中らしき誰か。壁に貼られた品書きを見ると、喜楽庵はうどんにラーメン、丼物やカレーも提供するらしい。

 壁の飾りには懐かしい感じのものが多いな。船の舵の形をした時計。その下は長い温度計。おそらく相撲の番付表と思われる紙も貼ってある。その隣は艶やかなビールのポスターだ。今や真面目な職場でこういうものを貼ることは法令で禁じられている。

 そういえば、ドンキーの死の真相を知った夜、ケンヂは押入れから姉ちゃんにもらったものと思われるギターを取り出しているのだが、なぜか押入れの壁にバドワイザーのポスターが貼ってあった。今はどうか知らないが、バド・ガールのポスターといえばアメリカの街角の風物詩であった。ケンヂと趣味が合ったなー。


 サナエはゲンジ一派の男から、まず入って右の真ん中の席にすわれと言われている。あいにく、誰かが食べ終えて帰った直後らしく、愛想の悪い接客係の男から、他の席が空いているのにと言われてしまったサナエであるが、暗号のしょっぱなから、しくじる訳にもいかない。さらに「ご注文は?」とせかされても、慌てて間違えるわけにもいかない。

 幸いメニューには、サナエの探していた品が載っていた。「あつあつ・・・50増」、「ひえひえ・・・50増」。あまりにも不自然なメニューであるが、簡単に選ばれそうな品でも困るから難しいところであるな。接客係は2回も「いいんですね?」と訊いているので、たぶんサナエが席にこだわり、「ひえひえ」を注文した意味を彼も知っているのだろう。


 出てきた「ひえひえ」は、普通のざるそばであった。注文した本人のサナエが、「これって、ただのおそば」と妙な驚き方をしているが、係の男は相手にしない。風変わりなものを出して、周囲の注目を集めてもいけないからなあ。彼女も育ち盛りだ。毒入りではなどと疑いつつもお腹が鳴ってしまったサナエは、えいやあと食べた。

 このマンガにでてくる食べ物の絵は、いつもながら如何にも美味しそうである。サナエも「おいし!!」と感動しながら、どうやら用件は後回しで食事に集中している。かつて職場の後輩に本当に何でも美味しそうに食べる娘がいて、美味しそうに食べるねと言ったら、みんなにそう言われるのと笑っていたのを思い出す。


 果たして、サナエが近くの席からの視線を感じて「何ですか?」と尋ねたところ、「ううん、あんまりおいしそうに食べてるから」と斜め前に座っていた若い女は答えている。そして、話はその後でいいからと相手は言った。黙示の合図は通じたのだ。茶色のざんばら髪をバンダナにくるんで、カンナは少年マガジンを読んでいる。あまり幸せそうではない。

 「まさか、あなたが氷の女王?」というサナエの驚きの質問にも答えない。何見てるのと、確かに氷のように冷たい対応。緊迫の展開であるが、しっかりと最後まで残さずソバを食べ尽くしたサナエであった。美味しかったと訊かれて、どうやら心の底から「はい、とても」と答えている。

 おかげで、断ったにも拘らず、氷の女王にお代わりを勝手に頼まれてしまうのだが、お代わりを2階に持ってこさせるのが、女王にとって必要な行為であったことが後で分かる。「中川くーん」と呼ばれて、調理場から出て来たのは温厚な青年であった。この店は彼の手打ちなのと女王はちょっと笑って言う。まもなく彼は彼女の手打ちに遭う。



(この稿おわり)






自宅より、夕暮れの富士山と三日月 (2012年11月15日撮影)

















































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