おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

スペースインベーダー (20世紀少年 第534回)

 暇つぶしの楽しみ方の一つに「Human Watching」(人間観察)というのがある。道行く知らない人たちの容貌や服装や言動を観て楽しむというもので、ただし、ジロジロ見続けては失礼にあたるから、服装なら服装とテーマを決めて通りがかりの人々をちらちら眺めてはその多様性などを楽しむ。

 都内で電車に乗ることが多いので、乗客が携帯端末で何をしているか覗いてみるのも私の気晴らしの一つ。携帯電話しかなかった時代はほとんどがメールだったが、スマート・フォンやら何やらが出て来てから、最近増えたのはゲームとツイッター


 私の若い頃のゲームというと人生ゲームとか野球盤とか動力源は人力で、雨の日や夜に家の中で遊ぶものであった。十代にもなると外に出てモンちゃんたちのようにピンボールとか、ブロック崩しとかで遊んだ記憶もあるが、何せお金がかかるので余り熱中した記憶がない。

 1978年、高校三年生になった年、登場したのがサザンオールスターズスペースインベーダー・ゲームである。80年代後半にバンド・ブームがあってケンヂらもその流れに身を投じたのであるが、あれはサザン抜きでは語れない社会現象であったろう。


 さすがに78年は受験生だったので控えたが、翌年から我らの年代もスペースインベーダ―に侵略された。画期的とは、こういうものをいう。ただし、私個人は相変わらず金不足であったのと、あまり上手くなかったので、それほどハマらずに済んでいる。下手だった理由は、画面の上のほうをピラピラ飛んでいくUFOに気を取られているうちに爆死することが多かったから。

 だが、その次に出て来た「ギャラクシー」や「パックマン」とは相性も良く、そのころになると大学生活も慣れて来てバイトでかせぐようになっていたので、一時期ゲームセンターに入りびたりになってしまった。3か月ぐらい中毒症状に陥った。我らの世代は間違いなくゲーム・センターの育ての親だろう。


 幸いゲームにも次第に飽きてきたし、金と時間の使い方としては勿体ないという田舎者根性が良いほうに働いて、足を洗った(当時は1回100円もしたのだ)。スペースインベーダーが画期的だったという根拠の一つは、それまでゲームは一人でやるにしろ相手がいるにしろ勝ち負けは技と運で決まるので、敗れても単に悔しいだけだったのだ。

 しかしインベーダーは敵が勝手に攻めてくるので、負けたときの心理は犯罪被害に遭ったような実に嫌な気分であり、つい復讐のためもう一度やりたくなる。今はファイティングだのシューシングだの、こんなゲームばかりで、しかもネット・ゲームは金銭感覚や時間感覚がアナログ時代とは異なるためか、慢性的に依存症状態になっている子供や若者が多いと聞くが大丈夫か。


 カツオが耳にしたのは、隣の車両から聞こえてくるうめき声であった。姉弟がのぞいてみると、腕に怪我をした男が床に倒れて苦しんでいる。彼はリスクをおかして「ゲンジ一派」の者であると告げ、さらに、「氷の女王、止めろ」と、苦しい息の下で二人に言った。

 そのとき、電車の外から「インベーダーに告ぐ。われわれは地球防衛軍である。」という声が聞こえてきた。ずいぶん大勢、お出ましだ。「インベーダー」に、「お前は完全に包囲されている」と叫んでいる。カツオは「おじさん、インベーダーじゃないよね」と念のために伺っているが、「当たり前だ」と怒られている。


 しかし男によると、”ともだち”は彼らをインベーダーと呼んでいるらしい。英単語のインベーダーは侵略者という意味であって、必ずしも宇宙から侵入・攻撃してくるものだけではない。だからこそ、ゲームにはスペースインベーダーという名を冠したのだ。だが、地球防衛軍が想定している(男の表現を借りれば「信じ込まされているらしい」)相手のインベーダーは宇宙人らしい。知能はカツオ以下か。あるいは恐怖政治のなせる技か。

 怪我人の男はサナエとカツオに、自分が投降するから、その隙に逃げろと言ってくれた。ただし、と交換条件付きである。これがまた命がけの頼みだけあって、重たい依頼事項であった。氷の女王にメッセージを頼むという。子供二人にとって、歌舞伎町の神父および氷の女王への伝言とは厳しい。相手は一方的に事情を説明し出す。やはり大変な内容であった。



(この稿おわり)



一昨日、外勤先の永田町で午後遅くに撮った国会議事堂。
ちょうどこのころ解散の話でも盛り上がっていたらしい。
のろしは上がっていなかったが。
(2012年11月14日撮影)


































































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