おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

テレビの人 (20世紀少年 第521回)

 村上春樹はデビューしたころから読んでいたといつか書いた覚えがあるが、正確に言うと全部読んでいたのは「ノルウェイの森」まで。なんか違う方向に来たなあと感じて、それからしばらく村上文学から離れ、戻ってきたのは「アンダーグラウンド」からだから、かなりブランクがある。

 その間の作品、例えば「ねじまき鳥クロニクル」や「TVピープル」はいまだに読んでいない。「TVピープル」と聞くと私は反射的に、「天才バカボン」に出てきた「テレビの人」というバカボンのパパの言葉を思い出す。バカボンのパパは、テレビが電波を受信して、画像や音声に転換しているというもっともらしい説明を頑として受け付けない。


 彼はテレビ受信機の中に人がいて、ガラス越しに喋っていると確信しており、その人たちを総称して「テレビの人」と呼ぶ。このため時々、パパは質問したり反論したりするのだが、相手はそのまましゃべり続けるばかりなので彼を怒らす。他方、バカボンのパパは「テレビの人」たちが大変、物知りであることを知っており尊敬もしているのだ。純真なのだ。

 映画「ポルターガイスト」の第一作にも、テレビの人が出てくる。こちらは、バカボン家と違って、実は恐ろしい物の怪であった。星条旗が写って、放送が終わったはずのテレビから、かすかに声が聞こえてくるのを末娘が気付く。そのあとで、この家に奇怪な出来事が次々と...。


 第16集の166ページ、サナエは街頭テレビのニュースで、ゲンジ一派のメンバー何人かが追い詰められて立てこもっているという、あさま山荘のような大ニュースを耳にして、大急ぎで自宅に戻って小屋を訪ったが、肝心のハルク・ホーガンがいない。

 探すとオッチョは珍しく、近くの路地でコケている。急ごしらえの松葉杖と傷ついた左脚では、彼の巨体を支え切れなかったのだ。きっとオッチョは段々と政治色を強めているかにみえるサナエを、これ以上刺激しないように、一人、新宿を目指そうとしたに違いない。

 しかし、サナエの急報を受けて、オッチョはヨシツネの身を案じ、そのニュースをテレビで観られるかと問うた。この質問が姉弟をとんでもないトラブルに招くことになる。親はもう寝ていると考えたサナエはオッチョを屋内に招じ入れるのだが、テレビがついている。カツオと悪友が、「イレブンいい気分」の最後のあたりを見ておったのだ。


 カツオらが責任のなすり付けあいをするのを制して、サナエはテレビのチャンネルを替えた。国営放送にでも切り替えたか。昔のNHKは、まだ子供が起きていることもある時刻に、画面に「日の丸」を映し、「君が代」を流して、重々しく放送を終了したものである。

 ともだち暦3年では、今ここでニュースを観ようとしているオッチョ自身が、50年ほど前に作ったマーク入りの旗が映し出され、「パッパラパー」という気合いの入らない音楽とともに放送は終わった。サナエは放送が終わったらテレビを消さないといけないという条例があると言ってテレビを消そうとしたが、オッチョは怖い顔で「待て」と言った。


 テレビは白黒の横線が乱れ飛び、ザーザーと雨のような音を流すばかりと思いきやカツオの耳にも何かが聞こえてきた。「女の人の声?」とサナエがオッチョの横顔を伺っている。テレビの人の声は、極めて物騒な呼びかけを繰り返す。「武装蜂起せよ」。クーデターの扇動か。決起のときは、8月20日午前0時。しかし、これはいくらなんでも無防備すぎよう。条例が公布された段階で、当局が察知したと判断し、蜂起は中止すべきではないか? 

 しかし、もう時間が切迫していて、反乱軍もそれどころではなかったのかもしれない。時間がないのは、オッチョも同様である。なぜかテレビが故障したのを奇禍として、3人は計画を立てた。まず、目指すのは歌舞伎町教会である。しかしまあ、どこからリヤカーなんぞ引っ張り出してきたものか。心配顔の母に見送られ、テレビ修理隊は淀橋を目指す。



(この稿おわり)




刈取りのあと (2012年10月21日撮影)
































































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