第1集の冒頭でケンヂとお母ちゃん、キリコとカンナが出て来たときにも同じようなことを書いたのだが、この第16集の125ページ目から始まるカツオの家庭の描写も、3ページぐらいの間に家族の構成とそれぞれの性格がだいたい分かるように、ごく普通の会話でうまく表現されていて、いわゆる説明台詞のわずらわしさがない。さすがの腕前。
カツオには、家族のまとめ役を担う口やかましくてパワフルな母、しっかり者の姉、すこし頭の老化が始まっている祖父、酔っ払って帰宅するのが常習らしい「宿六」の父がいるようだ。磯野家と違い、丸い卓袱台が小さいので、年寄りと子供の食事が先だ。テレビドラマに出てくる「笑顔の家族」のようなまがい物ではなくて、愛想がなくても仲が良さそうだし生活感にあふれている。
特にじいちゃんのボケ具合と、カツオのそそっかしさのバランスが程々に良くて、妙なところで見当はずれな結論が出る。この夜の場合、雷神山の強さを称えるカツオに対して、じいちゃんは、あいつに比べればまだまだだと強気の論陣を張った挙句、口をついて出てきた「あいつ」の名前が、グレート・アントニオ・イノキ。
じいちゃんのいい加減な説明とカツオの誤解により、グレート・アントニオ・イノキは、ボロボロの服と長くてボサボサの髪という姿で、熊と戦っても負けないレスラーと言うことで落ち着いた。カツオには、どうやら、それらしき人物に心当たりがあるらしい。他方サナエはカツオがアジの開きらしき夕飯のおかずを、こっそり仕舞い込んだのに気が付いている。
「熊といえば牛」と、じいちゃんの論理は華かな飛躍を見せている。じいちゃんは、死ぬまでにもう一度、美味しいビフテキ(注:ビーフ・ステーキの略称。昭和時代の伝説のご馳走)が食べたいのである。爺ちゃんは涙をこぼす。何、泣かしてんのとカツオが母に叱られている。
カツオによると、牛はウィルスを媒介するので食べてはいけないと母ちゃんに言われているそうだが、おそらくこれは母ちゃんの便法で、宿六の稼ぎに応じた台所事情によるものであろう。古来こういうふうに、子供は騙されては真実を見抜きつつ育つことになっている。
食事が終わって日が暮れて、カツオは「おじさん」と声を掛けながら、離れの物置の扉をたたいた。小屋の中では左脚に包帯を巻いた男が横になっている。カツオは自分の夕食の一部を、小屋にかくまっている「おじさん」の食事として供すべく、毎日、運んでいるらしい。
カツオがじいちゃんから教わったばかりの伝説のレスラー、グレート・アントニオ・イノキこそ、この「おじさん」であると早合点したのには訳があったようだ。この男が何メートルもある壁を乗り越えて飛来し、橋の上で悪者5人を打ち倒したのを少年は目の当たりにしたのであった。
しかし、敵は卑怯にも飛び道具を用い、男は脚を銃で撃たれて川に転落した。そこをカツオに助けられて、今はこうして養生中であるらしい。男はお前に助けてもらわなければ、今ごろあの世逝きだと感謝している。だが、カツオから見れば、おじさんは英雄なのだ。だから、グレート・アントニオ・イノキに違いないのである。
おじさんもプロレスを知っていたようで、じいちゃんと少年の混乱に気付き、解説してやっている。まず、「俺らの時代」にアントニオ猪木という強いレスラーがいた。そして、もう一人、これは私も漫画雑誌で読んだだけの遠い昔の話だが、グレート・アントニオという力自慢のプロレスラーがいて、バスをロープで引っ張って見せたりしたらしい。
カツオはまだちょっと納得しかねる様子である。おじさんのほうは、「俺はそんな強い奴とは違う」と謙遜している。大怪我をして、少し弱気になっているのか? 「俺は...ただのオッチョだ」とオッチョは言った。
(この稿おわり)
実家に残る半世紀前のメンコ。
ユキジとドンキーに捧ぐ。
右はジャイアントロボ。
左はアポロ11号の月着陸記念。
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