おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

プロレスの思い出 (20世紀少年 第512回)

 さあ、前回は理屈をこねたので、今回は気分一新、プロレス論に取り組みます。ともだち暦3年、街頭テレビの英雄は、どうみても力道山がモデルの「雷神山」(ライジングサン)である。雷神というのは我が国でも古い神様なので、雷神神社や雷神山は全国に散在している。

 これに旭日の「Rising Sun」をかけた命名であろう。かつて話題に出した「朝日のあたる家」の原題は、「House of the Rising Sun」であった。雷神山は第16集の125ページ目に初登場する。カツオの声援を受けて、得意技らしき「サンダーつっぱり」を相手に浴びせている。力道山の空手チョップに当たる。


 プロレスラーやプロレス・ファンの皆さんには悪いが、今やプロレスも日本ではすっかりマイナーになってしまった。二三年前にテレビで最後のプロレス番組が終わってしまったとき、もう20年以上、プロレスから離れていた私ですら、なんだか淋しいなと感じました。小学校・中学校のころ、周囲の話題は相撲よりプロレスのほうが盛んだった時代を過ごしてきたのだから。

 1950年代のファンはプロレスが、例えばオリンピック同様の真剣勝負だと信じていたという記事を読んだ覚えもあるが、私がプロレスを観はじめた1960年代の後半においては、すでにプロレスは「筋書きのあるドラマ」であるという常識が定着していた。筋書きがあるということ、つまり台本なり脚本なりがあるということは、八百長とは根本的に異なる。


 むしろその逆で、シナリオがある限り、八百長は原理的に発生し得ない。あるとすれば裏切りだけだ。ところが、どうもその後の本格的な格闘技などの隆盛をみていると、どうやら現代の日本人にとって、プロレスは八百長でズルであり、真剣勝負にしか価値を認めないという方向に流れているように見えるがどうだろう。

 あるプロレスラーによれば、プロレスの大技はそれなりの技量があるもの同士で、技をかける方もかけられる方も、真剣に全力でやらないと大けがをするという話を聴いたことがある。これは子供のころプロレスのマネをして遊んでいた私には、ある程度、体験的に共感できる説明である。プロレスの技は、敵味方両者による合作ともいえようか。


 この点でプロレスはサーカスに似ている。サーカスやアクロバットにも筋書きがあるが、勝敗がからまないので八百長と言われないだけであって、鍛え抜かれた者でなければ、マネすら危ない興業という意味において同類である。

 うちの両親はほとんどテレビでプロレスを見せてくれなかったが、そういうとき当時の子は親戚や近所に逃げて、見せてもらうことになっていた。すでに力道山は他界していたが、彼が育てたり戦ったりしていたレスラーの多くは全盛期を迎えていた。馬場と若き猪木がタッグを組んでいて、坂口が出て来たころである。


 私はオリンピックとサッカーのワールドカップのときだけはナショナリストになるが、それ以外は強くて個性的なら平気で外国人さんを応援する。雷神山と戦っている”地獄の使者”デストロイマシン2号のモデルは、四の字固めの達人、ザ・デストロイヤーである。バラエティー番組にまで登場する多芸な親日家であった。

 デストロイヤーは、”千の顔を持つ男”ミル・マスカラスと並んで、当時の代表的な覆面レスラーである。聞くところによると、彼らは覆面こそが本当の顔であるため、冠婚葬祭も覆面姿で参列するとのことである。”ともだち”の覆面マスクは、これのマネッコに違いない。タイガーマスクは、どっちが本当の顔だったのだろう?


 少年時代の思い出は、他にも”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック、”噛みつき魔”ブラッシー、頭突きとくればボボ・ブラジル大木金太郎、”人間発電所ブルーノ・サンマルチノ小学館の少年誌や週刊マンガ雑誌も、プロレス情報満載であった。残念ながら試合を見た覚えがないが、当時はまだルー・テーズカール・ゴッチも現役だった。

 中学と高校のころは、部活と受検でプロレスから離れてしまい、再びテレビで観るようになったのは、大学に入ってからである。土曜日の夜の番組が好きで、大一番は何と言ってもブッチャー・シーク対ザ・ファンクスによる、凶器と流血の格闘であった。そのあとスタン・ハンセンやハルク・ホーガンが出てきた1980年あたりで、私のプロレス観戦史は終わり。

 そういえばビューティ・ペアなどという流行もありました。「1,2の三四郎」の東三四郎が、ブレインバスターで小島を切って取ったのも同じころか。アホな青春の一ページ。




(この稿おわり)




刈取りの終わった田んぼは、子供にとって格好の遊び場でした。
野球やったり、ドッヂボールやったり、相撲とったり。
(2012年10月19日撮影)



























































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