おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

少年サンデー (20世紀少年 第478回)

 少年サンデーは、てっきりその名のとおり毎週日曜日発売だと固く信じて疑うことなく四十年以上を過ごしてきたのだが、何と驚くべきことに水曜日発売なのだという。先日、2012年9月12日(水曜日)に近くのファミリー・マートで調査したところ、確かに本日発売のコーナーに並んでいた。

 なぜか知らないが、週刊誌も月刊誌も、○○号の日付は未来になっている。手元のビッグ・コミック「9月25日号」は、9月10日に発売されたもので、9月25日は次の号が発売される日だから、雑誌の号の日付とは賞味期限のようなものか。早く買って早く読まないと次の号が出るぜという督促のようなものか。


 上記の9月12日に発売されていた少年サンデー41号は、「9月26日号」になっている。何故か知らないが、2週間前の日付になっているのだ。隣の棚の少年マガジンも全く同じであった。昔もこうだったかどうか私には調べようがないが、以下、少年サンデーのこの方法を前提に、以下、第16集冒頭の場面の時代設定を検討します。

 第15集の9ページ、虹のシーンの次は、どうやら小学校の教室内であり、一人称物語の語り手は、その後の彼の自宅および秘密基地でのストーリー展開からして、間違いなくフクベエであろう。フクベエが少年サンデーを読んでいる。マンガをのぞき込んだケンヂが、「お、今週のサンデーじゃん。」と言っている。


 このサンデーは背表紙に「31」号、表紙絵の右下に「7月27日号」と書かれている。一冊70円也。マルオが「さいとう・たかをの新連載、始まるんだ」と言っているとおり、フクベエが見開きにしているページには、「新連載」と銘打った「デビルキング」が掲載されている。

 前にも触れたが、ネットの日本語の記事におけるマンガとアニメの情報量は、大変な分量と細かさがある。これらによると、「デビルキング」の掲載が始まったのは、1969年31号からとあるので、このシーンは1969年、彼らが小学校4年生のときである。マルオが「おろち」の続きを見たいとも言っているが、楳図かずおの「おろち」も、69年31号時点で連載中である。


 さてここに、ちょっとした問題があり、1969年の「7月27日」は、水曜日ではなく日曜日である。2週間さかのぼった7月13日も当然、日曜日になってしまう。昔は2週間前ではなかったのかもしれない。ただし、この日は7月20日よりは前のはずだ。

 なぜならば、1969年7月20日は、この年のケンヂたちの夏休みの初日だから、フクベエたちが教室にいたこの日は、その前でなければならない。夏休み初日に大勢で教室に集まったなら別だが、まずそれはあるまい。それにケンヂもマルオもランニングシャツ姿ではないから、まだ1学期のはずだ。

 マンガ本を持ってきてもよい小学校だったのだろうか。1969年7月20日(日)にケンヂたちの夏休みが始まったという事実は、第1集の125ページ目で、ケンヂの回想に出てくる。この日の夜半、月面着陸を目指したアポロ11号を見るために、ドンキーは遠藤酒店の扉を叩いた。


 かくて、この教室内でのマンガの奪い合いと、窓の下のドブにサンデーを落としてしまった事件は、1969年7月中旬の出来事と知れる。第16集前半における小学生のころの各場面が時系列で並んでいるとすれば(多分そうだろう)、直前の虹のシーンは、梅雨の晴れ間か、梅雨明けの夕立のあとだろう。

 オッチョの服が違うから、サンデー事件とは別の日だ。気象庁のサイトによると、1969年の関東甲信の梅雨明け(確定)は、「7月14日ころ」とある。微妙なところだが、第16集の表紙絵の白い雲は、梅雨時のものというより、盛夏のそれに見える。

 このサンデーの表紙には、コウモリのような小動物が描かれている。なぜまたコウモリなのかと思っていたのだが、これまた漫画サイトの情報によると、1969年のサンデー30号と31号に、横山光輝が「ムササビ」という作品を載せているので、この絵はたぶんムササビなのだろう。


 強迫神経症という精神疾患がある。重くなると、火の元や施錠を何十回も確認しないと外出できないとか、一日8時間も手を洗っているとか、日常生活に大変な不便が生じるのだが、本人はもちろん辛くて辛くて大変なのだ。フクベエは、異常に潔癖なところがあって、貸したサンデーが「子供」に汚されたり、折り目をつけられたりするのを心中で警戒している。

 ところが、ケンヂかマルオか、本人たちが覚えてすらいないので誰の失敗か分からないが、サンデーは窓際に放置されたまま忘れ去られ、フクベエが気付いたときには窓の外の排水溝に落ちていた。ケンヂとマルオは「弁償する」と子供ならではの謝り方をしているが、「別にいいよ」と言われて、あっさり身を引いた。


 フクベエは「おい、弁償しない気か」と言いたいのだが、見栄が先行して、漫画なら家にいっぱいあるからさ、と威張ってしまったのが運の尽き。せがむ「子供」たちを、自宅に連れていく羽目になった。この日に人類は、滅亡の危機に向かって歩み始めたことになる。

 期せずしてその引き金をひいたのは、小学館週刊少年サンデーだった。なお、フクベエのサンデー好きは、第10集でサダキヨが館長を務めていた「ともだち博物館」に、サンデーとマガジンがぎっしり並んでいたことからも分かるし、第7集の128ページ目で彼がつぶやいている「ジャイアントロボ」もサンデーに連載されたものだ。




(この稿おわり)




ユキジいわく「彫の深い」ジャイアントロボの顔は、一節によると、この王のミイラがつけていたマスクがモデルであるという。ファラオもびっくりだ。
(2012年9月10日撮影)





























































.