おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Twelve Monkeys (20世紀少年 第469回)

 もしも仮に「20世紀少年」の構想が、いずれかの映画作品の影響を受けているのだとしたら、それは「12 モンキーズ」を措いて他にあるまい。1995年公開のアメリカ映画。ちなみに、「20世紀少年」の連載開始は1999年である。ブルース・ウィルスの映画は、ジジババのアイスと異なり、私にとって「外れ」がほとんどなく、エンド・ユーザーとしては実にありがたい俳優さんである。

 「12 モンキーズ」も彼が主演するということで観たわけだが、思わぬ儲けものといえば、そのとき初めて見たブラッド・ピッドである。これまた上手い役者が出てきたなあと感嘆しました。その後の彼は、どちらかというと良い人を演ずることが多いようで不満である。今一度、初心に帰り、同年代のジョニー・デップを見習って、変人の役もたくさん演じてほしい。


 映画「12 モンキーズ」の冒頭は(以下、映画の筋に触れますので、まだご覧になっていない方はご注意願います)、手元にDVDがないので曖昧な記憶によるが、タイプライターで文字を打刻していくという昔よく使われた手法による字幕で始まる。その記録者である女性の医師と、その証言者の男が主人公であることが後に分かる。

 この記録は、2000年のフィラデルフィアの精神病棟で収録されたもので、その内容の禍々しさは、われわれにもお馴染みというべき未来像を語っている。すなわち、1997年、謎のウィルスにより人類の殆どは滅亡。生き残った1%は地下に逃げ、隠棲を余儀なくされる...。


 ウィルスによる人類絶滅というテーマ、1997年という年号、生存率1%という数値。第1集の最後のシーンでケロヨンは、「よくまあ、それだけ偶然の一致が続いたもんだな」と言ってケンヂを怒らせているが、さて、これらの映画と漫画の類似点(実は、他にもあるのだ)の数々をどう見るか。

 最初に時代設定であるが、「12 モンキーズ」の場合は、映画公開の2年後が1997年、「20世紀少年」の場合は、連載開始の1年後が血の大みそかの2000年と、いずれも近未来を舞台にしているだけのことと考えれば、SFでは普通の手法であり、偶然の一致とみてもよいだろうな。「20世紀少年」の1997年は、いわばエピローグであって、「12 モンキーズ」の1990年に相当すると考えればよし。うん。


 次、生存率の1%。これは元々、私の悩みの種だったのだ。あらゆる種類の毒性ウィルスが常に1%の生存者しか残さないというのは、もちろん我々の経験則から大きく外れている。最悪の場合でも1%は残るというような統計結果が、疫学の世界にあるのなら、キリコが本気にしているのも分からないではないが、その辺の事情には詳しくないので何とも言えない。

 まあ、1%なら切りの良い数字だし、いかにも恐ろしい致死率をいうイメージを喚起するだろうから、これも偶然の一致にしておこうかな。偶然の一致もケンヂの場合と同様いくつか重なれば必然になるかもしれないので、本当なら、この辺で止めておきたいのだけれど。


 ウィルスによる人類滅亡は、斬新なテーマではなかろう。マイクル・クライトンの「アンドロメダ病原体」は、1969年の作品である。後に話題にしたいが、小松左京の「復活の日」はもっと古い。生物化学兵器は、私が子供のころから核兵器と並んで、人類を滅ぼしかねない凶器であると認識されていた。遡れば、H.G.ウェルズの「宇宙戦争」もある。もっとも、あの作品で微生物の被害を受けたのは人類ではなかったけれど。

 フィクションにおいて全人類を一斉に滅亡させるには、いくつか方法がありそうだが、中生代末期のような隕石の衝突は、人為的ではないので物語としては面白みに欠ける。核戦争もすでにフィクションの材料として十分に使われたように思う。

 「渚にて」、「火の鳥」、「ザ・デイ・アフター」、「風が吹くとき」...。昔は本当に怖かったのだ。だが、核兵器も最近は、少なくとも今のところ抑制が効いている。今の日本では原発を怖がっている人のほうが多いかもしれない。少人数によるテロとなればウィルスが選ばれても不思議ではない。とすれば、これも偶然の一致であろうか。


 ヴァーチャル・アトラクションは、操作者が未熟である場合、到着すべき座標を定めたはずなのに、意図した時空とは違うところに参加者を送り込んでしまう。あるいは、アトラクション内で、意に反して別のステージに飛んでしまう。それがまた、ストーリーの新展開の引き金になっていて面白い。

 「12 モンキーズ」に登場する2035年型のタイムマシンも、その無責任さにおいて、いい勝負である。気の毒に、ブルース・ウィリスは素っ裸のまま、目標と6年違いの1990年とか、それよりも遥かに昔の第一次世界大戦時、独仏戦の最前線に送られてしまうなど大変な苦労をしているが、それがまた後で役立つという寸法である。これも似ているのだよなあ。

 また、ブルースは何の悪気もなく、ブラッドにウィルス兵器のアイデアを与えてしまった。オッチョがケンヂ達に山根案を伝えたように。映画では、寅さんのようなスポーツ・バッグを手にした男が、フィラデルフィアを起点に1週間で世界中にウィルスをばらまいて歩く。最初はサンフランシスコ、次がニューオーリンズ...。


 せっかく、ブルース・ウィリスとブラッド・ピッドが共演しているのに、彼らは決してジョン・マクレイン刑事のように豪快な正義の味方でもないし、オーシャンズの仲間のように爽快な悪役でもない。ハッピー・エンドでもなければ、カタルシスもらって泣いてすっきりするような映画でもない。構成が複雑で難解でもある。だから、実は余りお勧めできない。

 それでも、この映画は私にとって、この両男優の代表作である。「12 モンキーズ アーミー」は、「世界を滅亡させた軍団」という嫌疑をかけられたが、実はケンヂ一派と同様、とんだ冤罪で、彼らがやらかす騒動のにぎやかさが、この映画に描かれる未来の悲惨さを少しばかり和らげている。別のテロリストが、かしましい人類を減らして地下に追いやったのだ。その後は山上の垂訓のとおり、穏やかなる者が地を継ぐことになった。


 未来の刑務所から過去に飛ばされたブルース・ウィリスは、ラジオが楽しくて仕方がないらしく、車の中でも熱心にラジオを聴いている。この歌、気に入ったぜと彼が嬉しそうに感想を述べたのは、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」が流れたときであった。それほど彼がいた未来の世界は荒んでいたのだ。あれでも、彼には恵まれた死に方だったと言えるのかもしれない。

 結局、偶然の一致の連続なのかどうか、結論を出せないで終わります。ともあれ個人的には、原っぱの秘密基地もロック・ミュージックもマンガも出て来ないような映画は、同類ではない。




(この稿おわり)





(2005年、ケニアにて撮影)

























































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