かつて、ジャズには興味がないというようなことを書いてしまったことがあって、少し後味が悪い。全く聴かないわけではないし、楽しい思い出もあるので、本日は出直しです。1990年代の前半に2回、ニュー・オーリンズのバーボン・ストリートに行ったことがある。
同市があるルイジアナは一時期フランス領だったため、仏語系の地名が多い。州名はルイ王、オーリンズはオルレアン、バーボンは酒でもあるがブルボン王朝に由来する。バーボン・ストリートはジャズの街だ。ライブ・ハウスがたくさんある。ジャズだけではなくて、ロックやブルースの店もある。一晩中、演っている。
今はどうか知らないが、当時はどの店も飲み物一杯の料金だけで、何時間でも居座ってジャズを聴けた。私の場合は目当ての店や贔屓の奏者がいる訳でもないので、徹夜で一杯ずつ酒を飲みつつ店から店へと流れていく。明け方にはすっかり酔ってホテルに戻って寝る。
昼間は昼間で、ミシシッピ河のほとりにあるオイスター・バーに寄り、カウンターで働く黒人の兄ちゃんと喋りながらカキを食ってはビールを飲む。カーペンターズの歌で有名になったジャンバラヤを食いながら、またしても酒を飲む。ニュー・オーリンズは酔っ払いにとって天国のようなところだ。ハリケーン・カトリーナの被災からもう立ち直っただろうか。
ルイ・アームストロングは、この街ニュー・オーリンズで生まれ育ったジャズ・マンである。トランぺッターとしてだけではなく、歌手としても優れた作品を数多く残した。第15巻第7話のタイトル「この素晴らしき世界」は、彼の代表作の一つ、お馴染み「What a Wonderful World」の邦題である。十数年前に作った私の「自己ベスト集」のMDにも、しっかり入っている。
この曲はジャズ・ナンバーと呼べるのだろうか。歌詞やメロディーはフォーク・ソングのような感じもするが(アルペジオが良く似合う)、ともあれ何よりサッチモのど迫力のハスキー・ヴォイスが聴きものであり、ジャンルを超えている。
小学館のビッグ・コミックのシリーズには、ときどき漫画の下の欄外に、ところどころ雑学コーナーが載る。もう二三年前になるかと思うけれど、確かこのコーナーで読んだエピソードを一つ。この曲がヒットしたころ、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまり込んで苦しんでいた。
米国政府は、これから出征する兵士たちを集めた会場にルイ・アームストロングを呼び付け、「What a Wonderful World」を歌わせた。満場、寂として声なしだったという。ベトナム戦争のころのアメリカは、まだ徴兵制である。歌う方も聴く方もさぞや辛かったろう。戦争というのは、戦場以外でもこんな残酷なことを平気で行うのだ。
第7話にこの曲の名が使われているのは、囚人番号13番、田村マサオがこの曲らしき歌を聴いている場面があるのと、横断歩道を渡る手助けしたおばあさんに語った言葉から採られているものだ。幸い、13番が年代物のポータブル・CDプレーヤーで聴いている曲の歌詞には、「わら びゅりほー にゅ〜わ〜るど」などという変な歌詞が入っているので別の歌である。
ロサンゼルスのスラムにたむろしている黒人をたくさん見ていて、正直言ってうんざりしていた私は、ニュー・オ―リンズやアトランタやヒューストンで、人懐こくて元気で明るく働いている黒人に大勢会い、気軽に声をかけてもらって、目の覚めるような思いだった。
彼らのご先祖はアメリカの南部を中心に、悲惨な差別と過酷な労働の歴史を生き抜いてきた。「What a Wonderful World」がヒットしたのは1968年というから(蛙帝国の年だな)、その数年前に公民権運動は法制化を果たし、成功裏に終わっている。新しい世界が到来した喜びを歌ったものなのだろうか。
しかし、その1968年は、この運動の指導者であり「私の夢」を描いて進んできた男、マーチン・ルサー・キング牧師が凶弾に倒れた年でもある。ルイ・アームストロングが、その訃報をどう受け止めたのか私は知らない。この世界が本当に素晴らしいのかどうかも知らない。生まれた以上、生きるだけだ。できるだけ素直に、この歌を聴くことができるように。
(この稿おわり)
I see trees of green...(2012年8月9日撮影)
The colors of the rainbow, so pretty in the sky.
Are also on the faces of people going by.
虹の彩り 空に麗しく
行きかう人々の顔つきも
それに勝るとも劣ることなし
”What a Wonderful World” by Louis Armstrong
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