おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

石狩鍋の夜  (20世紀少年 第383回)

 第13巻に出てくる北海道の室別という地名は、ネット地図で検索した限り出てこないので、架空のものであろうか。「室」は室蘭から取ったか、「別」は登別温泉か、紋別か。特に、「別」の字が入ると、いかにも北海道らしい地名になる。アイヌの言葉で川を意味するらしい。

 すでに私たちの世代から、卒業と就職が決まると海外旅行に出かけるというのが流行り始めた。もっともまだバックパックが流行する前であり(沢木耕太郎の「深夜特急」は私が社会人になってからだ)、当時の円相場や航空料金からすると、貧乏大学生が海外旅行に行くのは無理がある。


 親の支援が期待できなかった私は、バイトでためたお金で北海道に2週間の一人旅に出た。この旅行記を詳しく書くには時間も紙面も足りないので、紋別についてだけ記す。小さなホテルに泊まった。紋別滞在の目的は、単に次の目的地に行くための宿泊であった。

 ホテルは海辺にあり、宿の小ささに比べるとレストランが豪勢で、きちんとした洋風であり海側の壁がほとんどガラス張りになっている。朝食時、空いていたので、ウェイターさんは窓辺の特等席に若造の私を案内してくれた。窓の外、真っ青なオホーツク海が広がり、流氷が悠然とたゆたっている。あの美しさを書きとめておくだけの筆力がないのが残念であります。


 この北海道旅行は大自然を観て、北国の2月の寒さと雪の深さを体験したくて選んだ。それはそれで本当に期待以上の素晴らしさだったのだが、それに加えて嬉しかったのは地元の人たちが行く先々で、「どこから来た」、「どこへ行く」と人懐こく話かけてくれたことと、どこで何を食べても美味しかったことだ。

 場所は忘れたが、石狩鍋も何度か食べた。確か、青函連絡船の中でも頂いた覚えがある。そのときは鍋のど真ん中に、大きな鮭の切り身が「どうだ」という感じで乗っていたのを覚えている。


 生前の井川さんがトモコさんに送ってきたメール画像は、彼女の依頼により転送先のコイズミも、一緒に見てお弔いをすることになった。全部で画像は5つ。最初の3つは飲み会で、その都度、服装や連れが違うようだから、井川さんは酒とカラオケが好きな人付き合いの良い青年であったのだろう。

 優しかった彼を疑ったことを、トモコさんは泣きながら悔いている。また次の機会に会えば、元の仲に戻ったはずなのに。突然の自然災害や事件・事故で親しい者を失って遺された人たちの中には、そう思いながら悔やんでも悔やみきれない方々がたくさんいらっしゃるのだろうな。


 本当に浮気するなら、その相手の画像など残さないのではないかと思うし(詳しくないが)、ましてや恋人に送信したりするはずはないと思うのだが、まあ、今は亡き人を疑うのはやめよう。4つ目の画像は、井川さんの部屋で、アパートの人たちと鍋を囲んでいるもので、コイズミは「また飲んでる」と、さすがにちょっと呆れている。
 
 最初に写った3人は、すでに前のニュースの場面で顔写真と名前が報道されている故人である。彼らの最後の晩餐になってしまった鍋は、「隣の部屋の森園さんから、北海道は室別の新巻鮭をいただきまして、石狩鍋やっていまーす」という経緯が紹介されている。


 東京では世田谷という実在の地名が採用され、北海道ではどうやら架空の室別となったのは、たぶん東京で架空の地名を使うとリアリティーを損なうからであり(作者と私が東京にいるから、そう思うだけ)、地方の地名は惨劇の場面で使うのが憚られたからか。

 他方で、都道府県が不明の鳴浜町と異なり、室別が北海道にあると明記されているのは、石狩鍋の登場に必然性があるのではなくて、この先、北海道が物語の重要な舞台の一つとして登場するための序曲みたいなものだろう。


 3人が自己紹介を終えた後で、井川さんは鮭の土産をくれた森園さんを紹介しようとするが、なぜかそこに居ない。井川さんのセリフには気になる情報が二つ。一つは、森園さんが「”ともだち”ワールド出身のエリート」であること。もう一つは、後にコイズミにとってヒントとなった「トモコに紹介するって言ったのに」という一言。

 かつて、私は第8巻の133ページ目に出てくる青年が、この森園さんではないかと疑った。この青年はコイズミと同様、ヨシツネによりヴァーチャル・アトラクションに送られたが、”ともだち”に「取り込まれて」しまい、部屋に巨大なテルテル坊主を残して去った。


 考えてみれば、この青年やコイズミが送られたのは「ともだちランド」であって、正体不明の「ともだちワールド」ではないので根拠薄弱だな。「ワールド送り」になるのは、不完全ドリーマーで「すごく悪い子」が対象者だそうだし(高須談)。あるいは、そこで更に鍛えられて筋金入りの人殺しになった者を、”ともだち”一派はエリート扱いするのだろうか。

 「森園さんは?」と井川さんが尋ねたところ、マルオ似の中根さんというアパート仲間が、「ビール足りなくなったから部屋に取りにいった」と答えた。「楽しそうでしょ、彼」とトモコさん。「そうね...」と応じたコイズミは、次の瞬間に何かが割れるガシャーンという音を聞いた。「あくむのようなせかい」が、ここでも始まったのだ。



(この稿おわり)




この花、可憐で好きなんだが名前を知らない(2012年6月5日撮影)