おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

血の大みそかを知らない子供たち  (20世紀少年 第344回)

 第12巻の第6話「理科室」、時は2015年の1月2日未明、羽田秘密基地の入口扉がそっと開いて、コイズミがこっそり外に出ようとしている。「行ってきま〜」と挨拶を欠かさないところが彼女らしく、また、あっさりヨシツネに見つかるところも彼女らしい。

 しかも、無断外出の目的が「エロエロ・エッサイムズのニューイヤーライブ」とは、正直にも程があろう。バンドの正式名はエロエロではなくて、エロイム・エッサイムズなのだが、悪さが露見して舌がもつれたか。ヨシツネの、無防備に出かけて行って秘密基地の所在が発覚したらみんなどうなるのだという隊長らしい責任感あふれる叱責に対して、コイズミが不用意にも「気をつけて行こうとしたもん」と口答えしたものだから、温厚なるヨシツネ隊長もさすがに激怒した。


 自分が不死身だと思っているだろ、女子高生の自分が死ぬわけないと思っているだろ、あの2000年の血の大みそかで、そんな若い命がどれだけなくなったと思っているんだ!! とコイズミの胸倉をつかんで叱りつけ、とうとう泣かしてしまった。

 あの夜、ヨシツネは自分と似たサラリーマン風の男に最期の烏龍茶を飲ませてやった。男は死んだ。他にも多くの死を見てきたに違いないヨシツネである。隊員たちの親も、ヨシツネの同級生たちも死んだ。そして再び、恐怖の病気が流行の気配を見せている。


 2000年当時、コイズミや彼女の同級生は2歳か3歳であり、血の大みそかに何があったかを知ったのは、ずっと成長してからだろう。ヨシツネの言うとおり、そして多くの今の日本人と同じく、コイズミは自分が死ぬことなど考えてもいないのだ。女子高生に泣かれて悪かったと詫びたヨシツネだが、「そうだよな、ケンヂ」と呟き、内心、決意を新たにしている。

 「もういいから、ヨシツネ」とコイズミを救ってくれたのはユキジだが、結局、基地に戻されたコイズミを待っていたのは例の写真集。「あたしには盆も正月もないのね」と疲労困憊の彼女の姿に、さすがのユキジも「無理かもしれないわね、このコに”ともだち”の顔を思い出させるの...」と諦め顔。コイズミは突っ伏したまま弱弱しく左手を挙げて「無理でーす」と同調している。


 このユキジの「このコ」という表現について。今どきの日本人は二十歳過ぎて働いている女性まで「このコ」呼ばわりするのだが、私は気に入らない。今どきと申しましたが、実は社会人になって二三年経った二十代半ばの頃、年下の同僚の娘に「このコ」と呼ばれて心底驚いたのを覚えているので、この件に関してはわれわれの世代がすでに言葉の品位を下げている。この子と呼ばれる方より呼ぶ方が幼稚だと思う。

 母によれば昔は(ものすごく昔だろうな)、もう高校生になったら、この子とかあの子とは呼ばなかったらしい。中学を出たら働いたり結婚したりするのが普通だった時代は、それほど大昔ではない。父は1945年の8月に16歳になり、兵隊にとられると覚悟を決めたらしいが、直後に戦争が終わって実現しなかった。


 北山修は偉大なる作詞家である。私は十代の一時期、なぜかロックから離れて日本のフォークソングを熱心に聴いていた時期があったのだが、きっかけの一つは気まぐれに買い求めた、北山修の作品を集めたLPレコードの影響だったと思う。ほとんどラジオも聴かずレコードも買えなかった小学生の私たちまで、「あの素晴らしい愛をもう一度」や「戦争を知らない子供たち」を知っていたのはなぜだろうな。後者は大阪万博で有名になったからだろうか。

 北山作品では堺正章が歌った「さらば恋人」や、ベッツィー&クリスが歌った「白い色は恋人の色」といった佳曲もヒットしたが、私としては北山さん本人が唄った「音痴の歌」が忘れ難い。歌詞の一部を紹介申し上げる。「教えておくれよ 音痴のどこが悪い? 顔が悪い」。彼が「僕ら」、「子供たち」と呼んだのは、自分たちの世代というより、大阪万博に集まったような平和な時代の子供たちのことだったのかもしれない。


 コイズミと同い年でもカンナは、”血の大みそか”を実体験している。ユキジに入った連絡によれば、カンナは精力的に調査活動を続けており、鳴浜病院でその名を知った山根の実家を突き止め、そこが駐車場になっていることを報告してきたらしい。たぶんショーグンと角田氏とは、すれ違いになったのだろう。

 遠藤カンナばっかり出歩いて...と文句を言い出すコイズミであるが、お前と一緒にするなとヨシツネに怒鳴られている。今日は立場が弱い彼女であった。確かにカンナは運動神経も良いし武芸も習っているようだし、かつて素手とフライパンで警察官二人を殴り倒しているし、タイ語と中国語も話せるし、弾丸は当たらないし、超能力で校長の首を絞めることもできる。


 ともあれ、写真で”ともだち”を探す作業から解放される気配を感じとったコイズミは元気を取り戻し、自分の記憶力なんてあてにしないほうがいい、「そんなに記憶力あったら学校の試験で苦労しないし、マジで」と語っているのだが、試験で苦労しているのは記憶力以前の問題であり、エロエロなんとかの追っかけで、ろくに授業に出ていなかったからではないか。

 しかし、プレッシャーから逃れたコイズミの頭脳は、ようやくシャープに回転し始めた模様である。バーチャル・アトラクションで見た子供たちと、写真の印象が違うと言い出した。「子供って1年会わないとびっくりするぐらい大人っぽくなってるじゃん。この写真って、そんな感じ」。それを聴いたユキジの緊張した表情が美しい。写真を見せた甲斐はあったのだ。


(この稿おわり)



今年はタンポポが咲くのも遅かったです。(2012年4月21日撮影)