おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アルコール・ランプ   (20世紀少年 第327回)

 第11巻の第12話は「理科室の思い出」。年末の夜だが遠慮も何もなく、オッチョは大福堂製薬の戸倉氏の自宅まで押しかけた。妻女に「落合と申します」と自己紹介している。敬語を覚えていたか。それにしても、彼は脱獄逃亡犯であるにもかかわらず、本名を名乗り、変装もせず素顔、この態度の大きさは一体どういうことだろうね。

 客人を前にして奥方は旦那に対し、今日はお帰りだったのとか、電話くれればとか、食べるものが何もないとか、弁解と攻撃に余念がない。さらに、25歳過ぎたという長男は、Wiiの子孫のような家庭用大型ゲーム機相手に、死ね死ねと叫びながら遊んでいる。いくら自業自得とはいえ仕事帰りに、これでは戸倉も浮かばれまい。ポリスの、「シンクロニシティ Ⅱ」の歌詞のようだ。目玉の奥が痛いだろう。


 漫画家は外で留守番かな。戸倉は書斎にオッチョを招じ入れて、アルコール・ランプを灯した。「この火を見ると、落ちつくんだよ」と彼は言う。本棚には微生物だのウィルスだのといった題のついた専門書が並んでいる。

 戸倉は自らを「天下の大福堂製薬の役員」と言っているのだが、先ほどオッチョはヤマネの消息を尋ねるにあたり、「前の所長はどこだ?」と訊いているので、おそらく戸倉が現役の細菌研究所の所長なのだろう。

 オッチョの取りあえずの用件はヤマネの行方だったので、戸倉は金庫を開けて社員名簿を探している。金庫とは用心深いが、社員の個人情報保護のためだけではあるまい。人殺しの名前一覧なんだな。


 ヤマネの名は2004年の名簿にはなかったが、2003年の名簿に見つかった。理由は後に明らかになるが、2003年に逃げたからだ。戸倉はなぜヤマネの存在にたどり着いたのかとオッチョに問う。彼の返事は「ホームレスの仲間内に、株に強い奴がいて」、「大福堂製薬の株が近々急騰する噂を聞いた」からだというものだった。

 ホームレスにして株に強い奴といえば、私は神様しか知らない。大脱走以来、オッチョと神様が出会った場面は出てこなかったと思うが、同じ場所でホームレスをやっていたのは確かだし、そもそも個別の株が急騰するなどという噂で、かつ、オッチョが信ずるに足る情報となると、出所は神様しかあるまい。


 大福堂製薬は、オッチョによると2000年に友民党と組んで、ワクチン製造により大儲けをしたらしい。そのときも株が騰がった。しかも、どうやら事前に。死の商人インサイダー取引を兼業しているらしい。さすが悪党の大元締めだけあって、それに関しては自分や家族の身に何があっても話さないと戸倉は言う。映画では、こういう奴に限って、いざとなるとよく唄う。

 オッチョの調べによると、14年前すなわち2000年当時、大福堂製薬の細菌研究所では、山根が所長で戸倉が副所長だったという。戸倉自身が補足したところによると、その前に閉鎖された病院からヘッドハンティングされて大福餅に転職したらしい。鳴浜町で流出事故を起こして、逃げてきたのだろう。


 戸倉はヤマネについて、お互い研究仲間に過ぎないため、経歴や家庭環境など個人的なことは何も知らないと言った後で、でも二つほど彼について知っていることがあるという。一つは「ドクター・ヤマネは天才だったということだ」ということだ。そんなことはどうでも良いが、問題はもう片方。

 山根(ヤマネと書くのは、もうやめよう。あんな可愛らしい動物と一緒にしたくない)も「アルコール・ランプを見ると気が落ち着く」、「僕らのルーツは同じ場所だね」と語っていたことがあるらしい。ルーツの原義は根っこだが、ここでは出自というような意味。そういうタイトルと趣旨のアメリカ産のテレビ・ドラマが、山根や私が若かったころに大人気を博した。


 戸倉の回想によると、山根は彼が小学生のとき仲が良かった理科の大好きな子が楽しみにしていたフナの解剖の前日に死んでしまい、しかし、幽霊となって夜な夜な理科室にお出ましになるので、夜間、学校に忍び込んで実験を繰り返していたと語っていたらしい。

 これは、どうみてもカツマタ君のエピソードだろう。第1巻に出て来たドンキーのお通夜の席上で、モンちゃんとケロヨンがケンヂたちに話していた理科の大好きなカツマタ君の話と同じである。「20世紀少年」には、放送室と理科室という二つのキーワードが出てくる。第12巻には図書館も出て来ます。


 山根は、ドンキーや私と同様、幽霊など信じるようなタイプではないと思う。心優しいかどうかはともかくとして、科学の子、アトムの弟なのだ。山根は子供ころも大人になっても、人の命を奪うような細菌やウィルスの実験にしか関心を示さない。そういう心の乾き切った人間が、仲の良い子が幽霊になって好きな実験で遊ぶなどというウェットな話を本気にするはずがない。

 だが一方で、彼が戸倉に単なるホラを吹いたようにも思えず、山根は山根なりに、この幽霊話に何らかの意味を持たせているに違いない。なぜ気持ちが落ち着くのか。人は暖炉の火やキャンプ・ファイヤーなどを見ると、確かに不思議と気が落ち付く。遠い遠い昔のご先祖が火を手に入れて、天敵を遠ざけ夜の安全を確保したころの安心感が遺伝しているのだろうか...。

 しかし山根の感懐は、そのようなファンタジックなものではあるまい。アルコール・ランプ、夜の理科室、幽霊、フナの解剖、そして少年時代の山根は、これから何巻かをかけて様々に描かれる。この幽霊とはなんなのか、今ここでは性急な妄想にひたらず先の楽しみといたしましょう。


(この稿おわり)



理科室(近くの小学校にて、2012年2月20日撮影)