おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

私のサッカー史 【日本史編】   (20世紀少年 第301回)

 今年(2012年)は日韓大会から10年になる。来年はJリーグ発足から20年になる。寡聞にして知らないが、日本のサッカー関係者は、何かセレモニーを企画しているのだろうか。これまでの貢献者を集めて試合を組んでほしいな。監督はオフトとオシムに任せる。ピクシーとジーコはまだまだ若いのだから、ピッチに立ってもらおう。アルシンドも呼ばなくては。

 モンちゃんは、「俺たちの心に一番刻み込まれているのは、1970年の万国博覧会だ」とサダキヨに語っているのだが、その「俺たち」に、申し訳ないが一歳下の私は入っていない。私の場合は万博よりも、1968年のメキシコ・オリンピックと、1972年の札幌冬季オリンピックのほうが一大事であった。


 そのメキシコ・オリンピックで、サッカーの日本代表は釜本、杉山を擁し、見事、銅メダルに輝いた。ところが、そのあとサッカー熱は長く続かなかった。ラグビーやバレーボールのほうが、はるかに人気があった。本当にモンちゃんの言うとおりで、「俺らの子供の頃、日本でサッカーのワールドカップやるなんて、想像もできなかった」のだ。

 70年代から80年代にかけて、スポーツ・マスコミも、一部を除くスポーツ好きもサッカーには冷たかった。その当時、私が知る限り、それなりにサッカー報道に力を入れていたのは報知新聞だけである。読売クラブの試合があるたびに、丁寧に記事にしていたものだ。サッカー・ファンの多くは、読売グループに対して余り好意を抱いていないようだが、日本のプロサッカーの発足に貢献があったことを私は否定しません。


 だから1993年、私の長男と同じ年の生まれなので覚えやすいのだが、Jリーグ発足の緒戦にベルディーとマリノスの試合が選ばれたのは、それなりの経緯があってのことだと思う。あの試合も華やかだったが、なんといってもJリーグ開幕のファンファーレは、鹿島アントラーズの初戦にジーコが決めたハット・トリックだな。

 私は早速、生まれ故郷のチーム、清水エスパルスのファン・クラブに入り、年に2,3回は試合を観に行ったものである。もっとも間もなく海外赴任となったので、ファン・クラブからもJリーグ観戦からも離れてしまったのは残念だった。ちなみに、カズのご実家は、私の実家から歩いて行ける距離にある。


 ともあれ、プロとなって日本代表も力が入ってきた。大勢のファンがワールドカップに注目し始めた。翌1994年、日本代表は善戦むなしく、イラク戦でロスタイムに失点して予選敗退した。テレビで観ました。放送席も悲痛な感じだったな。

 だが、私にとってもっとも印象的だったのは、ドーハの悲劇ではなく、確かイラン戦で見せたゴン中山の痛快なゴールである。彼はゴール・ライン際で飛び出さんとするボールを止め、そのまま、ほぼ真横に立つ敵ゴールに蹴りこんだ。


 次の1998年のフランス大会に、日本は初出場を果たす。ところが間の悪いことに、その緒戦の対アルゼンチンの試合の前後、私はオランダに住む親せきの家に遊びに行き、その足でイギリス旅行をしている最中であった。

 気付いたときにはフランス行きの交通機関は全て満席、宿泊施設などあるものかという状態であった。やむなく、ロンドンだったかリバプールだったか、宿泊地のテレビ前に陣取ってチャンネルを回し続けたのだが、やはり外国同志の予選リーグの試合など中継などしてくれなかったのであった。


 スポーツ・ニュースで1分間ほど報道されて、日本が0−1で負けたのを知った。この1点を挙げたのは、バティストゥータである。懐かしいね。なお、日本の初得点はやっぱりゴンだった。

 2002年の日韓共同開催のころ、私はたまたま仕事が多忙を極め、残念ながら夢中になるほどの余裕がなかった。ベスト16まで進んだのに、悔しいな。むしろ、印象に残っているのは週刊誌報道である。


 その一つはベルギーの選手のインタビュー記事。ベルギーは運悪く、開催国日本と同じ予選グループに入ってしまった。欧州のサッカーでは、フーリガンという凶暴な連中が暴れて、死者まで出す。近隣諸国でのアウェイ戦は、まさに死地に乗り込むようなものだ。ベルギーは日本で罵詈雑言を浴びる覚悟をせざるを得なかった。

 しかし、ベルギー・チームが熊本のキャンプ地に入るまで、そして、入ってからも、彼らを迎えたのは、ベルギー国旗の小旗を振りながら「ベルギー、ベルギー」と笑顔で声をかけてくる日本の子供たちや、おばちゃんたちであった。「俺たちは何て良い国に来たのだろう」とベルギーの選手たちは語り合ったという。


 ちなみに、日本とベルギーは予選リーグでは引き分け、仲良く決勝リーグに進出したが、いずれもその初戦で敗退した。ベルギーは相手が悪かったのだ。リバウドロナウドに決められて、ブラジルに負けている。この大会のブラジルは圧倒的に強くて、決勝戦ではオリバー・カーンから2得点を決めて優勝した。

 もう一つ。イギリスから来たイングランドの応援団を取材した記事。こんな感じだったか。「試合が終わったあとで、僕らはヨーロッパでは決して接することのない信じられない光景を見た。客席で見物していた日本人たちが、黙々とゴミを拾い集めている。気が付くと僕らも一緒に掃除をしていた。来た甲斐があったと思った」。

 
 ナカタやナカムラの世代は、巧かったが体力がなく、試合後半になると動きが止まった。体格・体重に劣る以上、スピードと持久力で対抗しなければ勝ち目は薄いと思う。その点、今の代表は、終盤もよく走ると思う。技術もある。経験も豊かだ。次世代も育っている。この有望な代表が目指す次の開催地は、夢のようだがブラジルである。こんな楽しみは滅多にない。

 去年は女子代表も奮闘しました。澤のあのゴール、忘れ難い。川澄は絵も上手くて小学館が色紙を頼んだところ、自分と澤の似顔絵を添えた名探偵コナンの絵を描いてくれて、それがあまりに見事な出来栄えだったため、額に入れて社内に飾られたという。これで小学館も、巨大ロボットに破壊されたダメージから立ち直るだであろう。今でも飾られているだろうか。




(この稿おわり)





なでしこ我が家(2012年3月23日撮影)





ペコちゃんとサッカーボール...(2012年3月25日撮影)









































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