おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

マッチ・ポンプ  (20世紀少年 第294回)

 第11巻第1話のタイトルどおり、「絶望の淵」に立たされたカンナは、なぜかゲーム・センターに立ち寄った。3Dのファイティング・ゲームを2台ぶち壊して、対戦相手まで痛めつけている。ただし、ストレスを発散しすぎたようで、彼女はその後、虚脱状態に陥り、チンピラ少年3人の誘いに身を任せてしまう。

 最近のゲーム・センターには、マスコミ等によると、年寄りが大勢、出入りしているらしい。それはまあ、みんなで引きこもっているよりは健全かもしれないし、タンス預金で死に金抱えたままよりは、まだしもマクロ経済的には、活発に消費してもらった方が良い。しかし、今の世の中、もう少し他の使い方を考えても罰は当たるまい。


 さて、カンナはゲーセン、車、派手な音楽、不良少年たちとくれば、もう転落の一歩手前である。さらに、違法のドラッグまでもらった。その名も「ラブ&ピース」という錠剤である。ラブ&ピースといえば、中村の兄ちゃんが、オッチョ少年に教えてくれたヒッピー・ムーブメント時代のキーワードであった。

 それを麻薬の名前にするとは、”ともだち”の60年代懐古趣味も徹底したものだな。もっとも、車内の会話においては、ラブ&ピースは血の大みそか以降に大量にばらまかれたもので、昔は合法ドラッグだったというだけの情報しかないが、その時代に過激なドラッグを大量に生産配布するような能力と悪意を持った組織は、”ともだち”を措いて他にあるまい。


 1980年代の半ば、時代はバブル経済の黎明期に当たるが、、そのころ私は銀行員をやっていて、当時ようやく話題になり始めた、いわゆる「地上げ」に関連して、大先輩に「マッチ・ポンプ」という言葉を教わったのを覚えている。

 地上げの交渉などで、ヤクザがカタギを強引に説得する際に使う方法で、二人一組となり、一人が脅迫役、もう一人が「まあまあ」となだめる役になる。脅されて震え上がった相手に、相棒が優しくして、いつの間にかハンコを捺させてしまうという戦術である。


 あたかも一人がマッチで放火し、もう一人が消防のポンプで消火するような猿芝居なので、マッチ・ポンプと呼ぶのだと教わった。われわれが注意しないといけないのは、ポンプ役の巧妙な誘い文句に乗らないことだ。極めて性質(たち)の悪い自作自演である。

 比較するのは乱暴と思いつつ、うつ病の薬物治療で用いられる抗うつ剤精神安定剤は、大雑把にいえば前者はラブ&ピース同様、ハイになるもので、後者は逆に不安な気持ちを落ち着かせる作用がある。


 「元気が出なくて、おっくう」という状態と、「気持ちが乱れる」という感情と、同時に正反対の症状に悩む厄介な病気だから、こういう組み合わせになるのだが、最近は片方のみ処方するよう心掛けている医師もいらっしゃると聞く。

 合法・違法を問わず、精神に作用する薬物は、このようにハイになる「アッパー」と、ゆったりする「ダウナー」に大別される。アッパーの代表格はコカインに覚醒剤、身近なところではカフェインもこの仲間。ダウナーはマリファナやヘロイン、そしてアルコールもこちらに入る。少量なら酒は元気で明るくなるが、一定量を超すとダウンするのは誰もがご存じのとおり。


 どうやら、”ともだち”は、出来事そのものが強烈なダウナーだった血の大みそかによって、不安のどん底に落とされた人々に対して、ラブ&ピースというアッパーをしばらくの間、合法に配布して、自らをヒーローに祭り上げるくらいまで、民衆の気分を盛り上げたのではないかな。

 かつて、ショーグンが工場を爆破した「七色キッド」は、工場長によると恐怖をもたらすダウナーだったが、それとバランスをとるようなアッパーが信者向けに用意されていたのではないかという憶測は、すでに披露しました。”ともだち”は、マッチ・ポンプの天才であろう。ビスマルクの飴と鞭みたいなものだ。


 ”ともだち”によるマッチ・ポンプの極め付けは、細菌兵器・ウィルスとワクチンである。山根とキリコは、みごと利用され、みごと役に立ってしまった。では、「もう、どうでもいい」と投げやりに呟く娘のカンナはどうか? 山根やキリコには無くて、カンナが持っていたのは、二人が演出の片棒を担がされた血の大みそかの夜、ケンヂが彼女に語った話の思い出だった。


(この稿おわり)


雨の熊本城(2012年2月28日撮影)