おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ともだちの家  (20世紀少年 第282回)

 数年前に心理学の基礎を独学していたころ、認知行動療法の専門家から、一対一で若干の手ほどきを受けたことがある。そのとき教えていただいた療法の一つに、今でもよく使っている気分転換の方法がある。実に簡単です。自分の記憶の中から、その場面を思い出しても全く嫌な感情が湧かないというものを幾つか胸中に備えておく。

 日常生活でちょっとした嫌な思いをしても、その場面を思い起こすだけで、すぐに消えてしまう。例えば私の場合、前回話題にしたグアムでの雨であるとか、10歳まで過ごした木造平屋建ての古びた実家であるとか。ただし、注意点が一つ、その場面のみを思い出すだけで止めておく。瞬間芸なのだ。


 なぜならば、それに釣られてあれこれ思い出を辿り始めてしまうと、関連して辛いことも想起してしまう。副作用みたいなものだ。私も実家のことをあれこれ考え出すと、そこで私をかわいがってくれた祖父が交通事故で急死したことや、よく一緒に遊んだ向かえの家の子が、大学に進学して早々、実験室の爆発事故で亡くなったことなども思い出さずにはいられなくなる。

 それはそれで私の人生の大事な出来事ではあるけれども、始終、悲しい事故を思い出したくもない。だから、仮に私が世界大統領になり、やろうと思えば何でもできるご身分になったとしても、その実家を再現したりなど絶対にしない。だいたい気色悪いではないか。しょせん過去は過去。「21世紀少年」の下巻の92ページ、匂いまで昔どおりに再現された町に立たされたユキジは、吐気を催すほどの嫌悪感を示している。彼女は健全なのだ。


 ところが、”ともだち”は、それをやった。第10巻の149ページ目で、サダキヨがコイズミに語ったところによると、この家は”ともだち”の家であり、「本物は、とうの昔にとり壊されてしまったけど、それを忠実に再現したものなんだ」そうだ。家の中にあるものは、”ともだちコレクション”であり、「つまり”ともだち”博物館」であるという。

 しかし忠実さを極めても、完璧に再現などできまい。あらゆる角度から撮った写真やビデオや、完全な設計図でも残っていない限り無理。だから、ある程度は本人の記憶に拠るほかない。そこには間違いや誇張や嘘が混じる可能性がある。この点で、”ともだち博物館”とヴァーチャル・アトラクションは同じ側面を持つ。


 伝説の刑事チョーさんの捜査結果によれば、”ともだち”は複数いるのだが、この博物館になっている家は、フクベエの家で間違いあるまい。小学校時代の彼の実家は、第16巻に何か所か出てくる。廊下も天井も、カルピスのコップもスティアもお盆も、マンガの並んだ本棚もそっくりである。それに、第10巻の147ページでサダキヨが立っている玄関と、第16巻の52ページ目でサダキヨ少年が座っている玄関先は靴箱までそっくりにできている。

 もっとも、少し違っているところもある。第10巻の博物館では、マンガやおもちゃの部屋とは別に、”ともだち”の勉強部屋があるが、第16巻の勉強机はマンガ部屋に置かれていて、オッチョ少年が偉そうに横座りしている。机そのものも、ちょっと違う。記憶違いなのか、学年の違いなのか知らないが。


 ともあれ、博物館といいヴァーチャル・アトラクションといい、少年時代に寄せるフクベエの執着心はすさまじいとしか言いようがない。決して楽しいことばかりではなかった小学校時代のはずなのに。私は古き良き昭和時代を描いた映画の、セピア・カラーのポスターを見るたびに気が滅入るのだが、ある種の人々にとってノスタルジーは、よほど甘美であるらしい。

 ところで、「ともだち博物館」は珍しいことに、所在地が判明している。第11巻の最初のページに、「東中野の”ともだち博物館”は、ただいま炎上中」と出てくるからだ。東中野から大久保までは中央線各駅停車で一駅。サダキヨは雨の日には、コイズミの高校まで電車通勤していたに違いないな。


 それでは、ともだち博物館がある東中野が、フクベエの育った町だろうか。そうならケンヂたちも東中野出身だ。しかし残念ながら、多分そうではない。少なくとも、フクベエの実家があった場所に、建て直されたのではない。

 前にも触れたけれども、1997年、第2巻の57ページ目でチョーさんが見上げている倉庫と、2015年の元旦の夜、第12巻の145ページで、カンナが「倉庫?」とつぶやきながら見ている倉庫は、どう見ても同じものだ。

 そして、チョーさんは、この倉庫が卒業者名簿で見つけた”ともだち”の小学校時代の住所であると言っており、カンナはこの倉庫の前で実父であるフクベエに連れ去られたことを思い出している。博物館の建設地に東中野が選ばれた理由は他にありそうだが、それが何なのかは分からない。さて、家屋の話はこれくらいにして、次はコレクションを見よう。


(この稿おわり)


近所の看板。昔の子供ならば、「入って遊べ」と読んだが、今ではどうか(2012年2月3日撮影)。



天草の夜明け(2012年2月27日撮影)