おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ハーフ・タイム    (20世紀少年 第280回 余談)

 映画「グラン・トリノ」は私の好きな作品の一つです。元フォード社の機械工で、頑固にして勇敢な老人をクリント・イーストウッドが演じているのだが、先月(2012年2月)、彼は商売敵のクライスラー社のテレビCMに出た。それはスーパー・ボウルのハーフ・タイムに流れ、全米で大反響を呼んだ。ニューヨーク・タイムズの記事にまでなった。

 週刊文春の今年3月1日号、町山智浩氏の「言霊USA」というコラムによると、アメリカ人の3人に1人、1億1千万人が観るアメリカン・フットボールの全米王者決定戦一発勝負、「Super Bowl」のハーフ・タイムのテレビCM料は、たった30秒間で400万ドルかかるそうだ。クリント・イーストウッドは、その中で「アメリカ人の魂についてのメッセージ」(本人談)を語った。


 その映像は、「Clint Eastwood Super Bowl」などで検索すれば探し出すことができる。画像も素敵だし、彼の声も聴き応え十分だが、何よりも語りの中身そのものが素晴らしい。話の中にモータウン(自動車の町)ことデトロイトが出てくるのは、2009年にアメリカの自動車産業界が陥った、深刻な経営危機の経験を踏まえている。

 翻訳は得意ではないが、全力を尽くそう。文中の「アメリカ」を、「日本」に置き換えて読んでもいい。「デトロイト」を、「被災地」や「かつての私たち」と読んでみてもいい。


 さあ、ハーフ・タイムだ。両チームはロッカー・ルームに籠り、後半のセカンド・ハーフで如何に戦えば勝てるのかを議論している。

 アメリカもハーフ・タイムだ。人々は仕事を失い、傷つけあっている。そして、どうすればカムバックできるのか、途方にくれている。そして、われわれは恐れている。なぜなら、これはスポーツの試合ではないのだから。

 どうすべきなのか。これについては、デトロイトの市民が少しばかり詳しい。彼らは、ほとんど全てを失った。でも私たちは力を合わせ、そして今、モーター・タウンは再び戦いを始めている。
 
 私はこれまでの人生で、幾多の辛い時代、幾多の衰退、そして人々がお互いを信じない時代を見てきた。そんなとき、われわれは心を失ってしまったかにみえた。そんなとき、われわれの間に分裂、不和、非難といった霧が立ち込めて、目が曇り、先が見え辛くなってしまった。

 しかし、われわれはそのたびに挑戦し、再起し、正しいものを選び、一つになって行動してきた。そういうふうに、われわれは動く。辛い時代も、われわれは道を見出す。見つからなければ、新たな道を切り開くだろう。

 いま問われているのは、これから先に何が待っているのかだ。これまで、どうやってきたのか。どう協力し合うのか。どうすれば勝つのか。

 デトロイトは、われわれの可能性を示している。そして、デトロイトにとっての真実は、われわれ全てにとっての真実でもある。

 この国は、パンチ一発でノックアウトされるような代物ではない。われわれは再び、まっすぐに立ち上がり、そのとき世界はエンジンがうなり始める音を聞くことだろう。

 そう、今はアメリカのハーフ・タイムだ。そして、もうすぐ、セカンド・ハーフが始まろうとしている。



(この稿おわり)


Gran Torino