おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

車     (20世紀少年 第279回)

 私事ばかりだか、私は車に興味がない。われわれの世代の男の若いころといえば、車を持つというのは大人になったということと同義に近く、また、女を口説くのに不可欠の持ち物であると、広く固く信じられていた。しかし、私は同じ理系でも「機械派」ではなく「博物派」だったので、車は今に至るまで日本では所有したことがない。亡き父は自動車会社に勤めていたのだが...。

 もっとも、4年半のアメリカ駐在時においては、ローンで車を買って乗っていた。それも仕事と生活に不可欠だったので、仕方なく買ったのです。値の張る文房具みたいな感覚であった。もっとも今となっては、まだその時代には残っていた巨大な「アメ車」を乗り回していた頃が懐かしい。

 ロサンゼルスの夕暮れ時のフリーウェイ、サンフランシスコのしっとりとした街並み、はるかメキシコやカナダまで続くカリフォルニアのなだらかな海岸線、ラスベガスに向かうとき横断する広大なネバダの砂漠。
 

 家族によると、幼児園児のころの私は、当時の日本の自家用車を全て、見ただけでその名を言い当てるという至芸の持ち主だったらしい。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という優れた本があったが(文庫本になっています)、さしずめ私の場合、人生に必要な知能はほぼすべて幼稚園時代に消費したらしい。

 小学校のころには、もう車に興味を失っていたので、サダキヨが好きな、トヨタ2000GTも、ヨタハチも知らない。ただし、「ケンとメリー」のスカイラインのCMは大好きだったな。「虹の向こうに出かけよう、今が通り過ぎて行く前に」。


 コイズミは、サダキヨにボンドカーだのボンドガールだの言われても、何のことやらわからない様子である。仕方がないか。21世紀に入っても何年に一度か、007の映画は作られているようだが、かつてこのシリーズの売りだった「不真面目さ」の典型であるボンドカーやボンドガールは出てこない。車と女は出てくるが、シリアスである。

 私は自動車が空を飛ぶのを見たことがないが、映画や漫画の中では、容易に車も空を飛ぶ。歴代のボンドカーも盛んに飛んでいたし、古くはチキチキバンバンでも飛んだ。何作目だったか忘れたが、バック・トゥー・ザ・フューチャーでもドクの未来カーが颯爽と飛んだし、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でも、両さんが飛ばしていたのを覚えている。


 サダキヨは、「とにかく乗ってごらん。ボンドガール気分だから」と誘っているのだが、世代差を考慮できないとは教師失格であろう。結局、雨が降り出しそうになったのが幸いし、血相を変えて車を汚したくないと叫ぶサダキヨの迫力に押されて、コイズミはボンドカーに乗ってしまった。しかし、相手はショーン・コネリーのような紳士かつ女好きではなかった。

 前回はハーフ・タイムに触れ、今回は車をテーマにしました。次回は両者に関係する脱線話になります。


(この稿おわり)


両さん亀有駅前にて。(2012年2月20日撮影)